あの人は今こうしている “ひょうきんディレクター”はフリープロデューサーとして活躍
2009年11月1日(日)10時0分配信 日刊ゲンダイ
-PR-
1981年から放送され、ビートたけし、明石家さんまの人気を決定づけた「オレたちひょうきん族」。フジテレビの5人の担当ディレクターが“ひょうきんディレクター”と称してブラウン管に登場し、コンサートやサイン会が開かれるほど人気だった。そのひとり、「笑っていいとも!」のディレクターでもあった“ゲーハー佐藤”こと佐藤義和さんは今どうしているのか。
「05年に57歳でフジテレビを辞めて会社を立ち上げ、番組制作をしたり、お笑いタレントを育てようとしたりしたんですが、あんまりうまくいかず、2年ほどで会社を閉じ、今はフリープロデューサーとして活動してます」
フジテレビといえば、誰もがうらやむ超高給企業。定年前に辞めるなんて、モッタイナイ。
「ダウンタウン、ウッチャンナンチャンといった笑いの第3世代を世に送り出し、SMAPをエンターテインメントでも通用するようにしたあたりで、やるべきことは全部やってしまったって感じがありましてね。自分は制作の現場にいたいのに、実際はそこから離されていましたし、会社に居場所がなくなった。要するに、そういうことでしょうか」
また、「笑っていいとも!」のディレクターからプロデューサーになり、46歳で制作部門のお笑い班を統括する演芸担当部長と肩書が重くなるにつれ、ストレスもハンパじゃなかったらしい。
「川崎の自宅とは別に都内にマンションを借り、それこそ24時間態勢で仕事してましたよ。ちょうど昭和天皇が倒れられたときで、そういう時期に『笑っていいとも!』とは何事だ、みたいなプレッシャーもあって、十二指腸潰瘍になり、胃の3分の2を取ったのもその頃です。演芸担当部長になってからは制作の現場からはまるっきり離れ、昼はゴルフ、夜は銀座で接待の毎日。その揚げ句がアルコール依存症にウツなんですから……」
ブレーク前のキムタクにせがまれ、銀座デビューさせたこともあったそうだ。
●「全部やってしまったって感じがありましてね」
さて、佐藤さんが目下、もっとも力を注いでいるのが即興劇の「アクトリーグ」だ。観客から出されたお題に沿って役者が芝居を演じ、審査員が採点。関東と関西でリーグ戦が毎月行われ、年末に日本一のチームを決定する。
「一種、芝居の格闘技、プロレスみたいなものです。相手がどう出てくるかわからず、それにまたどう対応するか。出来、不出来はあっても、テレビで見せられる完成品より、ライブならではのおもしろさがあります」
関東の会場は新宿東口のスタジオアルタ。チケットは毎回即完売だとか。
「ボクがアルタで最初にした仕事がディレクター時代の『笑っていいとも!』で、演芸担当部長になるまでの14年間、タモリと同じように月曜から金曜まで通ってました。テレビの神様に、“佐藤、アクトリーグを頼むよ”とアルタに連れ戻されたみたいな、運命的なものを感じてます」
最後に他のひょうきんディレクターの消息。
「三宅(恵介)はエグゼクティブディレクター(役員待遇)として、定年後も現場に立ち続けてます。他はフリーで制作をやったり、演出をしたりと、やっぱり制作にこだわってるヤツが多いですね。もうほとんど交流はありませんが」
(日刊ゲンダイ2009年10月29日掲載)