「全責任はこのワシが負う!」田中角栄の国難脱出大構想

戦後75年、復興を果たし、飽食生活に慣れきった中で、人類、人間への神の配剤というべきか、新型コロナウイルスという“大型爆弾”が落ちた。感染拡大を阻止するため政府の緊急事態宣言が出たことにより、いまや解雇、雇い止めなどが激増し、一挙に先の見えぬ国難状態に陥っている。

 しかし、安倍晋三政権の打ち出した諸々の対応策は後手後手が目立ち、同時に相当な時間がかかると予想される日本再建へ向けての戦略も、まったく見えてこない。

 対して、かつてこの国には、田中角栄という伝説的な政治家がいた。もし田中が総理大臣だったら、いまの国難に果たしてどんな手を打っただろうか。

 ※ ※ ※

「全責任はこのワシが負う! みなさんの生活は守る。心配はいらない。政府、国民、一緒になって、一刻も早い国の再建を図ろうではないか」

 新型コロナの感染拡大が予測される中、田中角栄の“第一声”はおそらくこういうものだったと思われる。筆者は、田中が自民党幹事長として頭角を現した頃から、亡くなるまでの24年間にわたり「田中取材」にたずさわってきた。ために、災害などを前にした田中は、まず被災地の人々にこうした形で呼びかけ、復旧、復興への決意を新たにしたことを知っている。なによりもまず、国民と正面から向き合い、抱き締めただろうということである。すべて、ここから始まるのが「角栄流」なのだ。

 一方で、緊急事態宣言が解除されても、まだ全国に行き渡らぬというアベノマスク、外出自粛のすごし方として安倍首相自身が犬を抱き、自宅のソファでくつろぐ姿をインスタグラムに投稿するなど、現政権の失策は枚挙にいとまがない。国民からソッポを向かれた公費466億円を投じたマスク費用は、ドブに捨てたも同然である。インスタグラム問題でも、今後の生活危機と向き合う深刻な国民からすれば、その感覚は相容れないだろうと思われる。田中には、まったくない発想である。

 そのうえで決断と実行、すべからくスピード感が持ち味だった田中がまずやったのは、与野党、各省庁と糾合した「日本再建本部」の立ち上げだろう。田中自身が本部長となり、後藤田正晴で官僚組織を押さえ、竹下登が与野党対策に回り、厚生大臣(現・厚労大臣)当時でもその実績はピカ一だった橋本龍太郎が医療関係と向き合う。また、世界に広まったコロナ禍の中で今後の通商政策に手を打っておくために、大平正芳を外交担当と役割りを決め、それぞれに全権を委ねたはずだ。そして、ここでも「全責任はワシが負う。存分に取り組んでくれ」と“大将”としての度量を示したに違いない。

 最大の問題は、緊急事態宣言の発令は当然ながら、それに伴う休業補償などを含めた緊急経済対策となる。経済・財政問題はもとより田中の自家薬籠中のものだが、路線はいささか異なるものの福田赳夫に任せる可能性もある。ここでもライバルだが排除せず、経済・財政通の福田の知恵を借りるだけの度量が、田中にはあるということだ。

 さて、こうして発足した「日本再建本部」は、与野党、官僚の協力を得て、直ちに「日本再建20年計画」を取りまとめ、まずいくつかの再建関連法案の早期成立に全力を挙げることになるだろう。再建20年計画は2045年にすべての都道府県で、高齢化率が30%を超えると予測されていることなどから、地方経済のさらなる衰退に歯止めをかけるという先々までにらんだ計画となる。ここでは、改めて東京一極集中の是正を目指す「新・日本列島改造論」へ踏み込んだものになるといってよさそうである。

 一方、当面の休業補償などの緊急経済対策では、安倍政権のように財源が足りないと閣議決定をやり直し、予算案の組み替えという失態などは100%あり得ない。また、1次補正予算で足りなかったから、すぐまた2次補正を組むなどという体たらくもあり得ない。ここでは、戦略なき対応を露呈したことになる。さらに、1次、2次補正を合わせての財政出動(真水)は57兆円超だが、田中なら初めからドンと200兆円、安倍政権のじつに4倍ほどを出動させ、まず国民の生活を守ることに全力を挙げたであろう。

 田中は常々、こう言ってはばからなかった。
「カネというものはチマチマ使うより、ここぞというとき一気に使うべきだ。そのほうが効果は何倍も大きい。そのうえで腹が決まったら、すぐ実行するのがワシの流儀だ」

★被災地視察のべらぼう秘話

 一方で、田中角栄は「災害などの危機に強い男」として定評があった。財源などを含め、素早い意思決定による善後策への対応である。これについて、田中が口にしたことがある。
「ワシの目標は、年寄りも孫も一緒に楽しく暮らせる世の中をつくることだ。これ以外はない。国民のための政治がやりたいのだ」

 なるほど、「災害などの危機に強い男」のエピソードは、多々ある。例えば、昭和39(1964)年、田中が大蔵大臣(現・財務大臣)のとき、二ケタの死者が出た「新潟地震」があった。新潟は田中の地元であり、発生から約1年後、筆者は田中の強大無比の後援会「越山会」の幹部を取材、次のようなべらぼうな話を聞いたものであった。

「地震による河川の決壊があり、付近住民は大混乱に陥った。なんと、その決壊したその日のうちに田中先生が現地入りしてきた。

 ゴム長靴の先生の後ろにピタッと付いておったのが、時の大蔵省主計局長の相澤英之だった。驚いたのは、当然だ。現職の大蔵大臣と、国家予算に絶大な権限がある主計局長の2人が田舎の洪水に駆けつける。田中先生は、逐一『あれはこのくらいの予算付けが必要だ』といった具合に指示していた。結果、河川の改修から住民の移転補償まで、あっという間に片づいた」

 さらに、それから3年後には、山形県南部から新潟県北部にかけての「羽越豪雨」があった。死者100人以上、家屋の全半壊3300棟以上、床上・床下浸水被害は9万棟近くに及んだ。時に、田中は幹事長を辞めたばかり。現地視察のあと、もはや3000人ほどの住民には集団移転しか道がないとして、次のような「知恵」と「発想」で、対応指示を出したのだった。そうした対応について、当時、毎日新聞新潟支局の若手記者だった牧太郎(現・毎日新聞客員編集委員)が、その際における「角栄流」の凄さを記している。

「田中はまず、住民に『危ないから安全なところへ行こう! 集団移転しよう! カネの心配はいらない。これは、公共事業である。国から資金をもらって、自分たちの新天地をつくるんだ!』と強く訴えていた。

 田中が凄いのは、こうして集団移転を、国のカネで行う公共事業にしてしまうことだった。しかも、移転や住宅建設の事業を地元企業に請け負わせ、さらにその作業員として集団移転する被災者を雇用させた。これにより地元経済は活性化し、被災者たちの失業対策にもなった。

 当時は集団移転に対する国の財政上の補助制度はなかったが、頭をひねって公共事業として対応するという、田中の発想力の凄さを見た思いだった」(『SAPIO』平成23年9月14日号=要約)

★財源確保は「受益者負担」

 さて、安倍政権の腰の引けた財政出動に対し、先に田中角栄なら初めからドンと200兆円ほどの大型補正を打って国民の安心感を買うだろうと記したが、最大の問題となる財源は、さしもの田中でも赤字国債で対応せざるを得ないだろう。

 例えば、これには大きなインフレ懸念が付きまとうが、いまのデフレ状態の日本経済なら、まずインフレにはならないという読みがありそうだ。いい例が安倍政権で、第2次政権後は毎年平均50兆円超の国債保有を続けてきたが、インフレにはなっていないという現状もある。

 そうした一方で、田中は「日本再建20年計画」の中で、赤字国債だけに頼らず、あらゆる財源を模索するものと思われる。

 政治というものは、突き詰めれば「税」「税制」と、どう向かい合うかに尽きる。その点、田中は税、税制についての天才、言うなれば“魔術師”である。財務(大蔵)官僚は「財源がないから」とカネを出し渋るのが常だが、田中は誰もが考えつかない自らの知恵で財源を生み出すのである。

 このいい例は昭和27(1952)年、田中が日本復興には道路整備が不可欠と、その財源を捻出するために「ガソリン税」を議員立法で成立させたことに見ることができる。昭和24年度時点の国道・都道府県道の舗装率はわずか2.1%で、当時「これを全部舗装するには100年以上かかる」とされていたものが、これにより、田中が財源を生み出したことで舗装がはかどり、復興のピッチが一気に進んだのである。

 また、そのうえで注目すべきは、財源の多くを「受益者負担」としたことである。「ガソリン税」は安くはなかったが、舗装道路を使うドライバーが税を支払うという形にして、“増税”には公平性を重んじるというのが「角栄流」なのだ。

 今後20年間にわたる再建策の中で、こうした「受益者負担」で公平性を求め、言うなら200兆円の巨額の財政出動のツケを、国民すべてに“増税”で返してもらうという手法は、田中にはないということである。

★「政治は吹き過ぎていく風でいい」

 そして最後に、筆者は田中角栄による「日本再建20年計画」の“仕上げ”は、おそらく「道州制」になるのでは、と見ている。

 ここが、田中が並みの政治家と発想が違う点で、「赤字国債」「受益者負担」という財政運営の一方で、地方の活性化による日本経済の底上げも不可欠ととらえているのである。今回の補正で、安倍政権は2兆円の地方への交付金を積んだが、長年続けてきた地方への交付金、補助金のバラマキは、地方の活性化には実質的には何も役に立ってこなかったことが明らかになっている。今回の2兆円も、結局は“バラマキ”に終わる懸念があるのだ。

 また、現在の都道府県単位での小さい経済規模では、経済の活性化には限界がある。地域の単位を道州制として大きくすれば、増えた交付金、補助金も効果的に使え、自治権もいまとは比較にならぬ強さとなる。地域特有の経済発展も、また望めるということにもつながる。

 ために、頭の切り替えの早い田中は、経済の成長期が終わったいま、東京一極集中の中央集権政治を改め、真の地方自治の確立も合わせて目指すだろう。国土の平準化の中での経済の発展、強いては、巨額のツケを残すことになる財政出動の穴埋めも可能と読んだに違いない。それはまた、かつて田中が夢見た国土の改造、すなわち「新・日本列島改造論」への再挑戦ということにもなるだろう。

 こうした日本の20年先の再建まで見通した発想が、果たして今回、安倍政権の一連の対応策に戦略としてあったかどうか、なんとも疑問視される。単なる血税乱費の印象がぬぐえないのである。

 そもそも、解雇や雇い止め、倒産という国民の“土俵際”の一方で、「議員歳費2割返納」だけでよく済まされるというのが、筆者の見方である。年間「4000万円プレーヤー」の国会議員なら、歳費の2割返納など痛くも痒くもない。能力もなく、ろくに議員としての活動もしていないご仁も、決して少なくないのが現状だ。

 加えて、この期に解散・総選挙などは不可能であり、年間300億円の政党助成金も一時ストップ、返納が筋というものだろう。田中なら、そのくらいの決断はやりそうだ。その分を、これからの日本を背負う優秀な困窮学生の支援にでも回したほうが、よっぽど生きるということである。

 政治そのものも、政治家もまた、「劣化」が言われて久しいのが、いまのこの国である。全盛期の田中のこんな声が残っている。

「一人一人の意志をくみ上げるのが民主主義というなら、医者を見ろ。一人一人の脈を診るじゃないか。政治家なら、みんなの脈を診るべきだろう。日本国民のレベルは高いぞ。その国民を無視して、大衆はバカだとか言って利益のみを追っているようなヤツは、必ず潰れる。また、唯我独尊的となり、行政は万能であるというような考えを持つとしたら、それは極めて危険ということだ。

 いい政治というのは、国民生活の片隅にそっとあるものだ。吹き過ぎていく風。政治というものは、それでいいのだ」

 功罪半ばの見方もあった田中角栄だったが、すべての国づくりのヒントは「田中政治」にあるといって過言ではない。(文中敬称略)

関連記事(外部サイト)