犬から見た世界 (1) - 犬から見た人間はどんな生き物?
2009年11月5日(木)15時8分配信 dog actually
幼児がおずおずと差し出した手の匂いを嗅ぐジャン、少女に遊びに誘われ、手を嘗めて挨拶しているマイロ、犬にとって、人間の手は、あるいは人間はどんな風に見えているのだろう?犬から見た人間はどんな生き物なのだろう? [ 拡大 ]
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今回は、少し趣向を変えて、犬から見たら、私たち人間はどんな風に見えているか?犬は人間をどんな生き物として捉えているか、と言う事を考えて見ましょう。それが分かれば、犬の訓練やしつけはずっとやりやすくなると思うからです。
僕は生まれる前から犬が複数いる様な家で育ち、幼少期から現在まで50年以上、常に生活環境に様々な犬がいる暮らしを続けてきました。そのおかげで、犬が人間をどんな存在と見なしているか、犬自身の行動からある程度推測する事が出来るようになりました。
まず犬は人間と言う生物を、具体的にどんな存在として捉えているか考えて見ましょう。実は犬から見た人間の姿を、人間の言葉を使って説明すると、かなり怪物じみたものになると思います。それはどんな姿でしょうか?
犬から見た人間は三首の化け物?
僕は犬が人間を「頭が3つある生き物」さらに「大きな一つの口と目鼻のある頭部と長い首の先に鋭くない牙のある頭部を2つ持つ生き物」と見なしていると考えています。たとえば犬による咬傷事故の被害部位は、腕が一位を占めます。これは犬が人間の手を犬の頭部的なものと認識し、犬にとって急所である首を咬むつもりで、腕に咬み着いているからかも知れません。
最初からなんともロマンに欠ける認識で申し訳ありませんが、そんな馬鹿な?と思われる方は、ご自分の飼い犬が挨拶してくる時、手を舐めたり、手で撫でられるのを喜んだりする様子を思い出してください。
犬が手を舐める行為は、下位の犬が上位の犬に対してとるマズルを舐める挨拶行動に相当し、人間が手で犬を撫でる行為は、母犬が子犬を舐める行為に相当すると僕は考えます。犬は子犬時代の社会化によって、人間的な常識からすれば「化け物」に見えるような人間ですら同族と見なせる柔軟な認識体系を持つ生き物なのです。ポイントは、犬は人間を三つの首がある犬、逆らうのが困難なスーパードッグとみなしているかも知れないという点です。
犬は狼の子供の形質を持つ家畜
僕はイエイヌを、人間がオオカミからネオテニー(幼体成熟)によって作り出した家畜と考えています。つまり犬は一生大人にならないオオカミの子供の様な生き物なので、成長したあとも人間が使役しやすい家畜になれたと考えるのです。オオカミの子は、大人のオオカミの口元を舐めて食事を吐き戻して与える様に促します。この行動が犬の挨拶行動として引き継がれていて、下位の犬が、上位の犬や飼い主である人間の顔を舐めて挨拶する行動の元になっています。ですから、飼い主が手から犬に餌を与える行為は、親犬が子犬に餌を口移しに与える行為に相当するはずです。
犬が見せる人間の手への反応
人間の手に対する犬の反応が、犬の頭部に対する反応と相同であると考えうる傍証は、他の訓練の過程でも見る事が出来ます。たとえばマテと命じて、犬の鼻面に向けて、手を広げて見せる視符に対して、たいていの犬は反射的に動きを止めます。僕は犬の鼻面に向けて広げた人間の手を、犬が大きく口を開いて牙を見せ、自分を威嚇し、それ以上近づくなと主張している、自分より大きな犬の口の様にみなすので、反射的に動きを止め、その場に静止するのだと考えています。
さらに訓練が良く入った犬は、訓練手が指さすものに注目したり、指さした先に駆けていったり、指さしたものをくわえて戻ったりもします。この行動も、犬が人間の手を犬のマズル(または第二第三の頭部)と見なしていることで可能になった行動だと思います。
同じ行動はオオカミでも観察できます。群れで飼われているオオカミの群れを根気良く観察すると、上位のオオカミが注目する先を、下位のオオカミが一緒に見つめ、同時に嗅覚で対象を探る行動が観察できます。オオカミの上位者のマズルが向いた先を下位者が一緒に見つめる行為、おそらくは獲物や敵を一緒に認識しようとするこの行為が、人間の指さす先を犬が見る行動の起源だと僕は考えます。この行為は、あらゆる猟犬種で犬同士の間でも、飼い主と犬の間でも頻繁に観察出来る行動ですが、残念ながら犬が飼い主を上位者だと認めていない場合は、あまり見られません。
犬が人間の出す視符に従うのは?
僕は上位者がマズルでポイントした先を下位者が一緒に見る行動に関して、犬とオオカミの間に明確な差を見つけられませんでした。差が生じるのは、むしろ訓練手の能力の差と、犬やオオカミの社会化と訓練の度合いによるものの様でした。この差は犬やオオカミが飼い主をどのくらい重要な上位者と見なしているかで決まるようです。熟練した訓練手に十分馴致され、訓練されたオオカミや狼犬は、容易に人間の視符(主に手によるしぐさの命令)を理解し、中には警察犬並の訓練が入る個体も存在します。
ウイグル人の雑技団では、西洋のサーカスのプードルの代わりに、モンゴル平原で羊を守るために間引かれた野生のオオカミがあらゆる芸を披露します。黄色い目と狼肩に気づかなければ、その姿は大型犬と区別できません。反対に愛玩犬として甘やかされて飼われ訓練未了の犬は、プードルの様に訓練性能の高い犬でも人間の指さす先など見ようとしません。
こんな風に、飼い犬が飼い主に対して取る行動を根気よく観察すると、犬が飼い主であるあなたの仕草や言葉をどんな風に捉えているか、だんだん分かって来ると思います。たとえは悪いですが、犬から見た人間は怪獣キングギドラみたいな3つの頭を持つ怪物的存在なのです。
幸いな事に、犬は私たち人間の姿が自分に比べてどんなに変でも、子犬の頃から十分人間に社会化すれば、異様な外観を理由に人間に偏見や敵意を持ったりはしません。
なぜ犬を殴ってはいけないのか?
さて、ここまで読んでいただければ、犬にとって人間の手は、社会的に重要な要素であることがお分かりいただけたでしょう。こうした事情があるので、一度でも手による強い殴打を経験すると、「手で犬を打つ行為」は、犬にとって未知の方法での強力な攻撃と見なされ、殴打の結果、犬に人間の手を恐ろしいもの、痛い物、悪い物と言う記憶を植え付けてしまいます。そうなってしまえば、犬種によっては人間とその手を恐れる様になり、視符を使った訓練に積極的に参加させる事は出来なくなります。このため、僕は犬の訓練では、手で犬を押さえたり、掴んだりはしても、一切犬を手で打ちません。母犬が子犬に対して行う行為を手で再現する分には、犬は素直に従いますが、犬の行動のバリエーションにない行為は犬には受け容れがたいからです。
この様に、犬が人間の手を恐れる事がなければ、たとえ人間を三つ首がある化け物的存在であっても、犬は人間を自分の同類と見なして根気良く訓練につきあってくれる様になります。犬は社会化された相手なら、異種とでも協調して暮らすことのできる社会性豊かなオオカミの子孫だからです。
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