私を国会で恫喝した故・仙谷由人氏の実像「彼が健在なら野党再編のキーマンになったはずだ」

私を国会で恫喝した故・仙谷由人氏の実像「彼が健在なら野党再編のキーマンになったはずだ」

「私が大臣補佐官として仙谷氏に仕えていたら、財務省と戦い、さらに、原発を止められたかもしれない」と語る古賀茂明氏

『週刊プレイボーイ』でコラム「古賀政経塾!!」を連載中の経済産業省元幹部官僚・古賀茂明氏。古賀氏がメディアで大きくクローズアップされたのは、2010年10月、当時官房長官だった仙谷由人氏が国会で古賀氏に放った"恫喝"発言がきっかけだった。

あれからちょうど8年の10月11日、仙谷氏が肺がんでこの世を去った。古賀氏は今、彼の死に何を思うのか? 赤裸々に語ってもらった。

■民主党随一のリアリストだった

10月11日、内閣官房長官や法務大臣などを歴任した元民主党の仙谷由人(せんごく・よしと)元衆院議員が肺がんで亡くなった。それから、多くの人に仙石氏について「どんな人だった?」と聞かれる。

私が現役官僚時代に仙谷氏とじっくり話したのは、彼が2009年9月の民主党政権誕生時に行政刷新担当相に就任する前後の3回だけだ。それでも人々がそんな質問をしてくるのは、国会での私と仙谷氏の「あの」やりとりが人々に強烈な印象を残しているからだろう。

2010年10月15日、私は参院予算委員会に参考人として呼ばれた。その1年前まで、国家公務員制度改革推進本部の審議官として天下り禁止や幹部職員の降格制度導入などを含む国家公務員法改正案を作っていたこともあって、旧みんなの党の小野次郎議員から公務員制度改革の現状をどう評価するかと問われたのだ。

詳しい説明は省くが、当時、霞が関の官僚たちは、天下りあっせんが禁止されたことを受けて、なんとかその規制の抜け道を作ろうと必死だった。そのリーダーであった財務省の圧力に負けて、民主党政権は「現役出向制度」を悪用し、天下りを事実上拡大させていた。私としては「公務員制度は民主党政権下で悪しき方向へと後退している」と答えるほかはなかった。

官房長官だった仙谷氏から驚くべき答弁が飛び出したのは、その直後のことだった。

「こういう場に古賀さんを呼び出すやり方は、はなはだ彼の将来を傷つける。優秀な人であるだけに、とても残念だ」

当時、仙谷氏は「影の総理」と呼ばれていたほど政権の実力者だっただけに、そんなことを言われたら公務員はみんな震え上がってしまう。私もその発言を聞いた瞬間は凍りつくような思いをしたものだ。

ただ、発言の内容そのものには驚かなかった。その1年ほど前に、「仙谷氏は本気で行政改革を進める覚悟はないな」と身をもって体験したからだ。

仙谷氏は鳩山内閣(09年から10年まで)で行政刷新担当大臣になった。その就任直前、知人を通じて仙谷氏から「会いたい」と連絡があったのは09年8月末のことだった。

仙谷氏から指定された会合場所は東京・早稲田のリーガロイヤルホテルのスイートルームだった。仙谷氏は社会党出身の議員で、お金には縁遠いと思っていただけに、ちょっと意外だった。その場で、政策立案に協力してほしいと言われた。

2回目の会談は、ホテルニューオータニの会議室だった。印象的だったのは私が持参した改革案リストを仙谷氏がすごく面白がってくれたことだ。「それはいい。あれもやりたい。これもやろう」と、ノリノリだった。その場で次回会合までに行政刷新会議と事務局両方のメンバー候補リストを作成するように頼まれた。

ところが、3度目の会合で、それまでのすべての話はご破算となってしまった。私は仙谷氏に2時間半も待たされた挙句、世間話を交わしただけで帰されてしまったのだ。翌日に予定されていた大臣補佐官発令の話もなくなった。直後に、政務の秘書官から、「大変申し訳ない。こんな屈辱的な経験は初めてだ」と詫(わ)びの電話が入った。

後でわかったことだが、財務省にねじ込まれて、私の補佐官就任を断念させられたとのことだった。私が補佐官になれば、官僚の利権に本気で切り込まれると恐れたのだ。

仙谷氏には財務省の反対を押し切って私を補佐官に登用し、改革を進める選択肢もあった。だが、仙谷氏が選んだのは財務省の要求を聞き入れ、その代わりに財務省のパワーを利用して自己の政治基盤を強化するという手法だった。

就任早々に着手して評判となった「事業仕分け」も、すべては裏で財務省が取り仕切った。仙谷氏は財務省のシナリオどおりに動くだけで、霞が関が抵抗する「事業仕分け」を断行できるというわけだ。

この一件で、当初は「外様」閣僚といわれた仙谷氏の政治力は格段にアップした。その後、仙谷氏の執務室には多くの若手議員や官僚が訪れ、「仙谷詣で」という言葉も生まれた。

仙谷氏は小沢一郎氏とも熾烈(しれつ)な党内抗争を繰り広げたが、そのパワーは財務省と手を組んだことで培われたというのが私の見立てだ。

「政治主導」の看板の裏で、財務省とケンカせずに、そのパワーを逆に利用する。そんな芸当ができる仙谷氏は、政策にはこだわらず、大局から政治をするリアリストだった。

■野党再編のキーマンになれたはず

ただ、民主党はその後、公約になかった消費増税などを打ち出して失速するなど、政治主導を発揮できないまま、わずか3年で政権を失った。財務省を丸め込んだつもりで、実は財務省に逆コントロールされてしまったのだ。そして、仙谷氏には、その失敗についての大きな責任があると言わざるをえない。

とはいえ、それでも仙石氏は剛腕政治家だった。そんな人物は民主党には、ほとんどいなかった。民主党政権が続いていれば、首相の目もあっただろう。そうでなくても、12年の総選挙で落選しなければ、今頃、野党再編のキーマンになっていたはずだ。

福島第一原発事故直後に、私が発表した東電破綻処理のスキーム案を、民主党内で真っ先に評価してくれたのも仙谷氏だったそうだが、実現はできなかった。大飯(おおい)原発を動かしたのも仙谷氏である。

私が大臣補佐官として仙谷氏に仕えていたら、財務省と戦い、さらに、原発を止められたかもしれない。そう考えると、悔しく、また寂しい気分になる。

享年72歳。早すぎる死だった。心から冥福を祈りたい。

●古賀茂明(こが・しげあき)
1955年生まれ、長崎県出身。経済産業省の元官僚。霞が関の改革派のリーダーだったが、民主党政権と対立して11年に退官。新著は『日本中枢の狂謀』(講談社)。ウェブサイト『Synapse』にて動画「古賀茂明の時事・政策リテラシー向上ゼミ」を配信中

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