田中角栄「怒涛の戦後史」(19)元官房長官・梶山静六(下)

全国最年少の議長として茨城県議会でその辣腕ぶりが轟いていた梶山静六に、田中角栄は自ら目を付け国政入りさせた。その後、梶山が衆院議員となってわずか3年目、第2次田中内閣では首相への登龍門とも言われる内閣官房副長官ポストに就けている。

 権力の絶頂にあり、怖いものなしだった田中は、梶山をこう評していた。
「ワシの寝首をかく奴がいるとしたら、それは梶山を置いてない」

 梶山の秘めた政治家としての能力の高さに、期待と半ば警戒感さえ抱いたということだった。田中派の中で、その度胸を武器に「調整役」として異彩を放っていた金丸信(元自民党副総裁)でさえ、多士済々の派内を見渡し、やがての政治リーダーの出番について、こう唸ったものだった。

「平時の羽田(孜・元首相)、乱世の小沢(一郎・現国民民主党衆院議員)、大乱世の梶山だ」

 梶山はそれくらいの逸材だったが、田中が病魔に倒れ、これを機に事実上の政治生活を閉じるまでは、野党対策などで徹底的に田中を支え続けた。田中に恭順、もとより「寝首をかく」ことなど思いもしなかったのである。

 しかし、田中が倒れたあとは一変、その存在感を存分に見せつけたのだった。実は、その“下地”は、田中が健在の頃から見られていた。

 田中がロッキード事件を抱えていることで、田中派から総裁候補を出すことができなかった当時、梶山は田中の信頼が厚く「合わせ鏡」とまで言われた二階堂進を、田中派からの総裁候補に担ぐ動きを見せたことがあった。このときは田中の説得によって、最終的に二階堂が断念した。

 そうした中で、今度はいよいよ田中派幹部の竹下登が田中の反対を押し切る形で、田中派の“派中派”として「創政会」の立ち上げに動いた。この多数派工作に、梶山は率先して汗を流したのである。

 こうした一連の動きは田中の逆鱗に触れたが、梶山としては「総裁候補をいつまでも出せないような派閥では、早晩、衰退せざるを得ない。そのことは逆に、田中(角栄)先生の再起を完全に封じ込めることになる」との思いがあった。

 一方で、こうした田中の機嫌を損ねることも辞さずの動きをしたことで、梶山が「武闘派」の異名を頂戴したのもこの頃だった。

 その後、竹下政権が発足したが、やがて竹下派も竹下、金丸、小沢一郎、三者の間で主導権争いに発展した。このとき、梶山は小沢に向かい、「君は、しばらく謹慎しろ」と恫喝もした。

 時に、小沢は持論を一切譲らずで怖いものなしだったが、その小沢に「謹慎しろ」などと言えたのは、梶山以外にいなかったのである。

 結局、竹下政権は竹下のリクルート事件関与で退陣に追い込まれ、竹下派は竹下系と小沢系に分裂していった。梶山は竹下系に入り、その後の宇野(宗佑)、海部(俊樹)、宮澤(喜一)政権の誕生を下支えした。一方の小沢は、細川(護煕)、羽田(孜)を立てて「非自民政権」を実現させたものの、やがて潰れた。

 すると、ここで梶山は一気に橋本龍太郎首相を実現させ、政権を自民党に取り戻してみせたのである。結果、梶山はこの橋本内閣で、官房長官の重責を任されたのだった。

 田中や竹下も一目置く頭脳の持ち主であった橋本のもとで、官房長官を務めるということは、梶山がいかに「剛腕」であったかの証しでもあった。

★田中と酷似した歴史観と発想

 こうした梶山の行動規範を成していたものは、陸軍航空士官学校での戦争体験が大きかった。その影響で「御国のために何が必要なのかの一点で物を考えていた」(梶山と親しかった政治部記者)という。

 ために一時は「商工族」だった梶山は、原発推進政策の旗を振ったこともあったが、茨城県東海村で「臨界事故」が発生したのを機に原発安全神話を危ぶみ、原発行政の見直しに転じている。これもまた、原発が決して御国のためにならないとの信念からであった。

 また、橋本内閣で官房長官を務めた当時、中国の軍事演習で台湾海峡が緊迫し、自民党内から集団的自衛権行使の「検討」案が出たときは、戦中派としての歴史観から、平和国家を守るための強い意思を表明したものだった。
 例えば、次のような発言もあった。

「多少の犠牲はやむを得ないという暴論は、私はやっぱりダメだ。戦争体験というのは、じつにいやな体験ですから」(『週刊朝日』平成6年12月16日号)。あるいは「我々が自らの武力で、外国に自分の意思なり何なりを押しつけることはしない。そういうことは、これからも守っていかなきゃならない一番大切な分野だ」(平成8年3月15日の参院内閣委員会答弁)とも言っていた。

 これらの見解は、戦地で九死に一生を得た田中角栄の歴史観と酷似していた部分もあった。また、梶山の政策運営の特徴は、官僚が思いも寄らぬ発想をすることであった。これもまた田中のそれに酷似していたと言えるのである。

 戦後の混乱の大乱世に、復興へ向けての情熱をかけて惜しまなかった田中は、後年の「大乱世の梶山」について、密かに自らの情熱というバトンを受け継ぐ人物とにらんでいたとも思われる。
(本文中敬称略)

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【著者】=早大卒。永田町取材50年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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