マリナーズを退団した城島健司捕手(33)が、阪神への入団を決意。4年総額20億円プラス出来高払いという大型契約で、来季から背番号「2」のタテジマのユニホームを着ることになった。27日に福岡市内で行われた2度目の交渉で、満を持して久々に表舞台に姿を現したのが、星野仙一オーナー付シニアディレクター(62)。早ければ、来オフにも阪神監督として現場復帰−という復権シナリオへの地固めは着々と進行中だ。
【存在感見せつける】
「彼のプレーは長年見ていますし、(2003年の)日本シリーズでは随分やっつけられた。年が離れていますけど、彼のリードには尊敬しているし、理解しあえる仲です。彼の野球スタイルを見ていれば、十分話し得るナイスガイだよ」
“星野節”と言われる率直・明瞭な言葉で城島をべた褒めした星野SD。交渉の席では、城島に「打って投げて以外にも大いにオマエのエネルギーを発揮してほしい」と伝え、心機一転を目指す城島の背中を押した。
同席した南信男球団社長に「“抑えの切り札”を投入したからね。言葉の威力? 藤川球児並みでしたね。ボールに力があるね」と言わしめた星野SD。今回の城島獲得作戦のアンカー役を務め、十分に存在感を見せつけた。
南社長と真弓監督が出席した23日の第1回交渉後にソフトバンクが獲得に名乗りをあげ、城島の師匠でもある王貞治球団取締役会長が直接会談。これに争奪戦激化の気配を感じた阪神が、2度目の交渉に“切り札”として星野SDを投入。前日26日の夜、球団から出席を要請された星野SDは、27日に新神戸から新幹線に同乗して博多入りし、最後の一押しをする役割を担った−というのが今回の構図だ。
一見、阪神は星野SDの顔で城島獲得にこぎつけたと映るが、実際は、星野SD出馬にかかわらず、この日の交渉前に阪神・城島は確定していた。城島は「(阪神入りの意思を固めたのは)昨日(26日)です。決断して最初に王さんに電話しました。イチローさんに連絡もしました。『阪神に行きます』と言いました。反応? 『了解!』でした」と説明する。
つまり今回の城島獲得成功は、南社長−真弓監督−編成部門担当者のマメで迅速な連係プレーのたまもの。星野SDの出馬は、あくまで“儀式”でしかなかったというワケ。星野SDにとって、表舞台に復帰する格好のイベントだったのだ。
日本代表監督を務めた昨年8月の北京五輪でメダルなしの4位に終わってからは逆風続きだった星野SD。世論ばかりか、イチローら日本代表の主力組からも反旗を翻され、決まりかけていた今春のWBC指揮官の座を巨人・原監督に譲らざるをえなかった。
「昨年夏にはハウス食品のカレーのCMで星野SDとゴルフの石川遼選手とのコラボレート編の映像が用意されていたが、五輪の結果を受けて『お蔵入り』になっていた」と球界関係者はいう。北京五輪前までの高い支持率は急降下。大バッシングを受けてからは、野球解説はじめ、メディア露出も控えめにするなど、表舞台から遠ざかった。
【福田氏をヘッド育成】
そんな星野SDだが、阪神球団内では依然存在感を発揮。その証拠となったのが、今オフの“星野人脈”からのフロント入閣だ。
北京五輪のスコアラーを務めた福田功氏(56)が、スカウトとして阪神入りすることが内定。来月上旬にも正式発表される見込みだ。同氏が1990年から3年間、中日の2軍監督だった時の1軍監督が星野SDだった。
球界関係者は「星野氏の監督復帰の際の問題は、島野育夫さん(阪神・星野監督時代のヘッドコーチ)が担った参謀役を誰が担うか。福田氏の阪神入りは、来るべき時に備えたヘッドコーチ作りとなり得る」と指摘する。
中日監督を退任し、阪神の指揮官に就任した01年オフ。広島から主砲の金本をFAで獲得、参謀役として中日から島野氏を引き連れてチームを強化し、03年のリーグVにつなげた星野SD。今回の城島と福田氏の獲得は、ごく近い将来の阪神監督復帰への布石か。
城島を迎え入れながら阪神が来季、2年連続で優勝を逃せば逆風必至の真弓監督に代わって、一気に星野SDの再登板というシナリオが…。再び動き始めた“闘将”から目が離せない。(上阪正人)