天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 安倍晋三・昭恵夫人(中)

 「政治にはまったく興味がなかった」と、安倍昭恵は安倍晋三が首相に就任した頃、こう公言している。昭恵の家族、周囲、また昭恵の性格から、「泥臭い選挙運動など政治家に嫁ぐのは大変なこと。あまり賛成できない」という声が支配的であった。
 一方の安倍は、小学校から一貫して成蹊学園で学び、成蹊大学法学部政治学科を卒業後、南カリフォルニア大学に留学、政治学を修めた。帰国後は神戸製鋼でサラリーマン生活を送っていたものの、父親・安倍晋太郎が外務大臣に就任したのを機に秘書官となった。思春期の憧れは映画監督だったが、東大大学院卒の長男が商社マンへの道を歩んだことで、名門安倍家の政治家としての後継ぎを余儀なくされた。
 安倍の祖父は、戦後3人目の首相の岸信介、大叔父にやはり首相をやった佐藤栄作という“兄弟首相”を持つ。さらに、父親もまた首相の座を目指し、外相、自民党幹事長などを歴任したという、系譜の中では政治家の道を歩かざるを得なかったということだった。

 その安倍は若い頃、タレントの西田ひかるのファンであった。なんとなく、昭恵氏の面立ちは似ていると言えなくもない。政治部記者が言った。
 「2人は、家庭内では『晋ちゃん』『昭恵』と呼び合っているとされる。安倍首相は目の涼やかで明るいタイプの女性が好みで、夫妻には今でも誰からも『友達のような仲の良さの夫婦』の声がある。結婚は、安倍首相が押しまくったともっぱらだった」

 交際期間中には、折からの「グリコ・森永事件」があった。ここでは、“警察沙汰”に遭遇したというエピソードがある。
 昭恵の父親は、当時、森永製菓の社長だったことで、当然、その自宅には警視庁の刑事が警備にあたっている。そこに、夜、昭恵が男の運転する車で送られて帰ってくるのである。警察は、当然、車のナンバーから、「安倍晋三」の名を割り出してしまったというのである。

 さて、政治家の妻になることに「私で大丈夫かしら」と聞いた昭恵に対し、「大丈夫。大変なことなんか全然ないし」と応えた安倍であったが、昭恵はいざ結婚となって、早々からとてつもない「大変」に直面することになる。安倍が父親の後継者と目されていたことから、挙式後からして安倍の地元・山口県下関でのなんと3000人を集めた披露宴をはじめ、選挙区内の数カ所でもお披露目をせざるを得なかったからだった。
 父・晋太郎が死去し、平成5年7月、晋三がいよいよ父の遺志を継いで総選挙に初名乗りを上げたことで、「大変」にいよいよ拍車がかかった。当時の選挙区制はまだ中選挙区で、定数4に対して8人が争うという激戦区。「弔い合戦」は有利とはいえ、手は抜けない。昭恵も、そのるつぼに投げ込まれた。当時を取材した地元記者の証言が残っている。
 「選挙戦では父・晋太郎の洋子未亡人(注・後に「ゴッドマザー」とも呼ばれる岸信介元首相の娘)が連日、後援会を回り、昭恵夫人はと言うと、こうした会合に顔を出す一方で選挙カーでマイクも握った。『緊張でガチガチ、何をしゃべっているのか分からない』『何からどう手をつけていいのか分からない』と、分からないだらけによく涙を流していた。
 ところが、後援会の会合では“本領”を発揮。安倍本人は酒がダメだが、酒も飲めないでは選挙にならない。『オレたちの酒が受けられないか』『愛想がない』となることから、ここは酒豪の昭恵本人の独壇場だった。ビール、ウイスキー、日本酒、ワイン、何でも来いで、飲みっぷりも見事、そして颯爽と座を後にするから集まった連中はみな見惚れていた」
 かくして、安倍はこうした昭恵夫人などの“奮戦”もあって初陣を制することができたのだった。

 その後の安倍は、異例の早さで出世の階段を駆けのぼった。自民党幹事長、官房長官などの要職をこなし、幹事長時には「行列のできる幹事長」と言われ、その人気の高さを誇ったものであった。そして、当選わずか5回で首相の座にチャレンジ、52歳で見事、そのイスに座ってみせたのである。
 逆に言えば、昭恵という女性と出会ったことで、安倍氏は悲願を成就することができたとも言える。その意味では、昭恵は「悪妻」にあらずして「猛妻」と言える。「猛妻」とは、夫を支える一方で、自分の意志を断固曲げない妻を指すのである。「悪妻」は古今東西多々あり、古代中国・劉邦の呂太后は、夫亡き後、夫に連なる家臣の手足を斬り離すなど残虐の限りを尽くし、自分一族で権力を握ってしまった等々である。

 安倍は、せっかく手にした政権を体調不良によりわずか1年で投げ出した。これを契機に、昭恵はその「猛妻」の色合いを、大きく変えていくことになる。
=敬称略=
〈この項つづく〉

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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