ゆずを食卓になじませるには?JA主導で仕組み作りに挑戦
2009年11月4日(水)11時0分配信 R25
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そんな小村のゆず事業が、年間約33億円も売り上げるというから驚かされる。過疎化、高齢化が進む村で、一体どうしてこのような成功を収めることができたのか? 馬路村農業協同組合(JA)を直撃した。
「農協がゆずの生産を推奨し始めたのは、昭和38年のことです。高度成長期に入り、村からどんどん人が都会へ流出していったため、村内に新しい産業を興そうと目を付けたのがゆずだったんです。馬路村ではもともと大半の世帯が農業を営んでおり、すぐにそれまでの作物と並行してゆず作りが行われるようになりましたが、農薬を使っていないため形がイマイチで、味は良いのに当初は市場でなかなか思うように売れなかったといいます」(馬路村農業協同組合・営農販売課課長補佐 山崎友和さん)
ゆずはもともと高知県の名産物。県内では昔からゆず果汁を食卓で使う文化が根づいていたものの、全国的には「ゆずの利用法を知らない地域の方が多かったのでは?」(山崎さん)という状況であったという。
それでも辛抱強く、村民が一体となってコツコツとゆず作りは続けられ、JAが本格的にゆず事業の仕組み作りに着手したのは今から20年前のことだ。
「JAとしても、こうして事業の音頭を取ることは珍しいと思いますが、ゆずをどうアピールすれば全国に認知され、買ってもらえるようになるか、皆でアイデアを出し合って商品展開のテコ入れを行いました」(同)
その結果、ゆずをそのまま果実や果汁で売るのではなく、加工食品として販売したことがヒットへの足がかりになったと山崎さんは語る。
「そもそもゆず果汁は、それ単体で主役になれるものではなく、肉料理やカニなどに添えることで際立つ商品です。そこで、まずはとにかく日常的に食卓に並べてもらえるような商品を作ることが先決と考え、ジャムやジュースなどの加工食品を開発したのです」(同)
それでも、すぐに馬路村の商品が売れ始めたわけではない。JAでは全国の百貨店を回り、出来上がった商品を催事場でPRするなど、10年以上にわたって地道な営業活動を続けてきた。それも、ゆずの品質に絶対の自信があったからこそだろう。時間はかかっても、いつか受け入れられる確信があった。
そして90年代に入ったころから売れ行きは少しずつ伸び始め、ついには村を支える一大産業に成長。「あきらめずにコツコツと努力した」ことが実を結び、現在馬路村で作られるゆず商品は30種類以上にも広がっている。
馬路村ブランドは、村が一体となって長い年月をかけて努力を重ねてきた賜物なのだ。
(R25編集部)
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