「いつ息を吸えなくなるのかな…、と怖かった」。伊豆諸島の八丈島近海で、8人乗り漁船「第1幸福丸」が遭難した事故で、救出された乗組員3人は31日、静岡県下田市の伊豆漁協で記者会見し、転覆から救出までの約90時間を振り返った。恐怖と絶望感に打ちひしがれながらも、“奇跡の生還”を果たした3人は家族と再会すると、抱きしめ、涙ぐんだ。
「助かるかは半信半疑。半分はあきらめていた」と転覆後を振り返ったのは大阪市の早川雅雄さん(38)。「家族のことを思った。どうなってしまうんやろうと」。3人は居住区のさらに下にある「キール」と呼ばれる船底の狭いスペースでくっつきながら横になり、じっと救助を待った。「会話はほとんどなかった。たまに生きているか確かめるため声を掛け合った」(早川さん)という。
静岡県下田市の宇都宮森義さん(57)は「生きることばかり考えた」。今の気持ちを聞かれると、「どう言ったらいいのか。うれしくて…、うれしいだけですね」と話し、「おいしいものが食べたい」と笑顔をのぞかせた。
転覆直後、3人は行方不明となっている乗組員ら2人が船室から逃げ出るのを目撃したが、倒れた冷蔵庫に出口をふさがれて後に続けず、取り残された。
静岡市の鳰原(にゅうばら)貴光さん(33)は「逃げ遅れた。(転覆に)気付くのがもっと早ければ外に出られた」と感じたことを振り返った。「経験が少ないので、出たら助かるかなと思った」と話す鳰原さんは遭難中、脱出を考えたが、他の2人に止められ、思いとどまった。「暗闇から抜け出たかった」とつぶやくように語った。
会見に同席した伊豆漁協の藤井多喜男組合長は、3人の話として、転覆の瞬間の状況を明らかにした。亡くなった牧山新吾船長(40)がかじを取り、生存者3人を含む乗組員7人は居住区画の船室で睡眠を取っていたが、目覚めたときには船体が大きく左に傾き、間もなくひっくり返ったという。鳰原さんの腕時計から、転覆は24日午後8時14分ごろと推定される。
3人は転覆後は「息苦しくはなかった。上下は分かるが、左右は不明。船底のペンキがはがれた所から漏れた光で昼夜を判断した」と話し、「台風が来ることを知っていたから、2、3日救助は無理だろうと思った。死刑宣告されたような気持ちだった」とふり返っていたという。
会見に先立ち3人は家族と再会。「もう大丈夫だよ」。鳰原さんは小学生の娘と息子を抱き締めたまましばらく動けなかった。「お父さんに会えてよかったよ」。子供たちは泣きじゃくりながらしがみついた。早川さんはしっかりとした足取りで家族の元へ。家族は涙をぬぐいながらいたわるように早川さんの肩を抱いた。宇都宮さんも兄弟に肩をたたかれ、ほっとした様子だった。