「歴史戦」と「思想戦」の驚くべき共通点とは? 山崎雅弘×内田樹対談<後編>

対談を行った山崎雅弘氏(右)と内田樹氏(左)
この数年来国内外で繰り広げられている、戦闘的な言論活動ともいえる「歴史戦」と、1930〜40年代当時の日本政府と軍部による宣伝活動「思想戦」。

先に配信した前編に引き続き、このふたつの"戦い"の類似点を具体例を挙げて検証し話題の『歴史戦と思想戦』(集英社新書)を上梓した山崎雅弘氏と、『街場の戦争論』などの著書で知られる思想家・内田樹氏の対談後編を配信!

(本対談は昨年に大阪・隆祥館書店にて開催されたイベントの内容を収録。集英社新書編集部が構成しています)

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■変質する90年代以降の歴史修正主義

内田 その後、21世紀に入って、国力が急激に低下してきて、誇るものがなくなってきた。そうなると、「日本スゴイ」と自分で自分に言い聞かせないと、国際社会からは敬意を示されなくなった。国力があったので驕りたかぶったのが80〜90年代の歴史修正主義。国力が衰えて、夜郎自大になるしかなくなったのが21世紀の歴史修正主義。そういう二種類があったんじゃないですか。

山崎 僕もそう思います。特に90年代以降は小林よしのりの漫画もありました。あれも一つの大きなターニングポイントだったと思います。

内田 『ゴーマニズム宣言』と『戦争論』ですね。

山崎 そう。南京虐殺や慰安婦問題など、いま日本で語られている歴史修正、つまり大日本帝国擁護の言説の原型は、全部あの漫画にあります。それまで国内のごく一部で語られていた異端の言説を、読者の感情に訴えかけるセンセーショナルな絵柄とセットで表現した。

今から10年ほど前に育鵬社という出版社が「新しい日本の歴史」という教科書を出しました。この出版社は、フジサンケイグループの扶桑社の100%子会社で、もう完全に日本会議系の人たちの考えとシンクロした教科書を出しています。

もともと「新しい教科書をつくる会」という組織があり、育鵬社は、そこと袂を分かって生まれました。当時、小林よしのりは、その「新しい教科書をつくる会」に参加していました。

内田 小林よしのりがキーパーソンでしたね。

山崎 彼が読者の心に植え付けたイメージは強烈だったと思います。

内田 それまで歴史修正主義者がどんなものを書いても、学術的な体裁を取っている限り、セールスにも限りがある。それがいきなりミリオンセラーですから。

山崎 そうです。しかもこれらの歴史問題は「自分たちの国の誇りにかかわる問題だ」というアプローチでもあったので、当時若者としてそれを読んだ人が、年をとって今おそらく「歴史戦」の前線に出て「戦っている」のだろうと思います。

■相手の戦いの文脈に乗らない

山崎 たとえば韓国の政府あるいは民間人が、あの戦争中の、あるいは日本統治時代の問題について日本側に対して謝罪要求したり賠償を要求したりする場合、彼らが怒っている対象は「大日本帝国」なんですよね。もちろん戦後の日本政府は大日本帝国政府の責任を継承しているわけですが、こうした批判を「韓国の反日活動」、つまり現在の日本全体に対する攻撃という間違った文脈でメディアが取り上げると、一般の日本人は「自分たちが韓国に攻撃されている」と感じ、不快感を覚える。「あいつらは信用できない」という形で韓国人への反感を煽られてしまう。この状況を利用しているのが「歴史戦」を展開する論客や出版社です。しかし実際には「現在の日本vs韓国の戦い」ではないのです。

去年の秋に内田さんと一緒に韓国を旅行しましたが、その時に知り合った女性は、元慰安婦の支援活動をされている一方で、日本が大好きな人でした。頻繁に日本に来て、食べ歩きしたり友達と会ったりしているそうです。つまり、「元慰安婦に寄り添って支援する」ことと「日本が好き」というのは矛盾せず、両立可能なんです。なぜなら「今の日本は人権をないがしろにして朝鮮半島を支配した大日本帝国じゃないから」です。韓国の人は、今の日本と昔の大日本帝国を同一視していません。

一方、日本国内では意図的にそのような錯覚を広める「歴史戦」の論客だけでなく、ふつうの市民でも、今の日本と大日本帝国の違いを明確に理解している人は少ないように思います。それゆえ、大日本帝国の名誉を守るために、わざと「日本」という広い意味の言葉を使い、大日本帝国の名誉を守ることが、そのまま今の日本の名誉を守ることでもあるかのように信じ込ませるトリックが一定の有効性を持ち続けています。

たとえば「歴史戦」の論客は「南京虐殺を事実と認めると日本の名誉が傷つく」と主張します。これを見て「確かにそうかな」と思ってしまう人も多いかもしれませんが、実はそうじゃないんですね。それによって傷がつくとすれば「大日本帝国の名誉」であり、「今の日本の名誉」ではない。「今の日本の名誉」は何によって守られるかというと、戦争中に日本軍の行った非人道的行為をきちんと検証・総括して反省し、このようなことを二度と繰り返さないという覚悟を示すことです。

そこを取り違えて「当時の大日本帝国の名誉を守ることが日本の名誉を守ることだ」というトリックを真に受けてしまうと、自覚のないまま大日本帝国を擁護する一員に組み込まれてしまう。そういうトリックに気づく人を増やしたいというのも、この本の大きな目的の一つです。

内田 そうですね。ある時点まで「大日本帝国」と「戦後の日本」という間には決定的な断絶線があって、とてもイデオロギー的に架橋できるようなものがなかった。

1945年の8月15日で大きな切断があったということは、あの時代の日本人全員が経験したことですけれど、このトラウマ的経験を、戦後に生まれた僕らは知らない。でも、トラウマ的経験を抱えた人たちは、周りにたくさんいた。トラウマ的というのは、「それついて語ることができないという事実そのものが、その人のものの考え方や感じ方を決定しているような経験」のことです。語れないわけだから、僕らは知りようがない。でも、「語ることのできない経験を抱え込んでいる」ということはそばにいれば分かる。

8月15日は、この国の政体に根源的な変化があった日ですが、一人ひとりの日本国民は、その経験の意味するところは、あまりに個人的な経験なので、語られなかった。「個人的な経験」というのは、その経験自体が受肉しているということです。血が通っている。だから、その経験が身体を持っている時には迫力があった。だから、知りもしない戦争についてペラペラ話す人間を「おまえは戦争を知っているのか!」と一喝できた。戦争経験者の言葉の重みを担保していたのは、彼らの生身の身体だった。だから、その身体が滅してしまうと、無言の圧力も消えた。

山崎 僕もそう思いますね。実際に戦争を経験した人が間違いを正すという状況が、新聞社などのメディア業界の社内にもあった時代には、こんなに軽々しく歴史修正、あるいは中国、韓国の悪口のような本は出しづらかった。出せたとしても、小さい出版社が細々と配本するぐらいだった。けれども今は、大手の出版社がそれを出して、一定レベル以上売れれば他の出版社が真似して、という流れがずっと続いています。

■戦後の平和教育の中でも持続する権威主義

内田 今がたぶん日本の歴史の中で一番同質化圧が強まっている時期じゃないですか。

山崎 教育システムも大日本帝国当時のものを結局引き継いでるような感じがしますね。「戦争中は軍国教育で、戦後は平和教育だ」と説明されて、僕もずっとそうだと思っていたんですが、実は権威主義の基本構造自体は何も変わってないと思うんですね。結局戦後の日本も「集団にいかに適応するか」「上位者にいかにおとなしく素直に従うか」という人間を育てることを主眼としてきた。例外もあるでしょうが、公的教育の多くはそうだったと感じています。大日本帝国というか、明治時代に作られた権威主義的な枠組みが、いまだに我々の足元にずっと残っているという気がします。

話はちょっと逸れますが、最近特に気になっていることの一つが、外国人技能実習生の問題で、アジアから日本に来た若者を「職業の技能を教える」という大義名分で、最低賃金の給料すら払わずに酷使している事実です。それを知った時「何かに似てるな」と思いました。

第二次世界大戦中、日本軍は東南アジアの各地域から「労務者」という名目で住民を集めて、橋や鉄道の建設工事をさせたり、炭鉱で働かせたり、今の外国人技能実習生と同じような形態で酷使していた。当時は「日本の国体のため」あるいは「国防のために必要」という大義名分でしたが、外国人技能実習生を搾取する経営者も当時と同じような感覚にまた陥っているんじゃないかと感じます。大義名分を用意されると「別にいいじゃないか」「使えるものを使って何が悪い」とそれを利用することしか考えない。本来なら、「かわいそう」とか「人権侵害」、「そういうことはやってはいけない」というような心理的なブレーキが働くはずなのに、倫理観のタガが外れたような冷酷非情な事例がたくさんある現実が、怖いと思います。

内田 社会正義や公正の根本にあるのは「惻隠(そくいん)の情」だと思います。目の前に苦しんでいる人がいたら「かわいそうだ」と思う。それは理屈じゃない。今の日本人にはその人情が欠けていると思います。大日本帝国が例えば植民地で占領地でどんなことをしたのか、それを知れば、史料の真正性がどうだとか、当時の法律に照らして合法性がどうたら言うより先にまず「かわいそうだ」と感じるのがふつうの人間なんじゃないですか。

山崎 そうですね。南京虐殺の話で言えば、上海から南京への進撃途上で日本兵が大勢の市民や捕虜を殺害したという記録や証言は、当時の日本軍の行動原理や価値観とピッタリ合ってるんですよ。「南京で何も起きていない」という方が、当時の価値観や行動原理とは合わない。慰安婦も同じで、当時の大日本帝国は自国民あるいは日本兵についても、人権や人命を著しく軽んじていた。そんな状況下で、慰安婦と呼ばれる人だけ特別に人権が尊重された恵まれた環境にいたという状況はあり得ない。歴史問題でも、総合的な判断というのが重要だと思うんですね。

内田 その通りだと思います。

山崎 内田さんはよく架橋、橋を架けるという言い方をされますが、やはり架橋をして行き来しないと、相手側の言葉やロジックに影響を及ぼすことはできないと思いますね。いったん向こう側に行って、向こう側からの景色を見て、向こう側の内部構造を見て、というプロセスを踏む必要があるように思います。

そこで、『歴史戦と思想戦』の執筆に際しては、「歴史戦」の論客が展開するロジックに耳を傾け、その上で事実と論理の両面からその構造を解析する手法をとりました。言い換えれば、この本は、「あなたがたが歴史戦と称する戦いに"勝ち"たいなら、まずはこれらの矛盾点を解消しなくてはならないのでは?」という彼らへの提案でもあります。

歴史修正主義を正面から批判して断罪する本は過去に何冊かありましたが、私はむしろ歴史修正主義の本を愛読する人にも読んでもらいたいと思い、先に挙げたようなアプローチでこの本を書きました。執筆に際しては、従来のような「敵対的」あるいは「攻撃的」な姿勢を敢えてとらないようにしましょうと、担当編集者とも相談しました。

内田 いや、僕読んでて、山崎さん、よく我慢してるなと思いましたよ。もちろん行間からね、怒りがにじみ出てるんだけど。でもね、よく抑制してるなと。僕には絶対無理ですね(笑)。

●山崎雅弘(やまざき・まさひろ)
1967年大阪府生まれ。戦史・紛争史研究家。『日本会議 戦前回帰への情念』(集英社新書)で、日本会議の実態を明らかにし、注目を浴びる。主な著書に、『「天皇機関説」事件』(集英社新書)『1937年の日本人』(朝日新聞出版)『[増補版]戦前回帰』(朝日文庫)ほか多数。ツイッターアカウントは【@mas__yamazaki】

●内田 樹(うちだ・たつる)
1950年東京都生まれ。神戸女学院大学名誉教授。思想家。著書に『日本辺境論』(新潮新書)、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)、共著に『一神教と国家』『荒天の武学』(集英社新書)他多数。

構成・文/稲垣收

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