【北京=矢板明夫】中国の谷牧(こく・ぼく)元副首相(95)が死去した。改革・開放に対する初期の反対論を排すとともに、日本や欧米からの資金と技術の受け入れを積極的に推進し、今日の高度経済成長の基礎を作った人物だった。日本の政財界に広い人脈を持つ知日派としても知られた。
1932年に共産党入党。日中戦争中に八路軍の将校として、抗日根拠地づくりなどで活躍した。建国後、済南市長などを経て中央入りし、重工業、機械分野の担当閣僚を歴任した。副首相就任後の78年5月、中国経済代表団を率いて初めて外遊し、フランスなど欧州5カ国を訪問したことが中国の改革・開放のきっかけになったといわれる。
欧州の発展ぶりを目の当たりにして衝撃を受け、帰国後、政治局拡大会議で、外国から資金を借りてその国の工業設備を購入することなどを盛り込んだ「近代化プラン」を提案した。改革派の重鎮、トウ小平氏らの支持を取り付けたものの、提案は猛反対にあった。当時の中国は、毛沢東が推進する「自力更生」路線の影響が根強く残っており、一部の保守派はこの主張を「売国路線」と決め付け激しく攻撃した。
同年12月に開かれた共産党中央委員会総会で、改革派が主導権をにぎると、自らのプランを実現すべく精力的に諸外国を飛び回った。79年からスタートした日本の政府開発援助(ODA)をはじめ、外国の資金の導入に次々と成功した。80年代、最高指導者となっていたトウ氏の右腕として欧米や日本との経済分野での交流、協力拡大で中心的な役割を果たし、現場から改革・開放路線を支えた。
文化分野にも強い関心を持っていた。88年に引退後、海外での人脈を生かし、「国際儒学連合会」を立ち上げ、郷里・山東省が生んだ偉人、孔子の思想を外国へ普及する活動に積極的に取り組んだ。すでに約100カ国で300校近く設立された中国文化を発信する教育機関、孔子学院の立ち上げにもかかわった。
「中国を世界に導いた男が逝く」。中国メディアは訃報(ふほう)をこのように伝えた。