信仰と連邦制度に関する問題が重なるアメリカ「中絶問題」

外交評論家で内閣官房参与の宮家邦彦が7月1日、ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」に出演。人工妊娠中絶を合衆国憲法上の権利として認めた1973年の判決を覆した米最高裁の判決について解説した。

人工妊娠中絶の権利を訴えるデモ(アメリカ・テキサス州オースティン) AFP=時事 写真提供:時事通信

米最高裁「人工中絶の権利」認めた判決を覆す

米連邦最高裁は6月24日、人工妊娠中絶を合衆国憲法上の権利として認めた1973年の「ロー対ウェイド」判決を覆す判断を示した。

飯田)アメリカで中絶の権利をめぐって最高裁判決が出ましたが、どう見ればいいですか?

宮家)日本にも似たような法律があるわけです。

飯田)母体保護法など。

信仰の問題であり、アメリカの連邦制度に関する問題でもある

宮家)根本的に違うのは、日本では「母体をどう守るか」というさまざまな議論があった末に現在まできました。ところが、アメリカでの中絶問題は、母体を守ることも重要なのだけれど、まずは信仰の問題なのです。

飯田)信仰の問題。

宮家)敬虔なキリスト教徒はそもそも中絶などしてはいけないのです。子どもは自然に生まれる、神からいただくものなのだという考え方です。それを信じている人からすれば、中絶なんてとんでもない話なのです。

飯田)人工中絶することは。

宮家)もう1つ大事なことは、1973年に中絶が憲法上の権利として認められた。憲法上の権利ということは、「連邦政府がいろいろ決めていい」ということです。しかし、今回はそうではない。中絶の是非は「各州で決めなさい」となったわけです。つまり、これは信仰の問題であると同時に、アメリカの連邦制度そのものに関する問題なのです。「連邦政府が何でも決めていいのか、そんな権限があるのか」ということです。

常に保守とリベラルで揺れてきたアメリカ

宮家)アメリカは面白い国で、簡単に言うと、迫害から逃れたピューリタン(清教徒)が北部に行ったのに対し、南部ではプランテーションがあった。南部の人はプランテーションで奴隷を使うのだけれど、しかし清教徒とは違う意味でやはり敬虔なキリスト教徒なのです。それに対し、北部は、敬虔なキリスト教徒であることは同じなのだけれど、どちらかというとリベラルです。そのようにアメリカの社会は、建国以来常に保守とリベラルの間で揺れてきたのです。勿論、実際はこんなに単純に言えるものではありませんが。

飯田)常に保守とリベラルが。

宮家)しかし今回は、揺り戻しがあった。1970年代ごろにアメリカの保守化が始まったと言われているのだけれども、その前の50年代〜60年代では、60年代の公民権運動に象徴されるように、最もリベラルな時期でした。そのあとアメリカ社会は徐々に保守化して、ここまで来た。

飯田)1970年代から。

宮家)その意味で今は、アメリカ社会そのもの、連邦制度のあり方そのものが議論され、そこが焦点になっている。それに信仰の問題が関わっているので、非常に複雑かつ重要な問題になっているです。日本とは少し雰囲気が違う感じがします。

飯田)そういうものを下敷きにして、アメリカが意思決定をしてくるという。

宮家)これからアメリカ社会が大きく変わってくる可能性のある、重要な判決だと思います。

 

関連記事(外部サイト)