元広島監督で楽天の編成部長を務めていた三村敏之(みむら・としゆき)氏が3日午前10時5分、心不全のため仙台市の病院で死去した。61歳だった。
楽天編成部長として2年目の今年5月に肝臓の手術のため入院。夏場には復帰して夏の高校野球などを視察し、10月29日のドラフト会議でも元気な姿を見せていただけに、球界に衝撃が走った。
前日2日もスタッフ会議に出席するために、球団事務所に姿をみせていたが、体調がすぐれずに帰宅。この日朝に容体が急変したという。
1994年から広島監督を5年間務め、毎年優勝争いを繰り広げ、1年目から4年連続Aクラス。98年に5位となり退任したが、広島は97年の3位を最後に12年間Aクラスになっていない。
96年には長嶋巨人が11.5ゲーム差を逆転し、2年越しのメークドラマを完結したが、ひっくり返されたのは三村監督だった。
広島商高の後輩で、三村氏から広島監督を引き継いだ達川光男氏は「あのときの巨人の戦力から考えて、よく野球界を盛り上げたと思う。悲観することはなく、逆に巨人の独走を許さなかったと評価できる。最終的には引き立て役になったのが三村さんらしい」と故人をしのんだ。
楽天監督を解任された野村克也氏は、クライマックスシリーズが始まる前に「本当は三村が次の監督だったのが、病気をしてできなくなったからブラウンになった。それが真相だよ」と明かした。95年に野村ヤクルトは広島とデッドヒートを演じた。当時から野村監督は「広島の選手は教育が行き届いている。稲葉(現日本ハム)や宮本を広島に預けて、2年ぐらいしたら返してもらいたいぐらいだ」と三村監督の手腕を高く評価していたものだ。
最後の大仕事はブラウン政権の樹立となったが、くしくも3日から新体制となった楽天の秋季練習が10時からスタート。それを見届けるかのように、5分後に息を引き取った。
元気なら新監督としてグラウンドに立っていても、おかしくはなかったが、メークドラマのリベンジという夢は果たせなかった。
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告別式は7日午後0時半から広島市安佐南区長束2の4の9、サンセルモ玉泉院長束会館で。喪主は妻洋子(ようこ)さん。