れいわ新選組 舩後靖彦氏「生産性で人の価値を測る社会を政治でひっくり返す」

れいわ新選組 舩後靖彦氏「生産性で人の価値を測る社会を政治でひっくり返す」

れいわ新選組参議院議員の舩後靖彦氏(C)日刊ゲンダイ

【注目の人 直撃インタビュー】

 舩後靖彦氏(れいわ新選組 参議院議員)

 7月の参院選で2議席を獲得したれいわ新選組が、国会に送り込んだのは、重度の身体障害がある2人の議員だ。初登院に先立ち、参院は大型車いすのまま本会議場に入れるよう、バリアフリー工事を実施。2人の当選は早速、国会を変えた。参院議員6年間の任期で、日本の政治をどう変えてくれるのか。秋の臨時国会を前に、思いをぶつけてもらった。

■選挙戦で障害者の絶望感を痛感

 ――7月の参院選は、全体的に盛り上がりに欠ける中、れいわ新選組の躍進は大ニュースでした。山本太郎代表は当選に届きませんでしたが、比例で228万票で2議席を獲得しました。

〈党首落ち 当選の嬉々なかりけり 議員なれたは太郎の力〉という歌を詠みました。山本代表が党を立ち上げたのが4月で、れいわ新選組の名前を有権者に伝える時間が短かったと思います。それでも多くの票をいただきました。〈山本太郎一人勝ち〉という新聞記事の見出しを見ました。

 ――短歌集も出されているんですよね。山本代表は、次の衆院選に100人立てると表明しました。

〈二院制 衆参二つ 優越は 衆議院なり 人送り込め!!〉です。私自身も党の隆盛のために力を尽くしたいと思っています。

 ――舩後議員と木村英子議員の当選を受けて、参院はバリアフリー化を進めました。国会を変えました。

 改善して下さり、本当にありがたく思っております。私どもに続く、後進の障害者議員、さらには、国の中枢である国会議事堂を見学に来る高齢者や障害者のためでもあります。今後、国会議事堂のバリアフリー化がいっそう進むことを希望しています。

 ――議員活動を行うための介助費用について、国会議員の特権だと批判する意見があります。

 制度の見直しまでの間、介助費用の一部を参院で負担すると決まりました。しかし、自分たちだけ介助費用を認めて欲しいと希望したわけではありません。国会議員だから特別扱いしていると皆さまに思われると想像し、心苦しく思っています。重度障害者はらから(同胞)皆が、勤務中でも介助を使えるように恒久的な制度を整えるのが最善だと思います。

 ――「はらから」という表現を好んで使われるようですね。

 短歌の師匠の教えに従っています。

 ――選挙戦で有権者との接触を通じ、どんなことを感じましたか。

 有権者は、今の政治ひいては日本に絶望されているのだと思いました。選挙期間中に、私のフェイスブックのメッセンジャーに「舩後さんの出馬により、私の生きる希望がわきました」という趣旨の投稿がいくつか見られました。おそらく障害者の方で、中には虐待に遭っている方もいるかと思います。

 ――虐待ですか。

 私自身発病後、2カ所で虐待を受けました。入居していた施設で、介護士やナースからネグレクトされた。下痢を頻発し、栄養失調になり、全身がパンパンに腫れた。ひどいめまいに襲われ、ベッドの上で日々、船酔いしている状況でした。「いやな場所からは逃げるのが成功の秘訣」という話をラジオで聴き、施設を出て、訪問介護を利用して在宅生活に切り替えました。ところが、ここでもヤル気のない訪問介護士のネグレクトやいじめに遭った。痰がつまってナースコールを押しても、放置され、メールでSOSを出したこともありました。全身麻痺の私は24時間、365日、誰かにサポートしてもらわないと生きていけない。文句を言えばどんな目に遭うか分からない。どんな仕打ちにも耐えるしかありませんでした。

根底にある差別意識には地道な教育が必要

 ――政治との関わりは。

 お恥ずかしい限りですが、発病前は全くのノンポリでした。学生時代はまだ学生運動もありましたが、私は音楽に明け暮れていました。選挙は行ったことがありませんでした。日刊ゲンダイも読んだことなかった(笑い)。

 ――発病後に政治を考えるようになった。

 自分の虐待経験もあって、“障害者が苦しむ社会はおかしい”と感じるようになりました。この社会を何とかしなければならないと思ったのです。

 ――そんな中、山本代表から参院選出馬の打診があった。

 人を介して紹介され、山本代表が自宅に訪ねてきました。代表の「生産性で人の価値を測る現代の風潮を否定する」言葉に共感し、出馬を決意したのです。実は、私は大学などで講義や講演活動をしていますが、同じようなことを学生諸子に説いてきた経緯があります。

 ――生産性で人の価値を測る社会で真っ先に排除されるのは障害者だと。

 そうです。加えて、障害者福祉の世界は儲け主義が蔓延しています。施設にいた頃、医療保険で処方されていた無料の経腸栄養剤が自費購入に変更されたことがありました。施設側は、「法律が変わった」と説明していた。法律は弱者にやさしくないと思いましたが、その時は疑いもしませんでした。後で分かったのですが、施設側が利潤を上げるため変更したのでした。訪問介護でも、さまざまなお金がかかりましたが、障害者を囲い込んで、儲けようというあくどい手口だったのです。障害者を金儲けの手段としか見ていない組織はたくさんあるのです。

 ――市場原理や民間企業の発想では、どうしても生産性や儲けが優先されてしまいます。

 障害者がまともに暮らしていける社会にするのは、儲け主義が蔓延し、生産性で人の価値を測る社会をひっくり返さなくてはならない。それは政治にしかできないということなのです。江戸時代に「稼ぎ3割、仕事7割」という言葉がありました。仕事とは奉仕のことです。稼ぎだけじゃいけないのです。

 ――これから、政治家としてどのように臨まれますか。

 今回、国会でクローズアップされた介助費用のこともそうですが、重度訪問介護の制度の不備は、制度をつくった人々の潜在意識、無意識の領域に「重度障害者には生産性がない!」という確定した思いがあるからです。かといって、その人たちを責めているわけではありません。すべては教育にありと考えています。日本の30年前を考えれば、時代も変容しました。国際障害者年や障害者自立支援法が生まれ、そして今年、重度障害者が国会議員になりました。私は、10年、20年後の未来を想像して、障害者に対する偏見を、教育で変えたいと考えています。さらに子どもの頃から、潜在意識、さらに深く無意識の領域にまで存在する“差別意識”を除外する、倫理、道徳教育は必要と考えています。まだまだ勉強不足ですが。

〈インタビューで文字盤読み取りをしてもらった介助士の佐塚みさ子氏によると、舩後氏は起きている時は、パソコンでずっと勉強をしている。メディアの取材で同じような質問があってもコピペをせず、一つ一つ自ら言葉を選んで答えているという〉

 ――衆院議員は解散にビクビクせざるを得ないが、参院議員は解散もなく、6年間じっくり取り組めます。ちょっと飛ばし過ぎではないですか。

 ……(笑い)。

(聞き手=生田修平/日刊ゲンダイ)

▽ふなご・やすひこ 1957年、岐阜県生まれ。拓殖大政経学部卒。82年、学生時代に目指していたプロミュージシャンを断念し、ダイヤモンドと高級腕時計の輸入商社に勤務。8年連続で年間6億円を売り上げる企業戦士だった。99年、41歳の夏、突然、手の力が入らなくなる。歯ブラシが手から落ち、10歳の娘に腕相撲で負けた。2000年、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の告知を受ける。耳は聞こえるが、手足は動かず、声は出せない。意思表示は、目で文字盤を追い、介助者に読み取ってもらうほか、センサーを歯で噛むことでパソコンを操作して行う。詩歌や童話の創作、ギターなど音楽活動、講演のほか、18年4月から千葉県松戸市の社会福祉法人「気づき」の理事を務める。

関連記事(外部サイト)