■埋まらぬ格差 旧東独へ郷愁も
東西ドイツ分断の象徴だった「ベルリンの壁」崩壊から9日で20年を迎える。この間、旧東独地域の生活水準は上昇したが、失業率は旧西独地域の2倍以上という東西格差は解消できないまま。表向きの平等が保たれていた東独時代を懐かしむ「オスタルジー」現象も広がるなか、壁崩壊の導火線となった旧東独地域ライプチヒの「月曜デモ」を主導した市民は「自由のために良心を貫く大切さを次世代に伝えたい」と訴えている。(ライプチヒ 木村正人)
「旧東独時代に築いた地位や財産を失った世代の心情はわかる。しかし今、問題なのは、東独を勝手に夢想し、あの社会が良かったと思う『オスタルジー』が広がっていることだ」
先の総選挙でメルケル首相率いる与党・キリスト教民主同盟(CDU)から連邦議会議員に初当選したトーマス・ファイスト氏(44)は語気を強めた。
「オスタルジー(Ostalgie)」とは「ノスタルジー(Nostalgie)」の「N」を取ると東を意味するオスト(Ost)と重なることから、旧東独があたかも理想社会だったかのように思うことを指す。
10月末には、東独の独裁者だった故ホーネッカー国家評議会議長の妻、マルゴット氏(82)が亡命先のチリから「東独国民の半分が資本主義下で生活が悪化し、東独時代の方がよかったと考えている」とオスタルジーをあおるかのようなメッセージを出した。
ファイスト氏は「独裁体制が復活したら、亡命する」と大きく息をついた。
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壁崩壊の10年前、14歳だったファイスト氏は学校で「兵役を拒否するつもりだ」と発言した。自身の信条からだった。
東独では兵役を拒否すれば進学や出世の道は閉ざされる。大学進学への夢がついえたファイスト氏は暖房整備工になった。さらにこれが原因で秘密警察シュタージの厳重な監視下に置かれることになる。
一方、時代は確実に動いていた。「ペレストロイカ(再建)」を唱えるソ連(当時)のゴルバチョフ政権が登場し、1989年5月には、ハンガリーとオーストリア国境の鉄条網が撤去され、中国・北京では民主化を求める天安門事件が起きた。
「宗教の自由」だけは認められていた東独では、教会は唯一の「自由空間」として、市民運動の拠点になっていた。なかでも、ルターの宗教改革とゆかりの深いライプチヒのニコライ教会では、反体制派が集まりやすいよう社会主義統一党員が職場集会を開く月曜日夕刻に合わせて「平和の祈り」が行われた。
同年9月4日、ファイスト氏らは平和の祈りの後、中心街を囲む環状道路を練り歩いた。「月曜デモ」の始まりだった。
翌10月、7万人が繰り出したデモでは、53年のデモのときのようにソ連軍の戦車は現れなかった。月曜デモは最大50万人に膨れあがり、11月9日、壁は事実上、崩壊した。
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当時、23歳の長男と17歳の次女に促され、月曜デモに参加した主婦、イルムトラウト・ホリッツァーさん(66)は壁崩壊後の12月4日、シュタージのライプチヒ本部が住民に占拠されるのを目撃した。「独裁の非人間性を後世に残すため、文書を破棄させてはならないとみんなが思った」と語る。
ファイスト氏は93年、自分に関するシュタージ文書のコピーを入手、少なくとも83年から監視されていたことを知った。親友が密告者だったらと考えると、怖くて閲覧できなかったが、「何が明らかにされても自分の人生の一部だ」と決断した。
徴兵を拒否した際、相談した弁護士が密告していたことがわかったが、弁護士は「周りに流されているだけ」と罪が重くならないようかばってくれてもいた。
ホリッツァーさんは「民主主義と自由がなくなったらどんな世界になるかを次世代に語り継ぎたい」と「月曜デモ」の意味を伝え続ける決意を示している。