福島県双葉町の「課題」と「努力」 〜東日本大震災・福島第一原発事故から11年

ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(3月7日放送)では、東日本大震災による福島第一原発の事故から11年を迎えた福島県双葉町の現状について、飯田アナウンサーがレポートした。

東日本大震災・原子力災害伝承館が開館し、展示物を見学する来館者たち=2020年9月20日午前、福島県双葉町 写真提供:産経新聞社

福島第一原発の影響が大きい双葉町

飯田)福島県は3つの地域に大きく分かれます。いちばん西側に会津、県中央部に中通り、そして太平洋岸に浜通りという地域があり、双葉町は浜通りのちょうど中央辺りというところです。浜通りのいちばん南にいわき市という大きな市があり、そこから北に上がって行くという形になるわけです。双葉町は福島第一原発の立地自治体でもあります。福島第一原発は、双葉町と大熊町にまたがる形で存在しております。

福島第一原発の大きな影響 〜帰還困難区域が町の96%となる双葉町

飯田)双葉町は福島第一原発との土地関係もあり、原発事故の影響が大きくありました。2011年3月11日に発災し、直後に全町避難となり、さらに4月22日には、全域が警戒区域に指定されて立ち入りができなくなりました。全域が半径20キロ圏内に入っていたということです。その後、警戒区域は避難指示解除準備区域と帰還困難区域に再編されました。当初、避難指示解除準備区域では除染などが行われますが、帰還困難区域に関しては除染等も行われないということになっていました。双葉町はこの帰還困難区域が町の96%を占め、帰還できない地域がほぼすべてという形になり、原則立ち入り禁止となりました。

帰還困難区域の一部を特定復興再生拠点区域に指定して再編 〜2020年3月、避難指示解除準備区域の避難指示が解除

飯田)その後、2017年5月に法律が改正され、先行的に除染あるいはインフラ整備を進め、居住できるようにして行く復興拠点、特定復興再生拠点区域として整備できるようになりました。帰還困難区域の一部をそういう地域に指定、再編して行こうという試みでした。そこからようやく作業が始まり、2011年に発災してから6年後、ようやく法律的になかに入って準備できるようになったということです。そこまでの6年間、何もできなかった時期が続いたわけです。さらに整備を進めて2020年3月、避難指示解除準備区域の避難指示が解除されました。

準備宿泊も始まる

飯田)いまは常磐線の双葉駅を中心とした復興拠点、また先行して避難指示が解除された双葉駅東側のエリアを中心に、復旧の取り組みが進んでいます。2022年1月20日からは準備宿泊も始まっております。すべての町民の方が対象となっているのですけれども、対象となっている地域のなかに自宅がある方はそこに戻る、あるいは自宅は解体されてしまっているけれども、将来的に戻ろうとされている方に関しては、ホテルに宿泊しながら準備宿泊ができるなど、さまざまな選択肢もあるようです。

インフラの整備も進む

飯田)インフラに関しても電気、ガス、水道など、概ね整っているということです。ゴミ出しなども含めてマニュアルもできていて、皆さん、それに沿って生活されているのですが、「住民サービスをどうするか」という問題もあります。もともと双葉町に住んでいらっしゃった方は、全国に避難する形で未だにお住まいの方もいらっしゃいます。もちろん近くの浜通りのいわき市などにお住まいの方が多いので、いわき市に本庁機能を備えた役場をつくり、それ以外にも、埼玉などに事務所を整備していますが、双葉駅東側の駅の目の前に現在、新たな役場をつくっている最中です。この庁舎は夏ごろの完成を目指しているとのことです。

医療と買い物、学校をどう整備するか

飯田)6月以降、避難指示の解除を目指すということですが、住民の方々が住むとなると、必要な施設がいろいろあります。いまはコロナ禍でもありますし、病院はどうするのかと。これは浜通りの各自治体に共通する課題としてあるわけですが、診療所を駅の西側、公営住宅の辺りに開設を予定しているということです。それから、買い物をどうするか。これも駅の東側に整備して行く計画です。また、お子さんやお孫さんと一緒に住む場合、学校をどうするのかという話もあります。これも今後の検討課題だということでした。確かに他の自治体を取材したときも、医療と買い物と学校を整備しなければ人は戻って来ないし、それがあるから徐々に人が戻って来るというところがあると言っていました。

JR常磐線全線開通 浪江〜富岡駅間再開 双葉駅では特急列車の出迎え式が行われた=2020年3月14日午前、福島県双葉町 写真提供:産経新聞社

「産業交流センター」ができたことは大きい

飯田)産業をどうするのか。双葉町東側の中野地区に、「東日本大震災・原子力災害伝承館」という国立の大きな博物館ができています。その辺りを中心にして「産業交流センター」というイノベーションセンターもつくり、特に若い人たちを呼び、産業も根付かせようという努力をしております。この中野地区の現状について、双葉町役場秘書広報課の土屋係長にお話を伺いました。

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土屋)個人の感想なのですが、中野地区に行くと、とても人が多いなと思います。2年前にもし来ていただけていれば、「考えられないくらい人がいるな」と思われたかと思います。「産業交流センター」ができて、ご飯を食べたり、屋上から町の状況を眺めたりすることができ、2〜4階にはテナントが入っています。

飯田)会社なども入っている。

土屋)「産業交流センター」ができたときには、本当に感動しました。立ち入りが自由でご飯が食べられて、トイレにも入ることができる。そして観光している方々がいて、お土産も買えるような施設ができたのは、かなり大きなことだったと思います。

飯田)あそこは研究拠点というか、新しい産業の芽が生まれそうな施設でもありますね。

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周りは産業団地として整備

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土屋)周りは産業団地として整備しています。現在、20軒24社と協定を結ばせていただいて、稼働が始まっている業者さんもあります。町の想いに賛同していただいた企業さんが進出して来てくださっているという状況です。

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飯田)業種もさまざまで、タオルをつくる会社などの製造業や地元の建設業、カーボンナノファイバーなどの先進技術を扱う企業、それから中間貯蔵施設……除染作業で出た土などを中間的に貯蔵するところの技術を提供している業者など、さまざまな企業があるということです。産業を生み出し、そして雇用を生み出すという状況がないと、なかなか町に人は戻って来ません。

町民の方々のふるさとである双葉町がよりよい環境になって行くように頑張りたい

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飯田)最後に、今後の復興への想いをお聞かせください。

土屋)町長もよく言っていますが、復興は始まったところだと思うのです。準備宿泊が始まったということは、町にとっても、帰還に向けた大きな取り組みだったと思います。私たちも、町民の方々のふるさとである双葉町が、よりよい環境になって行くように頑張って行きたいと思っておりますし、職員はそれぞれの持ち場でできる復興を続けて行きたいと思います。

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飯田)唯一、福島県内で全町民の避難が続いていた地域であり、いまは準備宿泊という状況ですけれども、人が戻って来て、これからなのだというところですね。

学校が整備されなければ、子どものいる世帯が戻ることは難しい

ジャーナリスト・須田慎一郎)11年経ってよく言われるのだけれども、他の地域に避難されていた方々が、避難した地域で生活を築いて、戻って来られなくなるのではないかという指摘がありました。だから復興というのは急がなくてはならないのだと。11年というのは長い期間ではないですか。その辺りは、どの程度「戻って来たい」という人がいるのですか?

飯田)現状だと、準備宿泊に参加している方々は20世帯弱くらいに留まっているのですが、いろいろと町々で話を聞くと、3月11日で注目されるので、この時期に報道などの特集が組まれるではないですか。そうすると、手元に出て来るデータは1月〜2月ごろのデータになります。そのため「人が少ないではないか」ということになるのですが、人の生活の切り替わりは4月からになりますよね。

須田)そうですね。

飯田)小学校に上がるタイミングで戻って来ようとか、あるいは仕事のタイミングなどもあります。このあと戻ろうとしているという方が、実はかなりいるかも知れないという話を、どの役場の人たちに聞いてもおっしゃいます。その辺りがどうなって行くかというところです。やはり学校などが整備されないと、お子さんがいらっしゃる方々は、環境を変えられないようです。いまのところ、ご高齢の方が多いという傾向は、確かにそうだと思います。

須田)それと将来にわたっての生活設計ですよね。そこに対して政府はお金の問題、あるいは規制を緩和するなどの制度の問題を含めて、やれることは全部やるべきだと思います。

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