フランス紙記者が見る日韓対立「徴用工問題と似たようなことが戦後のヨーロッパでも起きていた」

フランス紙記者が見る日韓対立「徴用工問題と似たようなことが戦後のヨーロッパでも起きていた」

「フランスでも第二次大戦の『隠れた被害者』の存在は、1960年代後半まで表面化しなかった」と語るメスメール氏

悪化の一途をたどり、改善の糸口も見えない日韓関係。日本と韓国の双方を取材するヨーロッパメディアのジャーナリストはこの問題を客観的にどう見ているのか? 「週プレ外国人記者クラブ」第144回は、フランス「ル・モンド」紙の東京特派員、フィリップ・メスメール氏に聞いた――。

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──いわゆる「徴用工訴訟問題」に端を発した今回の日韓対立を、メスメールさんはどう見ていますか?

メスメール 徴用工訴訟問題は、日韓双方が輸出管理の優遇対象国から排除する「貿易問題」や、韓国政府によるGSOMIA(軍事情報包括保護協定)の破棄という「安全保障問題」といった、まったく別の問題にまで発展しています。私が気になるのは、両国の「対立」ばかりが注目されていて、個々の問題を切り分けた冷静な議論が行なわれていない点です。

政府、民間の両面で関係が修復不能に陥らないための努力が続いていて、話し合いのチャンネルが完全に閉ざされてしまったわけではありませんが、ここまでこじれると修復にはかなりの時間が必要でしょう。

両国の対立が深まった経緯を振り返ると、昨年10月に韓国の最高裁にあたる「大法院」が日本製鉄に対し、戦時中、徴用工として動員された韓国人4人へ1人あたり約1000万円の損害賠償を命じた判決がきっかけでした。この判決に対して、日本政府は徴用工への補償問題は「1965年の日韓請求権協定ですべて解決済み」と主張し、「司法の判断を尊重する」とする韓国政府と激しく対立しています。

ここで検証する必要があるのは、日韓請求権協定が結ばれた1965年当時の韓国の状況です。この合意は、日韓の和解を強く望んでいたアメリカの強い意向を受け、当時、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の独裁政権下にあった韓国と日本政府の間で結ばれたものです。このとき、朝鮮戦争で荒廃した韓国は戦後復興のために巨額の資金援助が必要な状況でした。一方、すでに戦後の経済成長が軌道に乗り始めていた日本は新たなマーケットを求めていて、韓国はそのひとつでした。

個人への補償分も含め、日本政府が韓国に巨額の賠償金を支払う形で合意に至ったわけですが、朴政権は経済復興を優先し、賠償金の大部分をインフラの建設などに使ったため、戦争や日本統治下での被害者には十分な補償が行なわれなかった。当然、「その責任は誰にあるのか?」という議論はあるでしょう。ただし、韓国には日本統治下で徴用工として働きながら未だに補償を受けられていない人たちが存在するというのは紛れもない事実で、人権的な観点で言えば、彼らが救済を求めて声を上げる権利そのものは否定できないと思います。

もうひとつ考慮しなければいけないのは、日韓請求権協定が結ばれた当時の韓国には、「自らの被害を名乗り出られずにいた人たち」が数多くいたという点です。これは従軍慰安婦問題にも共通することですが、韓国には戦後長い間、日本統治下で自分が徴用工や従軍慰安婦として働かされたことを心理的に「恥」と感じ、その事実を隠していた人たちが少なくありませんでした。

そうした「隠れた被害者」たちが、ようやく公に声を上げられるようになったのは独裁政権が終わり、民主化が始まった80年代後半に入ってから。つまり、日韓請求権協定が結ばれた65年時点で彼らの被害は表面化していなかったのです。

──65年時点では明らかになっていなかった「被害」があり、彼らが未だに補償を受けられずにいるという現実は無視できないと?

メスメール 第二次大戦後のヨーロッパでもこれと似たようなことが起きていて、戦争中に迫害されたユダヤ人の中にも、終戦直後には心理的な被害を名乗り出ることができなかった人たちが数多くいました。第二次大戦中にナチスの占領下にあったフランスでもユダヤ人に対する迫害はあり、その被害者たちの存在は1960年代後半になるまで、なかなか表面化しませんでした。

先日亡くなったシラク元大統領が、戦時中のユダヤ人迫害に対する政府の責任を初めて認めて謝罪したのは、終戦から半世紀を経た1995年のこと。このように、戦争や植民地支配などが残した傷は戦争が終わると同時に全貌が明らかになるわけではなく、30年、40年という長い年月を経て表面化するものも少なくないのです。過去の戦争や植民地支配がもたらした傷は、条約や賠償金だけで癒えるものではなく、それで不幸な歴史が消えてしまうわけでもありません。

例えば、ポーランドへの戦後補償についてドイツは「政治的・法的に解決済み」という立場を取っています。それでもナチス・ドイツのポーランド侵攻から80年の節目にポーランドで行なわれた、今年9月1日の式典にはドイツのシュタインマイヤー大統領が出席し、「かつて、独裁国家だったドイツの犠牲者となったポーランド国民の前に私は頭を下げ、許しを乞う」とポーランド語で謝罪の言葉を述べました。日本の安倍首相もアメリカに対しては、ハワイの真珠湾を訪問したときに、真珠湾攻撃の犠牲者たちに頭を下げ、哀悼の意を表していたではありませんか。

おそらく、日本政府が韓国に対してこれだけ強硬な態度を取っているのは、元徴用工の個人的請求権を認め日本企業への賠償を求めた韓国大法院の判決が、今後、他の日本企業への大量提訴に発展することを危惧しているからでしょう。しかし、そうした「現実的な理由」を差し引いても、両国間の歴史的背景を考えれば、強硬な態度が韓国側の強い反発を招くことは、日本政府にとって十分に予想できたことだと思います。

ちなみに日中間の徴用工問題について言えば、1972年の日中共同声明で解決済みということになっていますが、2000年代に入ってから、戦時中の中国人強制徴用について西松建設や三菱マテリアルなどの日本企業が賠償や和解に応じているケースもあります。

いずれにせよ、「補償の責任が誰にあるのか」という議論はともかく、徴用工の問題が「日本の植民地支配下で起きた」という歴史的背景があるのですから、日本政府は「補償問題はすべて解決済み」という公式な立場を頑なに繰り返すだけでなく、この問題の「当事者のひとり」として韓国政府と協力し、被害者の救済のためにあらゆる可能性を検討する必要があると思います。そのためには日韓両国がお互いをリスペクトする姿勢が欠かせませんが、現状はそれとは程遠いところにあるのが残念です。

──「嫌韓」や「反日」といった言葉に代表される、両国の感情的な対立の背景には何があると思いますか?

メスメール その点に関しては2点ほど指摘したいと思います。ひとつは、日韓両国の首脳の、あまりにも対照的な政治的バックグラウンドの存在です。

日本の戦争責任や従来の歴史認識に否定的な「右派的ナショナリズム」を背後に抱える安倍首相は、日本会議などに象徴される右派の支持を得るために、今回の徴用工を巡る問題でも、韓国に対して常に強硬な態度を取り続ける必要がある。

一方、学生時代から韓国の民主化運動に関わり、長く人権派弁護士として活動してきた経歴を持つ文在寅大統領にとっては、旧日本軍の朝鮮人将校だった朴正煕大統領が交わした日韓請求権協定は、忌まわしい独裁政権時代の遺物だと感じているはずです。こうした韓国の「左派的ナショナリズム」を背景に持つ彼も、日本に対して強硬な態度を貫かざるを得ない。

こうした日韓のリーダーの「極端に異なる政治的背景」が対立を必要以上に悪化させ、両国民の間に感情的な対立を引き起こしているように感じます。

──では、もうひとつのポイントは?

メスメール もうひとつは「メディアの問題」です。先日、大きな批判を受けた「韓国なんていらない」という週刊誌の特集が象徴的ですが、テレビや新聞、ラジオなども連日のように日韓対立を報じている。

しかし、冒頭でも述べたように、その多くは個々の対立点について丁寧な検証を行なうのではなく、単に日本政府や韓国側の公式見解を伝えるだけのものや、相手側の問題を批判するだけで、この問題について国民が深く理解し、議論するための材料を提供しているとは言い難い。しかし、本当はそれこそがジャーナリズムの果たすべき大切な役割のはずで、こうしたメディアの現状も両国の感情的な対立を深めている、大きな要因ではないかと思います。

繰り返しますが、過去の戦争や植民地支配によって生まれた傷は、簡単に癒えるものではありません。それは日韓の問題だけでなく、フランスを含め、かつて多くの植民地を支配したヨーロッパの国々も、そうした歴史がもたらした被害について、すべての責任を果たしているとは言い難い。その傷を癒すためには、過去の歴史と正面から向き合うことが必要ですし、何よりもお互いが敬意を持って、丁寧な対話を続けていくしかない。それは簡単なことではないと思いますが、結局、それ以外に解決の道はないと思います。

●フィリップ・メスメール
1972年生まれ、フランス・パリ出身。2002年に来日し、夕刊紙「ル・モンド」や雑誌「レクスプレス」の東京特派員として活動している

取材・文/川喜田 研 撮影/長尾 迪

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