戦艦大和と グレーチングの関係とは?
2009年10月3日(土)11時0分配信 R25
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「私たちの本社は広島県呉市に置かれていまして、そこは戦艦大和が作られた海軍工廠(かいぐんこうしょう)があった場所として有名です。創業者の山本茂もその大和の建造にかかわっていた技師の1人でした」
戦艦大和の建造技師が創業者! 『宇宙戦艦ヤマト』のモデルにもなった、あの大和ですよね! でもなぜ大和の技師が、側溝のフタの会社を作ることになったのでしょうか?
「山本は金属加工技術には定評のある技師でした。大和では主に床や壁を担当していたと聞いています。山本がかかわっていた大和のエンジンルームは最下層にあり、明かりもなく真っ暗で熱がこもってしまいます。そこで光も採り入れられ、換気もでき、頑丈な鉄の格子(グレーチング)は重要な役割を担っていました。戦後、その技術を生かし、昭和26年、山本は当社の前身の『大呉興産株式会社』を設立し、船舶などの床材を作りはじめました。そして、その技術がそのまま側溝のフタにつながっていくのです」
なるほど、では会社設立当初からグレーチングを作られていたんですね。
「いえいえ、そうではないんです。設立当初は、なぜか船舶の塗装業を中心としていたんです。それから徐々にグレーチングを作りはじめます。ちなみに海軍工廠で作られる軍艦は別ですが、当社が製作する前は、グレーチングを作っている会社はなかったので、国内初です。それまで民間のグレーチングはすべて輸入に頼っていたそうです」
やはり、グレーチングに目を付けたのは、創業者ですか?
「そうですね。目を付けたというよりは、“できないか?”と発注を受けたのが最初だそうです。当初は船舶、工場の床材としてのグレーチングが中心でしたが、昭和38年に側溝のフタとしての用途を提案したことで、ブレイクしたという感じです。ただし側溝のフタは電化製品などと違い、一気に広がるということはなく、ジワジワと広がっていく商品ですからブレイクといっても一般的な印象とは違うかもしれませんね」
飛躍的にグレーチングの需要が拡大したのは、高度成長期の昭和40年代からでした。ここ数年は中国産の安いグレーチングも入ってきていますが、「ダイクレ」は、半世紀以上もグレーチングを作り続けたことで、業界内で圧倒的な信用を勝ち得っているそうです。そして道路関連部品だけに発注元の6割が公共事業関連と抜群の安定感。また側溝のフタとしてのグレーチングの代替物も、しばらく登場しそうにないため、その地位は盤石といってもいいのではないでしょうか。
(R25編集部)
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※コラムの内容は、フリーマガジンR25およびR25.jpから一部抜粋したものです
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