まるで韓流映画のような面白さ! 政治学者・姜尚中氏も絶賛する韓国発のノンフィクション

政治学者の姜尚中氏

「まるで韓流映画のような迫力とドラマ性。思わず一気読みしてしまった。大傑作だ」

2021年5月に発売されたノンフィクション『ある北朝鮮テロリストの生と死』(集英社新書)の帯には、このような熱い推薦コメントが載っている。寄せたのは政治学者の姜尚中氏(東京大学名誉教授)だ。

ひとりの北朝鮮工作員の人生を描いたこの本から、われわれ日本人が学べることは何だろうか。姜尚中氏にお話を伺った。

 * * *

――推薦コメントの勢いに驚きました。大絶賛ですね。

姜 ちょっと大げさに書き過ぎたかもしれません(笑)。ただ、傑作だと思ったのは事実です。少しでも多くの人に興味を持ってもらいたくて、思い切ってみました。

――北朝鮮のテロリストが主人公なんですね。

姜 この本の主人公は、1983年に当時の韓国大統領・全(チョン)斗(ドゥ)煥(ファン)氏を狙って爆弾テロ事件を企てた北朝鮮の特殊工作員です。運よく全斗煥氏は被害を免れましたが、政府高官を含めて合計60名以上の死傷者を出す大惨事となりました。

――そんな凶悪なテロリストを扱った本に、なぜ推薦を?

姜 もともとは韓国語の本で、今回刊行されたのはその翻訳版なのですが、韓国語版の著者である羅(ラ)鍾(ジョン)一(イル)氏とは直接の知り合いでした。彼は駐日本大使も経験したことがある人物で、かつて金大中政権の頃には、国家情報院で北朝鮮担当次長を務めていました。

――国家情報院といえば、アメリカのCIAにも喩えられる韓国の情報機関です。

姜 そうした経歴の著者ですから、北朝鮮の実態については、日本にいる僕なんかよりも遥かに良く知っています。その記述の詳細さや、筆致の冷静さは本当に素晴らしい。例えば、北朝鮮特殊工作部隊の想像を絶するような過酷な訓練や、隠密活動の実態についても具体的に、そして生々しく書かれています。

当然ながら、この本には北朝鮮という国に対する幻想はまったくありません。しかし同時に、変なバイアスもまったくかかっていないので、単なる北朝鮮批判にもなっていません。結果的に、北朝鮮についてフラットな視点で見つめ、学ぶための非常に優れた入門書になっていると思います。

ただし、絶賛した理由はそれだけではありません。本書は日本の読者に是非とも読んでもらいたい、そんな大きな問題を正面から扱っているのです。

――どのようなテーマでしょうか。

姜 それは「個人と国家の関係」という、きわめて普遍的な問題です。本書の主人公であるカン・ミンチョルは北朝鮮によってテロリストに仕立て上げられ、全斗煥大統領の暗殺を試みました。しかし計画が失敗に終わり、様々な物証から事件が北朝鮮の仕業であることが露見すると、当の北朝鮮は知らぬふりを決め込んで、「自分たちはカン・ミンチョルとは無関係だ」と主張し始めました。

――まるで鉄砲玉のように扱われた挙句、祖国から見捨てられてしまったのですね......。

姜 国家というものには、全く異なるふたつの顔があります。ひとつは権力であり、暴力装置であるという側面です。そしてもうひとつは、ある人にとっての祖国・母国としての顔です。いわば、「この国のためには我が身を捨てても良いんだ」と思えるような、アイデンティティの帰属先としての共同体ですね。

本書の後半部分では、終身刑を宣告されて刑務所に入れられたカン・ミンチョルのその後に焦点を当てて、その孤独に寄り添う形で記述が展開されます。カン・ミンチョルというひとりの男の涙を拭ってあげられない祖国というのはいったい何なんだろうと。その政治とは何なんだろうか、ということが切々と綴られるのです。

――国家命令でテロを起こしたわけですから、改めて考えると理不尽な話にも見えてきます。

姜 もちろん、彼は大量殺人を犯した凶悪犯罪者です。その点では、彼に釈明の余地はありません。しかし、彼は国家からの命令を受けて、それを忠実に実行しただけだというのもまた事実です。そして、本来は最も非難されるべき北朝鮮という彼の母国は、実行犯である彼を切り捨てることで責任を逃れようとした。

カン・ミンチョルは事件が北朝鮮の仕業であることを証言するとともに、自らの行いを深く悔いて、第二の人生を歩み始めます。そんな彼に対して、韓国の側でも人道的な配慮を見せようとする動きがありましたが、「政治的な判断」でそれも立ち消えてしまった。

結果的に、カン・ミンチョルは死ぬまで刑務所の中で、およそ四半世紀にわたり、ひとり寂しく余生を送ることになりました。南北関係の対立と矛盾の中で翻弄されたあげく、存在がタブー化して同胞から忘れ去られてしまったひとりの男性。この物語を初めて読んだ時に、私は「身捨つるほどの祖国はありや」という寺山修司の言葉が頭の中に浮かびました。

ある面から見れば、このノンフィクションは『愛の不時着』と同じ問題を描こうとしているのかもしれませんね。

――『愛の不時着』といえば、2020年に日本でも人気を博した韓流ドラマです。韓国の財閥令嬢がパラグライダー操縦中に不時着してしまい、そこで偶然出会った北朝鮮軍人との間に国境を越えて愛が芽生える、というラブストーリーでした。

姜 『愛の不時着』と本書に共通している点とは何か。それは、どれだけ先になるかわかりませんが、いずれ朝鮮半島で南北統一が実現する時に、まったく別世界に生きている人々が何に基づいて一緒になるのか、という問いを先取りして描こうとしていることだと思います。その時には国家のロジックではなくて、そこに住んでいるひとりひとりの人間のロジックこそが優先されなければいけないのではないか、と。

『愛の不時着』では、その答えは「愛」ということだったと思います。しかも象徴的なのは、結局、北と南の政治的なロジックの延長上では、主人公ふたりの希望は成し遂げられなかった。最終的に、ヒロインと北朝鮮将校のふたりは韓国でも北朝鮮でもなく、スイスで1年に2週間だけ会うことにする、という展開でしたよね。

スイスという具体的な地名を取っていますけれども、これはある種の仮想空間として考えるべきでしょう。つまり、生身の人間同士の「愛」の論理によってお互いが結びつくような場所、といった意味合いではないかな。

――スイスというのは一種の象徴的な空間だという解釈ですね。

姜 本書でも、「個人」という言葉が何度も繰り返し強調されています。北朝鮮側も韓国側も、実行犯のカン・ミンチョルという男に対する、いわば一人の生身の個人に対する眼差しを見失ってしまった。そして国家の論理、あるいは相手を打ち負かそうとする対立の論理に飲み込まれてしまった。

大きなものの見方で見ていると、そこから零れ落ちてしまう彼のような存在がある。真の意味で北と南がひとつになろうとするならば、国家の政治的な論理ではなくて、そこに住んでいるひとりひとりの人間こそが優先されなければいけないのだ、と。

南北がお互いに、「個人の尊厳」や「国家と個人の関係」といったことを突き詰めて考えられるか。それだけの国民的な成熟は達成できているのかどうか。僕には羅先生がこんな問いかけを発しているように見えました。

――なるほど、そう考えると確かにすごく普遍的な問いを突き付けている本ですね。

姜 日本にとっても、置かれている状況は韓国とは違いますが、「個人とは何か」「国家とは何か」、そして「個人と国家の関係とはどのようなものであるべきか」といった問いは非常に大切なものです。

特に、この一連のコロナ禍の中で、私たちはこうした問いに日々向き合い続けているとも言えます。そんな今の状況でこそ、むしろこの本から学ぶことは多いのかもしれません。是非とも手に取ってみてもらいたい一冊です。

■姜尚中(KANG SANG−JUNG)
1950年熊本生まれ。東京大学名誉教授。鎮西学院学院長、熊本県立劇場理事長兼館長。専門は政治学・政治思想史。著書は100万部超の『悩む力』とその続編『続・悩む力』『母の教え』ほか、『マックス・ウェーバーと近代』『ナショナリズム』『増補版 日朝関係の克服』『在日』『リーダーは半歩前を歩け』『心の力』『悪の力』『維新の影』『朝鮮半島と日本の未来』など。小説作品に『母―オモニ―』『心』がある。

文責/集英社新書編集部 写真/熊谷貫

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