「批難を浴びせるだろう」とのGHQの予想は外れ、国民は熱狂してお迎えした
足掛け8年半で3万3000キロ 2万人に声をかけられた焼け跡の中の全国巡幸=松崎敏弥
(SAPIO 2009年2月11・18日号掲載) 2009年2月26日(木)配信
「現人神」だった天皇が、目の前に立ち、肉声で言葉をかけてくる。人々はどれほど驚いただろうか。終戦からわずか6か月後に始まった天皇の全国巡幸とはどのようなものだったのか。皇室ジャーナリスト・松崎敏弥氏が振り返る。
流行語になった「あっ、そう」
昭和天皇の全国巡幸が始まったのは、昭和21(1946)年2月19日。最初のご訪問先は、空襲で大きな被害を受けながらも復興した川崎市の昭和電工川崎工場だった。
以後、巡幸は関東、東海、近畿、東北、甲信越、北陸、中国、九州、四国、北海道と、昭和29年8月まで足かけ8年半にわたって行なわれ、まだ日本に返還されていなかった沖縄を除く46都道府県をくまなく訪問された。宮内庁によれば、陛下が直接お声をかけられた人数は2万人に達したという。
《戦のわざわひうけし国民を おもう心にいでたちて来ぬ》
この御製は巡幸に際してのお気持ちを昭和天皇がお詠みになられた歌だといわれている。当時の天皇のご心情は、元宮内庁皇太后宮事務主管、筧素彦氏の『今上陛下と母宮貞明皇后』に紹介されている。
「この戦争によって祖先からの領土を失い、国民の多くの生命を失い、たいへんな災厄を受けた。この際、わたくしとしては、どうすればいいのかを考え、また退位も考えた。
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