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30年前のミランやユベントスを思い出して考える「サッカーの視聴環境」の進化

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30年前と比べて「多くの海外サッカー情報を得られるようになった」と語る宮澤ミシェル氏

サッカー解説者・宮澤ミシェル氏の連載コラム『フットボールグルマン』第29回。

現役時代、Jリーグ創設期にジェフ市原(現在のジェフ千葉)でプレー、日本代表に招集されるなど、日本サッカーの発展をつぶさに見てきた生き証人がこれまで経験したこと、現地で取材してきたインパクト大のエピソードを踏まえ、独自視点でサッカーシーンを語る――。

今回のテーマは、世界のトップレベルの試合が繰り広げられる欧州や南米サッカーの視聴環境について。30年前のトヨタカップから21世紀の現在まで、どれだけ変わったのかを考察する。

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1月も欧州サッカーシーンでは激しい戦いが続いている。中でも注目しているクラブのひとつが、やはりスペインのレアル・マドリードだ。リーグ戦ではやや苦戦してはいるけれど、昨年末のクラブワールドカップで優勝して、なんだかんだ言っても、やっぱりレアルは世界屈指のクラブだった。ブラジルのグレミオと対戦した決勝戦はスコアだけを見れば1-0だったけれど、内容には雲泥の差があった。

シュート数はレアルが20本で、グレミオが1本。流れはずっとレアルにあったし、ブラジルを代表するグレミオがあの程度しかできないのかっていうのは少し残念だったな。去年の鹿島アントラーズのほうがレアルを苦しめたと思うからね。

レアルはクリスティアーノ・ロナウドがいることで攻撃にばかり目が行きがちだけど、実は守備が素晴らしい。グレミオが得点を取ろうと出てきた時に何もさせない。ボールを奪いにいってもモドリッチ、イスコというふたりのプレーメーカーがいて、カゼミーロとクロース、ヴァラン、セルヒオ・ラモスという選手たちがボールを簡単に繋いだり、大きくサイドチェンジして奪われなかった。

レアルのサッカーは「究極のサッカー」ともいえる。各ポジションの世界No.1の選手たちを11人集めたスタイル。マルセロが「トップオブトップの選手しか、このクラブではプレーできない」と言っていたけれど、その通りだね。能力の高い個々を武器にグラウンドを広く使って、ひとりひとりがそれぞれに与えられた役割をまっとうする。いわば王道サッカーだよね。

一方、比較されるバルセロナはメッシというスペシャルな存在はいるけれど、他のポジションももちろんスゴイのは間違いないけれど、レアルほど「個の能力で勝負する」選手たちではない。距離感や角度を変え、3人目の動きを入れながら「組織力」で相手を崩すーーこれはレアルに勝つために、長い歴史をかけて築いてきたものでもある。

それにしても、ヨーロッパのクラブに世界中のタレントが集まる時代になったことが大きいとはいえ、1981年から2004年まで日本で開催されたトヨタカップの時代、80年代にはもっと白熱した手に汗握る試合が見られたのに…と思ってしまう。

当時はそれこそ国内で世界トップレベルのサッカーが観られる唯一の大会だったから、毎年たくさんの人が楽しみにしていたし、印象的な深い試合が多かったから今でも鮮明に思い出せるね。

30年ほど前、1987年でもっとも印象に残っているのはなんといっても「マジェール!!!」。ポルト(ポルトガル)のストライカー、マジェールのシュートがラインをコロッと割ったシーンのTV中継での絶叫だ。ポルトとペニャロール(ウルグアイ)は大雪の中で対戦したんだけど、グラウンドが一面、雪で真っ白でボールと見分けつかないからカラーボールを使ってね。

あまりに気温が低いから、蹴った拍子にボールがパンクするハプニングもあった。当時、私はこの試合をスタジアムで観戦していたけれど、あまりに寒くて何度かスタンド裏に避難したことを覚えているよ。

1981年の第1回トヨタカップも思い出深いね。ノッティンガム・フォレスト(イングランド)とナシオナル・モンテビデオ(ウルグアイ)が対戦したんだけど、ナシオナルにワルデマール・ビクトリーノというエースがいたんだ。

彼がサイドライン際で転んだ時に太腿が緑色になって、手で拭いながらいぶかしげな顔をしていてね。当時の国立競技場は冬になると芝が枯れて茶色になっていたから、緑色に着色した砂を撒(ま)いていたんだ。それが付いて緑色になったんだよね。

85年にユベントスで来日したミシェル・プラティニなんて、国立の芝生を見て「本番はどこでやるんだ?」と言ったらしいね。当時の国立競技場は、海外の立派なスタジアムに慣れている選手からしたら練習場に見えたんだろう。

黄金時代のミランも89年、90年、93年、94年と来日した。ファンバステン、ライカールト、フリットのオランダ代表トリオにに加えて、ユーゴスラビア代表のサヴィチェビッチがいて、守備陣にはCBにバレージとコスタクルタで左SBがパオロ・マルディーニ、右SBがタソッティだった。カルロ・アンチェロッティもまだ現役だったしアルベルティーニ、ドナドーニ、マッサーロと名前を挙げたらキリがないほどタレントが揃っていた。

89年のアトレチコ・ナシオナルとの試合は印象深いね。アトレチコのGKがイギータで、当時はまだGKへのバックパスが認められていた時代だったから、アトレチコは押し込まれるとすぐにイギータにバックパス。オランダトリオほか、ミランの選手の活躍が見たい観客は、あれにはガッカリさせられたんだ。

この試合や90年W杯イタリア大会などの影響から、バックパスをGKが直接、手で扱えないルールが導入されたのは92年。だけど、子どもの頃からバックパスありのルールでやっていた選手としては、大いに戸惑ったよ。

とっさの瞬間についバックパスの癖が出たり、「胸で返したボールは手を使ってOKだっけ?」と選手同士で確認したりしながらやっていた。GKだって、バックパスなしのルールで育っていないから今ほど守備範囲は広くないし、足元のテクニックだっておぼつかないから、笑っちゃうようなプレーもよくあった。

ルール改正はいつも、攻撃側が有利になると得点が入りやすくなるから盛り上がるという理由で変更される傾向にある。だから、DFの選手は苦しくなる一方。もし、今からサッカー選手を目指せるなら、僕は絶対にFW。スターになれるのも、給料が高いのもFWだからね。

トヨタカップはVHSのビデオテープが擦り切れるくらい見たよ。それくらい当時は世界最高峰のサッカーに飢えていたからね。今はヨーロッパの主要リーグやチャンピオンズリーグを始め、世界中のサッカーを手軽に観られる時代になったこともあって、あの時代のトヨタカップが持っていた「熱さ」はクラブワールドカップからはやや失われた感じもする。

でも、日本のチームも世界の頂点に立つチャンスが生まれたわけだから、その夢を実現するクラブが現れるのを楽しみにしたいね。

(構成/津金壱郎 撮影/山本雷太)

■宮澤ミシェル







1963年 7月14日生まれ 千葉県出身 身長177cm フランス人の父を持つハーフ。86年にフジタ工業サッカー部に加入し、1992年に移籍したジェフ市原で4年間プレー。93年に日本国籍を取得し、翌年には日本代表に選出。現役引退後は、サッカー解説を始め、情報番組やラジオ番組などで幅広く活躍。出演番組はWOWOW『リーガ・エスパニョーラ』『リーガダイジェスト!』NHK『Jリーグ中継』『Jリーグタイム』など。

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