コロナ禍の新年度……子どもの泣き声から考える

「報道部畑中デスクの独り言」(第244回)

ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム。今回は、コロナ禍の新年度について–

新型肺炎、コロナウイルス感染防止対策で政府が全国小中高校に休校要請をしてから一夜明け、登校する小学生ら。今年度最後の登校になる可能性も=2020年2月28日、東京都世田谷区 写真提供:産経新聞社

新年度が始まってほぼ1ヵ月。街中では真新しいスーツに身を包んだ新社会人、折り目正しい制服を着た中高生の皆さんの姿が目につくようになりました。

いずれ服は馴染んで、風景のなかに溶け込んで行くのでしょうが、そんな新年度の雰囲気も新型コロナウイルスの影響で、以前に比べるとどこか控えめです。

自宅近くの小学校では、また違った風景が見えて来ます。仕事から帰宅すると、家族が「ちょっとかわいそうだった」とぽつりと漏らしていました。

何かと聞くと、登校時間に小学校の校門前で「ママのバカァ〜」と、子どもの泣きわめく声が聞こえたそうです。幼稚園や保育園から小学校へ、本格的に親の手から離れる環境に子どもたちが置かれるわけです。

友達とすぐに打ち解け、楽しく過ごす子たちも多いですが、そんな子ばかりではありません。環境の変化に戸惑い、お母さんやお父さんと離れることに不安を感じ、全身で抵抗する子もいます。泣き声はその意思表示だったようです。

こうした現象は「母子分離不安」と呼ばれるそうで、親子の気持ちを考えると胸が痛くなりますが、それも新年度ならではの風景であり、子どもにとっては乗り越えなくてはいけない壁なのでしょう。逆に言えば、親子が強い信頼関係で結ばれている証左でもあります。時が解決してくれることを祈ります。

話は逸れますが、私が小学校に入って最初にぶち当たった壁は「給食」でした。もう半世紀近くも前になります。

いまでは信じられないかも知れませんが、当時の給食は主食のほとんどがパンでした。食パン、コッペパン、揚げパン、小型パン、これが戦後の洋食化を促したという説もありますが、ともあれ米飯は学期末に、カレールーとともに「ごほうび」のような形で出るのが普通でした。

給食のメニューの話で年代がわかると言ってもよく、それだけで何時間も話が盛り上がるかも知れません。そんなこんなで、これまで見たこともないメニューに困惑したこともありました。

経団連と大学側が採用や教育に関する産学協議会を約1年ぶりに開いた(4月19日撮影)

また、小学1年生の4月生まれと翌年の3月生まれとでは、発育にかなり差があります。私の誕生日は3月、そのせいだったのかどうか、給食が時間内に食べられず悪戦苦闘していたことを思い出します。1年生は午前授業も多く、昼食の時間が過ぎてみんなが帰宅し、掃除で机が教室の後方に片づけられるなか、ひとり寂しく机に囲まれて食していたこともありました。

当時の先生から「給食も勉強の1つ」と言われたこともあります。その後は徐々に体も成長して、所定の量も苦にならなくなりましたが、結構、このときの経験はトラウマになっています。

しかし、新しい環境に不安や戸惑いを覚えたり、給食に悪戦苦闘したり……乗り越えなくてはならない壁も、普通に学校に通えるからこそ。壁があるのはむしろ幸せなことなのかも知れません。

翻って大学の講義は、新型コロナウイルスの影響で様変わりしました。対面の講義を再開したところはまだ少ないと言います。先日、経団連と大学側が「採用と大学教育の未来に関する産学協議会」をほぼ1年ぶりに開きましたが、そのなかの話では、コロナ終息後も対面とオンラインを組み合わせた「ハイブリッド型」の授業が続いて行くということです。

ちなみに、実験や実習は対面が適している一方で、大教室での一方的な講義、とりわけ一般教養、基礎教育の講義についてはオンデマンド型が適していると言われています。

そして、オンラインの波は小学校にも来ています。新型コロナウイルス感染拡大により、3度目の緊急事態宣言が発令された4都府県の1つ、大阪では小学校にオンライン授業を導入する方針が示されたということです。学校に通うことが普通でなくなる時代が来るのでしょうか。

デジタル技術はテレワークといったビジネス分野だけでなく、教育の世界にまでも、いままでにないコミュニケーションの形を生み出しつつあります。しかし、それが人の心や行動、人間関係にどのような変化をもたらすのかは未知数です。

もたらすのは進歩か、退化か? 新型コロナウイルス感染症は、われわれ人間に壮大な“実験”を課しているのかも知れません。(了)

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