メディアは何を伝えるべきか〜東日本大震災から10年

ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(3月17日放送)にジャーナリストの佐々木俊尚が出演。3月11日で東日本大震災から10年が経過した。さまざま形で行われた報道をもとに、今後の震災報道のあり方について解説した。

【東日本大震災10年】釜石祈りのパークに手向けられた多くの花=2021年3月12日、岩手県釜石市 写真提供:産経新聞社

佐々木俊尚さんと考える「震災報道のあり方」

東日本大震災から3月11日で10年となった。メディアではさまざまな形で震災についての報道が行われたが、このままでいいのか、メディアは何を伝えるべきなのか、これからの震災報道のあり方を考える。

飯田)3月8日〜12日の1週間、この番組では、東北各地から前日取材して、その模様を当日お聴きいただくという形でキャラバン的に、福島の浪江から北上して行きました。そこでは、やはり東京で感じるものとはギャップがあるなと感じました。東日本大震災については佐々木さんもいろいろなところで発信もされています。

【東日本大震災10年】小泉海岸で行われた慰霊祭で献花をし、手を合わせる人たち。震災後、サーファーや地元住民らががれきなどの撤去を行い、約15メートルの防潮堤も設置された=2021年3月7日午前、宮城県気仙沼市 写真提供:産経新聞社

毎年報じられる報道に被災者が違和感を持つのはなぜか

佐々木)「復興してよかった」、また逆に「復興は進んでいない」、「津波は大変だった」という、ある種の“被災者の物語”をメディアはつくるわけです。しかし、つくられたその物語が、ポジティブ論・ネガティブ論含めて、「本当にリアルな被災者なのか」というところが問われているのだと思うのです。今回は10年ですけれど、毎年、震災の3月には、「震災あれから何年」というような報道がされますが、その度に、福島などの被災地の方からは「すごく違和感を持つ」という声が毎回出ているのです。「なぜ違和感が生じてしまうのか」ということを考えなければいけないと思います。

【東日本大震災9年】Jヴィレッジのグラウンドでキャンドルナイトが実施されたが、強風で全てのキャンドルに火は点かなかった。中にはコロナウイルスに関するメッセージも見られた=2020年3月11日午後、福島県楢葉町 写真提供:産経新聞社

勝手に被災者に憑依してしまう「マイノリティ憑依」〜目の前の被災者を代弁していない

佐々木)私は震災の翌年に『「当事者」の時代』という本を出しました。これは震災の経験を受けての話だったのですけれど、あのなかで書いたのは、「当事者を勝手に代弁するのはよくない」ということです。勝手に代弁するのは「マイノリティ憑依」というものなのです。マイノリティに勝手に憑依してしまうという意味で書いたのですけれど、あのマイノリティ憑依の問題はまさに震災報道に起きて来ていて、勝手に被災者を代弁してしまっているわけです。しかし、報道のなかで代弁している被災者が、本当にそこにいる「目の前の被災者か」というとそうではなくて、メディアの人が頭のなかでイメージした「私の考えた被災者」になってしまっている。その物語が、勝手にリアルな被災者を押し込んで描くわけです。そうすると、リアルな被災者から見ると、「俺のものと違う物語にされていない?」と感じてしまう、という構図があるのです。これは大きな問題です。私が『「当事者」の時代』で書いたのは、「我々は被災地の当事者にはなれません」ということです。では取材する側としての当事者性というのは何かというと、それは「俺は当事者のことをわかっているから、当事者の代弁をするのだ。できるのだ」と思い込むことではありません。

飯田)当事者にはなれない。

佐々木)当事者への距離は遠いのです。「我々にはわからない」ということを、きちんと認識した上で、でも頑張って「近付くように努力したい」と思うことが、我々にとっての当事者性なのではないかということを書いたのですけれど、現実には、まったく理解されていないのかも知れません。

飯田)現場にいる人たちの代弁ではなくて、生の声がネットなどに出て来て、「報道と違うのでは?」とみんなも気付き始めている。

【東日本大震災10年】地震発生時刻を迎え、防潮堤の上で黙とうする住民ら=2021年3月11日午後、岩手県宮古市田老 写真提供:産経新聞社

被災者が襲って来る津波の映像をYouTubeで配信〜報道する側は当事者にはなれない

佐々木)思い出すと、10年前の2011年4月に取材に行ったのです。

飯田)被災地に。

佐々木)別に行く必要もなかったのだけれど、あのころメディア業界では、「被災地に行っていないやつはジャーナリストの資格がない」という風潮があったのです。「近い方が偉い」というのもおかしいのではないかと思いながらも、そういう抑圧に耐え切れず、行くしかないと思って10日間くらい気仙沼から陸前高田辺りを取材して来たのです。行って思ったのは、あの辺は何の所縁もなく、住んだこともないので、目の前に瓦礫が積まれて悲惨な状況が広がっているのですが、「前の姿を何も知らないよね」ということでした。前の姿を知らずに、瓦礫の山だけを見て、何か書けることがあるのかというと、「これは自分には何も言えないな」とつくづく思ったのです。そういうときにYouTubeで被災者の人が撮った映像を配信していたのです。当時、ツイッターはまだ写真を投稿できなかったのですけれど。

飯田)そうでしたね。

佐々木)文章でツイッターに現地の様子を投稿する人も増えて来た。そうすると、そちらの方がリアリティがあるのです。未だにYouTubeで検索すると、大量に津波が襲って来る映像が残っていますけれど、あれはほぼすべて被災者が撮影したものです。そういう、自分がそこで生きて来て、目の前で起きている災害を記録して、それを発信する人たちがたくさんいる状況のなかで、まったくその土地を知らないジャーナリスト風情がノコノコあとからやって来て、「何が言えるの?」と思ったのです。

東日本大震災十周年追悼式で、標柱に一礼される天皇、皇后両陛下=2021年3月11日午後2時56分、東京都千代田区の国立劇場(代表撮影) 写真提供:産経新聞社

ジャーナリズムは当事者性を持たないと意味がない

佐々木)あれから「ジャーナリズムは、当事者性を持たないと意味がない」と考えるようになったのですけれど、やはり新聞やテレビはそこの認識が相変わらず薄いのですよね。ある種の優越感なのです。

飯田)優越感。

佐々木)「俺たちがわかっている」という。「視聴者や読者は東京や大阪にいて何も知らないけれど、俺は被災地に行ってちゃんと取材して、被災地のことをわかっているから、俺が偉いんだ」という、ある種の優越感で書いているのです。その優越感をまず突き崩さないといけないなと思いました。

飯田)いろいろなことを想定しながら準備して取材に行きますけれど、現場に行くと、それがぶち壊される。そのときに、どう行動するかというところですかね。

2021年3月6日、道の駅なみえで意見交換をする菅総理〜出典:首相官邸HPより(https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/actions/202103/06fukushima.html)

実際には「美しい絆」だけではなく、被災地では物資の奪い合いもあった〜大切なリアリティ

佐々木)丹波新聞という兵庫県の地方紙が10年間、毎年、被災地に通っていろいろなことを書いて来たのですけれど。

飯田)ボランティアもされて。

佐々木)そうなのです。行って、例えば泥棒もいたり、「日本人は絆が美しい」と言うけれど、そうでもなくて、意外に避難所で物資の奪い合いが起きていたり、かなり醜いことが起きていた。「そういうリアリティを抜きにして、すべて美談のように語るのはどうなのだろう」と、自戒を込めて書かれている記者がいましたが、そういうリアリティは大事だと思うのです。すべてを美談にしてしまうと嘘ではないですか。「酷い目に遭って大変だったけれど、実は僕、逃げちゃったんだよね」とか、「ついつい人のものを盗んでしまった」という人もいると思うのですよ。そういうものも含めた上で、ありのままを受け入れるというのが大事だと思うのですけれど、そういうものを描かないのですよね。すべてを美談のなかに押し込めようとしてしまう。

飯田)いろいろな失敗があったけれど、それも全部糧にして、「次にどう命を守るか」というところにつなげるべきですね。

2021年3月11日、献花する菅総理〜出典:首相官邸ホームページ(https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/actions/202103/11tsuito.html)

戦争を知らない世代に何が伝わるのか

佐々木)震災報道に限らず、昔から「平和報道」というものがあります。メディア用語なのですが、8月15日の終戦記念日に向けて、春先くらいから取材班を組んで、「語り継ぐ戦争」というような取材をして、8月15日前後に連載5回くらいやる、というようなことを毎年やっています。もう70年くらいやっています。それも毎回同じように戦争当事者を見つけて来て、その人に取材して、「ひめゆりが大変でした」「原爆が大変でした」「戦争で食べるものもありませんでした」というようなことを書く。それで語り継ごうとやっているのですけれど、それもある意味、型にはまった戦争被害の話、もしくは戦争加害の話に押し込めてしまっていて、それ以外のリアリティが何もない。しかも、戦争を20歳くらいで経験した人も、いまや90代半ばになっていて記憶も薄れているわけです。それをいまさらやっても、もはや戦争を知らない世代が大半の日本に、何を伝える価値があるのか。伝わるのかというと、伝わらないわけです。

「震災遺構」として保存が決まった、1、2階が押し寄せた津波に骨組みだけを残すだけとなった「たろう観光ホテル」=2014年3月1日午後、岩手県宮古市 写真提供:産経新聞社

映画『この世界の片隅に』のリアリティ

佐々木)数年前に『この世界の片隅に』という、片渕須直監督のアニメ映画がありました。

飯田)たくさんの方が観ました。

佐々木)あれが素晴らしかったのは、主人公のすずが、一生懸命戦争に勝って欲しいと頑張ったけれど、負けてしまった。「何で負けちゃったんだ」みたいなことを最後に叫ぶではないですか。あのときに左の方の人から批判があったのです。「なぜアジアの加害について言及しないんだ」と。でも、あの時代に生きていた人にアジアの加害なんて意識はまったくないですよ。それを言い出したのは戦後30年くらい経ってからの話です。だからリアルな気持ちとしては「戦争に勝って欲しい、頑張っていたのに何で負けたのだ」というのが当時のリアルな気持ちなのです。それを片渕監督が描いたことがリアリティがあった故に、いまの時代にも刺さるところがあったのだと思うのです。変に美談にしてしまうと、逆にそれを観ている側の心には刺さらないというところに、いい加減気付かなければならないのです。

飯田)リアリズムの時代というところですか?

佐々木)そうなのです。そこまでみんな頭悪くないですよ。テレビの人も新聞の人もそうなのですけれど、読者や視聴者は何もわからない愚かな大衆だと思っていますから。

飯田)かつての我ら前衛と。

佐々木)前衛が後ろにいる大衆を引っ張って教えてやろうと、啓蒙しようという意識でいるからそうなってしまうのだけれど、ネットの時代になって、SNSが普及し始めて、ものすごい知識が吸収されて、いろいろなものが共有されているではないですか。ちょっとツイッターで発信するとたちどころにその専門のような人が出て来て、「佐々木さん、これ教えてあげます、こうですよ」みたいなやり取りが山ほどあるでしょう。番組でも何か話すと、ツイッターで……。

飯田)「違うよ、それは」みたいにね。

佐々木)世の中にはこんなに専門家がいるのかと、当然ですが、ありとあらゆる専門家が集まったのが日本社会なわけですからね。その専門知識の集合体にメディアが勝てるわけがないのです。そこをもう少し考えて、もはや優越意識ではなくて、同じフラットな目線でものを語る方がいいのだと思います。

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