小沢一郎氏が語る金丸副総裁辞任「気の強い人でもなかった」【平成の政治写真 あの事件の真相】

小沢一郎氏が語る金丸副総裁辞任「気の強い人でもなかった」【平成の政治写真 あの事件の真相】

初公判に車いすで出廷する自民党の金丸信元副総裁(C)日刊ゲンダイ

【平成の政治写真 あの事件の真相】

 平成4年〜5年

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 それは突然の記者会見だった。平成4(1992)年8月、自民党の金丸信副総裁が「東京佐川急便からの5億円裏献金」を認めて、党副総裁と経世会(竹下派)会長の辞意を表明したのだ。当時、自民党は「経世会にあらずんば人にあらず」の時代。その会長である“政界のドン”の辞任は永田町に大激震を走らせた。

 金丸氏は東京地検に、政治資金規正法違反を認める上申書を提出、罰金20万円の略式命令となったが、世論は「5億円もらってわずか罰金20万円で済むのか!」と猛反発。結局、同年10月、金丸氏は議員辞職に追い込まれ、翌平成5年3月には相続税の脱税容疑で逮捕された。東京の金丸邸の金庫からは、金の延べ棒や割引金融債が見つかった。

 一連の金丸事件には経世会の分裂騒動が色濃く影響している。当時の経世会七奉行の一人、小沢一郎自由党代表はこう話す。

「金丸さんが権力者になり、僕をかわいがればかわいがるほど、竹下(登)さんと梶山(静六)さんは面白くなかった。金丸さんがどう乗りきるかについても僕とは意見が違った。当時の政治資金規正法は、秘書が代表者だった。『私は直接関係していない』と言うことはできたのだが、認めて辞任すれば、それで済むと、金丸さんは判断したのだろう」

 金丸氏は脱税については起訴事実を否認、政界再編に備えた資金だと主張した。車いす姿で出廷を続けたが、持病の糖尿病が悪化、平成8年3月、81歳で死去した。

「金丸さんは策士と見られていたけど、実際は素直な人柄だったし、そんなに気の強い人でもなかった。判決が出る前に被告人のまま亡くなったのは、本当にかわいそうだった」(小沢代表)

 金丸氏という重しが完全に失脚し、経世会は崩壊。七奉行は2つに割れ、自民党を飛び出した小沢氏らが細川連立政権を樹立。自民党がまさかの下野の道をたどるきっかけとなった。

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