天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 福田赳夫・三枝夫人(下)

 政財官界を巻き込んだ贈収賄事件の「昭電疑獄」に連座した形で、収賄罪に問われた大蔵省で次官を目の前の主計局長・福田赳夫と妻の三枝は、順風満帆だった結婚生活の最初にして最大の危機に直面した(福田は高裁で無罪)。
 開けっ広げだった二人は、福田が大蔵省から休職を命じられ、無罪判決を得るまでの約10年間で性格なども一変してしまったようだった。三枝はマスコミがあらゆることを報じることで内にこもり、それまでのオープンな記者対応なども一切シャットアウトした。
 一方の福田も、あれこれしゃべる信頼すべき大蔵省の部下に失望、これは、以後、政治家となったあとも“身内偏重主義”につながっていく。福田については、のちに福田派担当記者がこう言っていたものだ。
 「福田は『戦争ベタ』と言われたが、本当に心を許せる側近議員だけを信用する“身内偏重主義”が災いした部分が大きかった。例えば、田中角栄との“角福総裁選”でも、田中派のように裏工作、根回しにたけた強者議員が、派内にほとんどいなかった。また、他の政争でも情報が集まらず、結局、後塵を拝すことが多かったということです」

 しかし、「昭電疑獄」が福田と三枝の“人生最大の危機”ではあったが、夫婦間の絆はむしろ深まっていったように見えた。これには、別の福田派担当記者の証言が残っている。
 「福田が旧群馬3区の選挙区に帰ったとき、夫人とともに次々に支援者と会っているところを目撃した。数時間、ぶっ通しでです。そのとき、福田が夫人に言った。『キミも疲れたろう。もう引き上げるか』と。まず夫人の気持ちを推しはかるという福田“敬妻”の面目躍如の場面でした。福田は選挙区にいるときも、必ず東京の自宅にいる夫人に1日1回は電話を入れていた。“ラブコール”とも言えたのです」
 福田はこうした三枝を、よく「わが輩の看護婦すなわち健康管理人」「コンピューターのような女性」という言い方をした。そのココロは、夫の気持ち、体調を飲み込んでいて、すぐ答えを出してくれるというモノだったらしかった。

 健康面でも人一倍、福田を気遣ったが、「麺類党」では“夫唱婦随”であった。長い間、福田と気脈を通じていた政治部記者が言った。
 「韓国を訪問したとき、福田は都合13食の食事のうち、なんと12食を麺類で済ませていた。また、副総理時代の南米歴訪では、在外公館が気を利かし、福田の行く先々ですべて麺類でもてなした。同行の役人、記者たちは途中で麺類を見るのもイヤになったが、福田のみ嬉しそうに口にしていた。夫人も相当の麺好きで、福田も交じえて一緒にそば屋に入ったことがある。まま鶏肉の入ったそばが出たのだが、この鶏肉も夫妻揃ってダメ。二人して、鶏肉を丼からつまみ出していた。夫婦とは、長い間によく似るものだと思いました。まさに、“夫唱婦随”の福田夫妻だった」

 福田は、“造語”が得意だった。「わが輩は明治38歳」「昭和元禄」「昭和の黄門」といったユーモア造語に巧みだったが、一方で「日本国は近い将来、この福田を必要とするときが必ず来る」といったような、「日本国」「天下国家」といった“書生論”の響きが伝わる言葉を、随所に発するのが特徴の政治家でもあった。永田町では珍しく、“書生の香り”がする政治家でもあったのである。

 最後に、夫妻の人間味溢れるエピソードを挙げておく。
 福田については、大蔵省官房長のときである。大蔵省の車に乗って外出した。そのとき、運転手がこんな話をした。「自分の娘は私立の名門女子大を受けて学科試験はパスしたのですが、面接でハネられました。あとで聞くと、父親である自分が運転手であることが響いたらしいのです」と。
 聞いていた福田は、大蔵省に戻ると、早速、運転手の名称改革に手をつけ、それまでの「雇員」という運転手の職分を「大蔵技官」という名称に改めさせたのだった。「大蔵技官」となれば、学校関係者も、たいそうな立場であることを連想するだろうということだった。運転手のすべてが、喜んだことは言うまでもない。いまでも、大蔵省では美談として残っている。
 それから歳月が流れ、福田は大蔵大臣として大蔵省に戻ってきた。先の運転手はすでに昇進して幹部職にあったが、あえて志願して福田の大臣専用車のハンドルを握り、福田の恩にせめてもと報いたのである。

 三枝夫人も、こうした姿勢は同様だった。福田邸には来客の手土産などが、山のように溜るのが常だった。普通なら適当に家で処分、あるいはうまく他所への手土産に使うなどの活用ということになるのだが、三枝はこれを溜めておき、毎年末、孤児院などの施設に回していたのだった。それは福田が首相を退陣するまで、20年間ほども続けられていた――。
=敬称略=(次回は大平正芳・志げ子夫人)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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