田中角栄「怒涛の戦後史」(20)元官自民党幹事長・野中広務(下)

野中広務が小渕(恵三)第2次改造内閣で官房長官を辞し、幹事長代理として森喜朗幹事長を補佐していた平成11(1999)年、米誌「タイム」は、野中について「自民党の最高戦略家」と報じた。

 小渕政権は、スタート時には「史上最短政権か」などとメディアに揶揄されたものだが、官房長官の野中は「影の総理」などとも言われ、その内閣支持率をジリジリと上げる要因をつくっていった。

 政策的には、野中の進言により、小渕首相が振興策を中心とした沖縄対策に取り組んだことが大きく、さらに野中が汗をかいての自民党と自由党、公明党との「自自公」連立で、政権の安定を策したことが功を奏したということであった。

 その一方で、野中は「オウム事件」への素早い対応を示し、汚職事件や金融行政で揺れた大蔵省(現・財務省)や銀行に対しては断固たる態度で臨み、世論の拍手を得た。これも、動向を的確かつ機敏につかむ野中の「剛腕」ぶりによるものだった。

 振り返れば、野中はロッキード事件を引きずる「親分」の田中角栄が存命していた当時、絶対の信念として田中の今後と田中派の行く末を思い、田中に歯向かった形で同派幹部の竹下登の政権取りに加担した。

 また一方で、竹下政権誕生で足並みをそろえた小沢一郎が、その後、自民党を割り「非自民政権」としての細川(護煕)連立政権をつくったことにより、野党に突き落とされたその自民党の政権奪回への前面に立つことになった。

 政権奪回に際しては、ついには細川首相の東京佐川急便献金問題に絡んだ金銭スキャンダルを徹底追及、内閣総辞職に追い込んで、これを潰した。

 そのうえで、細川連立政権から社会党を離反させ、同党の村山富市委員長を首班に担ぐという“奇策”で、自民、社会、新党さきがけ3党による「自社さ」連立政権を誕生させ、1年足らずで自民党を政権に復帰させたのだった。

「剛腕」同士がぶつかった細川連立政権の存亡戦で、小沢を破り、その後、その小沢を引っ張り込んで「自自公」政権で小渕政権の安泰を図るなど、野中は縦横自在、まさに「タイム」誌が指摘した「自民党の最高戦略家」ぶりを遺憾なく発揮した。

 そうした野中の“剛腕”の歴史は、田中が評価していた「ケンカ上手」ぶりに彩られている。

 この「ケンカ上手」には、野中ならではの鉄則が三つあった。事にあたるに際しては、常に「捨て身」「無欲」であることが一つ。もう一つは、格下とはケンカせずの姿勢。そして、「人を裏切らぬ」ということであった。

 とりわけ「捨て身」「無欲」については、論功行賞など頭になく、失うものがない気構えだから、相手にとってはなんとも恐ろしいということになる。野中はそれについて、自らの著でこう言っている。

「欲があるから、好きなこと、正しいことが言えなくなる。他の議員たちが小沢(一郎)さんを怖がるのも、報復が怖いからだ。しかし、報復といっても、政治家として負け、政治家でなくなることぐらいのものだ。そこのところの覚悟を決めてしまえば、少なくとも刺し違えるぐらいの勝負はできる」(『我は闘う』文藝春秋刊)

★「名将の下に弱卒なし」

 そうした自信を支えたのは、知り得る「情報」の質と量であった。「自民党の最高戦略家」の一方で、当時、自民党には「田中角栄級の情報通」の見方もあった。次のような「情報通」野中のエピソードがある。

「大蔵省の高官が野党の大物と、野中の地元である京都の祇園で密かに一杯やった。翌日、早くも話が漏れて大蔵省に広がり、以後、その高官は野党の大物と距離を置き始めた。『野中が漏らした』と、もっぱらだった」

「野党議員が、京都の料理屋でメシを食った。翌日、その議員は野中と出くわすと、こう言われた。『京都には、もっとうまい店がありまっせ。今度、ぜひ、私が案内しましょう』。野党議員は身をすくめながら、言っていたそうだ。『京都は怖い』と」

「ケンカ上手」のもう一つは、「格下」とはやらぬという姿勢の徹底であったが、野中と親しかった政治部記者は、「人を裏切らぬ」ということも含めて、次のように「ケンカ上手」の“奥義”を振り返っている。

「野中は言っていた。『ケンカを仕掛ける場合は、必ず“格上”を相手にした。対等以上のポストにある政治家や大蔵省とはやるが、歯牙にかけてもしょうがないところとはやらない。自分より格下相手に勝利しても、周囲は決して拍手するものではない。また、頭角を現わすための点数にはならんから、やめておいたほうがいい』と。

 また、竹下元首相が言っていたことがある。『野中という人物は、絶対に人を裏切らない。こういう人間が一番信用される。だから野中は“大仕事”ができるということだわな』と」

「名将の下に弱卒なし」との言葉がある。これまで触れてきた金丸信、梶山静六も含めて、この野中もまた、足下に集めた田中の目に狂いはなかったということであった。

 一般社会でも、強力なリーダーのもとには、有力な部下が蝟集しているケースが多い。これは、自明の理ということになる。
(本文中敬称略)

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【著者】=早大卒。永田町取材50年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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