人の息吹が見えるようになった福島・双葉町 「未来のある町」になるためには 〜東日本大震災・福島第一原発事故から11年

ニッポン放送・飯田浩司アナウンサーが3月10日、ニッポン放送「辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!」に出演。東日本大震災から11年となる、被災地の福島県・宮城県の取材をレポートした。

【東日本大震災11年】夕日に照らされる、津波で流された住宅=20222年3月10日午後、福島県双葉町 写真提供:産経新聞社

警察庁は3月9日、東日本大震災から11年となるのを前に、被害状況を発表した。死者の数は12の都道県で1万5900人に上る。去年3月以降、新たに3人の遺体の身元が確認された。これまでに延べで70万人が捜索に当たり、いまも2523人の行方がわかっていない。

飯田)先週末、福島の浜通り、海沿いから取材をしまして、そのまま上がっていて宮城の名取市まで行って帰ってきました。

辛坊)名取は、津波で町じゅうが流されてしまって。いまどうなっていますか。

飯田)閖上地区というところに行っていたのですが、いまはもうすでに嵩上げが終わって、そこにもう住宅も建ったり、商業施設もあったりとか。朝市なんかもやって、けっこう人が集まってという感じになっていました。

【東日本大震災11年】閖上の日和山を訪れ、祈りを捧げる人の姿が見られた=2022年3月10日午後、宮城県名取市 写真提供:産経新聞社

辛坊)毎年被災地へ行っていて、今年の印象はどうでしたか。

飯田)今年は浜通り、福島を中心に回ったのですけど、いちばん最後まで人がなかなか入れなかった福島の双葉町は、1月20日から準備宿泊というものが始まって。町の町域の96%が帰還困難区域に指定されるというところでありましたので、もうようやく人の住めるところまでになって。まず除染をするのも大変だったということもあって、ようやく人が住んで、人の息吹が見えるというだけでも、毎年見てきていると「だいぶ変わったな」と。もちろん、それを初めて見た人にとっては、「復興はまだまだ道半ばです」という形になるのかもしれないですけど、それだけでもちょっと感動してしまうという感じがありました。

辛坊)三陸から南の方に降りてきて福島県に入ると、道路がそもそも通れなかったですものね、長いこと。

飯田)海沿いの国道6号というのが。

辛坊)その道路が通れるようになっても、私の記憶で言うと、私が取材した最後のケースでは「止まっちゃいけない」と。「走り抜けろ」、「窓を開けるな」というのが数年前だったのですけど、いまはどうなっているのですか。

飯田)いまも、例えば徒歩だとか自転車だとかで入ることはできないというゾーンはたしかにあります。

辛坊)ああ、あるんだ。

飯田)ただ、その双葉町のなかでも一応、特定復興拠点とされたところは、帰還困難区域のなかでも人が入って活動ができるというあたりまで除染もしたところがあって。

辛坊)ただ、除染が終わって、人が住めるようになっている場所がだいぶ増えてきたのだけれども、もうそれは震災前からの構造的な問題で、高齢化が進んでいて、10年以上避難生活が続いて「10年経って除染が終わりましたから戻ってくださいね」と言ったときに、「さあどのぐらいの人が戻るのか」という話だよね。

飯田)そうですね。まだまだインフラの部分で、小学校だとか医療施設だとかというのがこれから整備というところもあるので。

辛坊)だから、学校を整備するのは必要なのだけれど、その小学生のくらいの年齢層の子どもたちが何人いるのかという。何人いるくらいのことを前提に街づくりをプランニングするのかという。だから、新しく人が入ってくるというようなことを考えないと、もと居た人で、この10年ほかで暮らしていた人たちを戻すという発想だと、町として機能しない。

飯田)隣の大熊町は、もう廃炉というものをひとつのビジネスだとして、「そこに若い人を取り込むんだ」と言っていたりだとか、そういう舵の切り方をするところもあったりしますね。

辛坊)それはかなり思い切った。そういう舵の切り方をしないと、これから「未来のある町」としてつくっていくというのは、大変な作業だなと。

飯田)「イノベーションコースト構想」などいうものを掲げていますので、その辺りが核になるかなと思います。

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