雅子妃のご病気を理由に「祭祀王としての天皇」という皇室の根幹を毀損していいのか
天皇「9時−5時勤務制」まで飛び出した宮中祭祀廃止論の大いなる誤り
2008年5月2日(金)0時0分配信 SAPIO
掲載: SAPIO 2008年4月23日号
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そもそも、前述したように天皇が天皇たる本質的要素は「祈る」ことであり、宮中祭祀に熱心だったからといって褒められこそすれ、非難されるようなことではない。おかしなカルト宗教にはまっているわけではないのだ。
皇族の人々は、天変地異やさまざまな災厄が起きるのは天皇に徳がないからだと受け止める伝統がある。戦争中に戦勝を祈願するのは当たり前のことで、それがかなわなかったのは、自身の祈る気持ちが弱かったからではないか、濁りがあったからではないかと自責の念にとらわれても不思議ではないのである。
この『昭和天皇』には、宮中祭祀を廃止してもかまわないとする論拠も書かれている。「祭祀を『国体』の根幹と見なす後期水戸学の影響のもとに宮中祭祀が確立されるのは、前述のように明治になってからであった」とし、要するに、現在の宮中祭祀のほとんどは明治以降につくられたもので、天皇家の伝統ではないという。明治天皇が宮中祭祀を行なうことに積極的ではなかったのは、「にせの伝統」だったからではないかという推測も披露している。
確かに現在の祭祀の多くは明治以降に始まったものだが、それは量的な変容であって質的な変容ではない。新嘗祭や大嘗祭などは一時期中断はあったものの、古代から行なわれてきた祭祀である。「後期水戸学の影響」で突然始まったかのように言うが、実際には江戸中期から後期の時代の光格天皇(1771年〜)が古来の朝廷の儀式を復興させたことから始まった流れであり、「にせの伝統」などではなく、むしろ復興された本来の伝統と言える。光格天皇は先代の天皇から7親等も離れており、傍系であるがゆえに、古来の祭祀を復活させることで朝廷の威光を取り戻そうとしたと考えられる。
前述した『文藝春秋』の座談で、東大の御厨貴教授は、原氏の「祭祀をすべてやめるような抜本的な改革」発言を受けて、「祭祀もやらない皇室とは何か、という難問がまた出てきますよ」と応えているが、まさにその通りである。
原氏自身、『昭和天皇』のなかで三島由紀夫の「天皇がなすべきことは、お祭、お祭、お祭、お祭、それだけだ」という言葉を引用している。天皇とは祭祀王であることを十分理解し、そのうえで宮中祭祀を廃止せよというのだから、これはもう、確信犯と言うほかない。
「祭祀をやらない天皇」というのは、要するにイギリスなど欧州の王室を手本とした皇室への転換を意味するのであろう。『論座』08年3月号の特集「変貌する象徴天皇制」には、文芸評論家の東浩紀氏と成城大学講師の森暢平氏の対談が掲載されているが、ここでは天皇家を財団法人化し、天皇は9時5時で働く制度を提起している。極端な例であるだけに、逆にその意図が明確に見えてくる。
おそらく、原氏をはじめとする宮中祭祀の簡素化・廃止を主張する人々の狙いは、社会契約論に立った天皇制の確立にある。国民と皇室の間で契約を交わして、外交や福祉事業などを担わせ、必要なくなったら契約を解除できるという制度である。
しかし、天皇が被災地や福祉施設などを慰問したときに、手を合わせる人々がいるのは、天皇が祭祀王だからである。契約に縛られて働き、「祈り」を捨てた天皇には、もはや神秘性も尊厳性もなく、天皇から癒しを得る人はいなくなる。「祈り」抜きで天皇制は存続し得ないのである。
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