天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 吉田茂・雪子夫人(上)

 今回からは読者諸賢が戦後政治の流れが理解しやすいように、総理大臣の系譜をたどって記したい。
 昭和20年8月15日の終戦2日後、「終戦処理内閣」として担ぎ出されたのが「皇族宰相」としての東久邇稔彦首相であった。しかし、その政権は占領軍の圧力と皇族内閣の限界に直面しつつ、戦後歴代内閣の最短在任期間54日で終止符を打った。
 その夫人は、明治天皇第九皇女の聡子内親王。東久邇宮が臣籍降下したことで昭和53年3月、81歳で逝去するまで、一国民として平穏な日々を過ごされている。東久邇自身も、臣籍降下後は食料品兼美術店『東家』を開業したり、「禅宗ひがしくに教」の教祖になるなどのびのびと一国民の生活を満喫、実に102歳の長命を得て平成2年1月20日に没したのだった。

 東久邇首相のあとは、戦前の外相時代に米英協調の「幣原外交」で名を残した幣原喜重郎が「民主化第一歩」への首相として登場。ただし、この内閣は1年も持たず、民主化促進、戦後経済の安定など課題解決までには及ばずで退陣をよぎなくされている。
 その幣原の夫人雅子は、三菱財閥の創始者だった岩崎弥太郎の長男の妹ゆえ、「幣原政治」は「大資本の理想を体現した政策」とも言われた。幣原と雅子との結婚は、まさに「政略結婚」と言ってよかったのである。

 さて、その幣原退陣を受けて後継に指名されたのが、「戦後日本再建のレールを敷いた男」吉田茂であった。
 その吉田は明治11年9月22日、高知の自由党の志士・竹内綱の5男として、東京府駿河台に生まれている。「江戸っ子」である。2歳の誕生日を迎える直前、横浜の貿易商・吉田健三の養子となった。養父の吉田健三はハイカラ趣味で鳴り、その影響もあって、茂は学習院から東京帝国大学政治学科を卒業すると外務省に入ることになる。
 外務省での前半は、持ち前の「進取の精神」に加えて、後年、首相として国会で「バカヤロー」と発言するなど傲岸不遜、独断専行、頑固、毒舌など強烈な個性も手伝って軍部から睨まれ続け、傍流を余儀なくされている。しかし、後半は緻密な頭脳、才覚を買われて順風満帆、外務次官、駐英大使とエリートコースを歩み、先の東久邇内閣では外務大臣として重用されている。

 結婚は明治42年、吉田、領事官補時代の30歳だった。妻は「明治維新の元勲」大久保利通の2男、戦前の「重臣」にして伯爵の牧野伸顕の長女・雪子、“見合い”であった。時に雪子20歳、炯眼の牧野が吉田の人物、将来性を一発で見抜き、茂と雪子の当人同士も互いに気に入ったこともあったが、有無を言わせずの結婚となったのであった。
 当時、大久保の孫にして政・財・官界への強大な影響力を誇り、皇室の信頼もまた絶大だった牧野の娘となれば、これは名門中の名門の出である。
 対して、吉田と言えば、実父は「志士」とは言っても在野の一壮士に過ぎず、養父もカネ儲けはしたが商人、当時の社会的地位からすれば雪子と吉田のそれはまさに“月とスッポン”であった。
 ましてや雪子は、牧野家で大事に育てられた「お姫さま」、感受性豊かな芸術的気質を持つ一方、目鼻立ちもハッキリの美人とくるから、玉の輿に乗ったのは吉田で、ここではまさに“逆玉結婚”ということでもあった。

 雪子のその感受性の豊かさは、少女の頃から華族のたしなみとして日本文学古典に親しみ、歌人・佐々木信綱のもとで短歌も勉強、後年は英文のエッセイ集も出版していることからも読み取れる。吉田が駐英大使時代、ロンドンの出版社から刊行したその長文のエッセイ集には、このことを示す日本語の次の二首の短歌が挿入されている。
 「空澄みて黄金に木の葉散る朝を 憂きこと忘れ穏やかに居らん」
 「俗欲を一葉一葉に脱ぎ捨てて 枝面白く立てる裸木」
 こうした雪子に対し、一方の吉田はと言えば文学的素養はゼロに近く、細かいことにセコセコせぬ性格ゆえ、金銭一つ取ってもすこぶる無頓着な男であった。

 こんなエピソードが残っている。
 先の養父は吉田が中学に入る前に病死しているが、当時のカネで50万円、いまなら数十億円の遺産をわずか11歳の吉田に残したのだが、吉田はこれをのちに政界入りするまでに、持ち前の貴族趣味、一流主義に徹して湯水のごとく使い果たしてしまったのだった。とくに、花柳界での散財は圧倒的で、すべて身銭で数十億円を遊び切ってしまったというのである。
 こんなことだから、育ちのよさから物事を屈折させて見ることなく、真っ正面、自然体に臨む雪子と、吉田との結婚生活はとてもドンピシャとはいかなかったのは当然だった。
=敬称略=
〈この項つづく〉

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

関連記事(外部サイト)