雅子妃のご病気を理由に「祭祀王としての天皇」という皇室の根幹を毀損していいのか
天皇「9時−5時勤務制」まで飛び出した宮中祭祀廃止論の大いなる誤り
2008年5月2日(金)0時0分配信 SAPIO
掲載: SAPIO 2008年4月23日号
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宮中祭祀は創られた伝統か
原氏がこの1月に著わした『昭和天皇』(岩波新書)を読むと、その疑念はいっそう強くなる。全編からたちのぼってくるのは、原氏が抱く昭和天皇、いや、天皇制への嫌悪感である。原氏自身、公開されている史料が少ないために推測で書いている部分が多いと断わりを入れているが、実際、偏った視点からの勝手な推測が非常に目につく。
この書には「戦況が悪化した四五年になっても、天皇は祭祀を続け、勝利にこだわった。六月にようやく終結に向けて動き出すが、天皇が最後まで固執したのは、皇祖神アマテラスから受け継がれてきた『三種の神器』を死守することであって、国民の生命を救うことは二の次であった」とあり、似たような記述が何度も登場する。さらには、「天皇が発した謝罪の言葉を、『万姓』が直接耳にすることは永久になかった」と、国民に対して一度たりとも謝罪したことがないと断罪している。
それならば、昭和天皇がGHQのマッカーサーのもとを訪れ、「戦争の全責任は自分にある。私の身はどうなってもいいから、国民を助けてほしい」と願い出て、皇室の財産を差し出そうとしたのは、どう捉えればよいのだろうか。
昭和天皇が詠まれた和歌に対しても、独自の解釈≠披露されているが、では、
身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて
外国と離れ小島にのこる民のうへやすかれとただいのるなり
といった終戦時に詠まれた和歌に対しては、どのような解釈をするのであろう。
天皇が三種の神器を守ろうとしたのは、それが天皇の職務だからである。昭和天皇のお心のなかには、自らは数千年にわたって連綿と続いてきた皇統の124代天皇であり、皇位は預かったものに過ぎないという意識があったはずである。「国体」の護持が自らに課せられた使命であり、自分の代で絶やすことになれば国民に対して責任が果たせないとお考えになったからであろう。これは国を守るための行動で、決して矛盾した話でもないのである。
昭和天皇が宮中祭祀に熱心であったことについても、「天皇制を温存させたGHQと妥協を図りつつ、依然として宮中祭祀に強いこだわりを見せた。なぜ天皇は、祈りがかなわなかったにもかかわらず、戦後も戦前と同様に祭祀を続けたのか」と、まるで狂信的に信仰にはまっていたかのように書かれている。原氏は、昭和天皇の母親である貞明皇太后が「心底から皇祖皇宗の存在を信じ、その前に額ずいて祈ることができなければ『神罰』が当たる」と信じていたため、その影響下にあったと推測しているが、一方で、昭和天皇と貞明皇太后の間には深い確執があったことも指摘している。
貞明皇太后が神懸かり的であったことは、いくつかの史料から事実と言えるかもしれないが、昭和天皇もそのことを気に病み、確執の原因にもなっている。なぜその皇太后から影響を受けなければならないのか。説明が不十分と言わざるを得ない。
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