<Professional Business People>冨永愛氏 逆境やプレッシャーも楽しむのがモットー 前編
2009年9月14日(月)9時30分配信 @niftyビジネス
冨永愛氏 逆境やプレッシャーも楽しむのがモットー 前編 [ 拡大 ]
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179センチの長躯とシャープな顔立ち。毅然とした佇まいと完璧な服の着こなし──。冨永愛氏は、まさにモデルとしてこの世に産まれてきた女性と言ってもいいかもしれません。しかし、そんな冨永氏にも、コンプレックスや数々の苦労があったといいます。10代にして海外に飛び出し、ニューヨーク、パリ、ミラノなど、ファッションの本場で数々のコレクションに出演してきた冨永氏。前編では、モデルとして世界で活躍してきた原動力について伺いました。
「スーパーモデル」を目指して
──最初に海外で仕事をしたのは、いくつの時でしたか?
冨永 17歳です。「VOGUE NIPPON」の表紙の撮影でニューヨークに一週間滞在したのが最初です。その時に「ああ、私は海外で仕事をすることになるんだな」と思いました。「海外で仕事がしたいな」というのではなくて、「海外で活動していくんだな」と確信したんです。そう感じた理由が何だったかは分かりません。直感のようなものですね。
モデルを始めたのは15歳だったのですが、それまでは目標は特になくて、漫然と仕事をしていたように思います。でもニューヨークに行って初めて、目標が見えた気がしました。それで、17歳の時に「私はスーパーモデルになる」って断言したわけです。
──「スーパーモデル」とは具体的にどのようなモデルのことなのでしょう
冨永 分かりません(笑)。17歳の時も実はよく分からなかったし、今もって分かりません。「モデルの頂点」くらいの意味で私は言ったんですけど、今思えば、スーパーモデルって1980年代がピークで、ナオミ・キャンベルとかケイト・モスが最後のスーパーモデルだったわけですよね。だから、私が「スーパーモデルになる!」と言っていた時は、もうとっくに死語だったんですよ(笑)。
一般的に言えば、メジャーなコレクションに出たり、一流のデザイナーの服を着たり、世界的に有名なブランドのキャンペーンをやったりする人がスーパーモデルということなのかもしれないけれど、それだけじゃない気もしますね。周りがスーパーモデルだと思えば、その人はスーパーモデル。そういうことじゃないでしょうか。
──海外では、「オリエンタル」という言葉に代表されるように、東洋人に対する偏見や固定観念が根強いですよね。
冨永 アジア人モデルに対する偏見があるのは確かで、「アジア人はドレスを着こなせない」とか、「黒い服しか似合わない」とよく言われました。そういう固定観念を打ち壊してやろうとずっと思っていました。
でも一方で、オリエンタルという要素が武器になる場合もあるんですよ。欧米人にはできない表現ができたり、ショーの中でスパイス的な役割が果たせるなど、ある意味、おいしかったりもするんです。
──今では、オリエンタルという言葉で自分を評価されることは気になりませんか
冨永 事実、オリエンタルですからね。全然気にしていません。自分の個性の一部だと思っています。でも、そう納得できるようになるには、ずいぶん時間がかかりましたけどね。