宮家邦彦が現地で見た「報道とは違った香港デモ」

ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(9月6日放送)に外交評論家・キヤノングローバル戦略研究所研究主幹の宮家邦彦が出演。香港を訪れて取材した香港デモの状況を解説した。

集会に参加し、音楽に合わせてスマートフォンを揺らす生徒ら=2019年9月2日、香港(共同) 写真提供:共同通信社

テレビの映像とは違い、デモ隊のいる隣の道はガラガラ

外交評論家の宮家邦彦が8月31日(土)に羽田を出発し、9月2日(月)未明に帰国するという強行日程で、香港の民主化を要求するデモを視察。直接見た香港デモの現状はどういうものなのだろうか。

飯田)これは大変でしたね。

宮家)旅行者の方々には「デモには近づかないで」と言っているのに、お前はなぜ行ったのだと、外務省の人に怒られてしまいました。

飯田)でも、現場を見ることでわかることもありますよね。

宮家)45時間しかいなかったけれど、「ああ、こういうことなのか」といろいろわかりました。やはり百聞は一見に如かずなのですよね。久しぶりに全力疾走しましたよ。夜にホテルの近くを歩いていたら、たまたま警官隊と過激派の連中が追いかけっこをしていたのです。そして私が逃げたら、その横をお巡りさんたちが走って行くのですよ。あれは怖かった。1970年の日本の安保闘争を思い出しました。

飯田)当時はすごかったみたいですね。

宮家)ラジオやテレビなどで声を聴いて画像を観ると、火炎瓶が燃えていたり大騒ぎになっていて、雨傘が何十万もあるとかやっていましたが、現地に行ってわかったことは、その隣の道はガラガラなのですよ。ですから、香港が全部大騒ぎ、というわけではないということです。

28日、香港で、警官隊が発射した催涙ガスから逃れるデモ参加者=2019年7月28日 写真提供:時事通信

リーダー不在のデモ

宮家)それから、デモにはリーダーがいないのですよ。いたら捕まって終わりなのですけれども、いないのです。デモ隊は至るところに出て来る、「水のようになれ」と言われているのかもしれませんが。神出鬼没ではあるのだけれども、大騒ぎかと言ったら必ずしもそうではない。それから、なぜあんなことをやっているのに人々は反対しないのか。市民、中でも香港の財界の人たちですけれど、逃亡者の引き渡し条例をいちばん怖れているのは財界人です。ビジネスマンはいつ捕まるかわからないということで、学生たちが過激なことをやっていても、彼らは我慢してデモを支持しているのです。

飯田)たとえ経済が少し落ち込んでも。

香港国際空港の出発ロビーを占拠した逃亡犯条例の改正反対派(中国・香港)=2019年8月13日 写真提供:時事通信

市民を敵に回すような過激行為はしない

宮家)私が日曜の夜中に空港へ向かっていたとき、空港が封鎖されるかもしれないと大騒ぎになりました。

飯田)日曜の昼間に封鎖されていましたよね。

宮家)封鎖されたら大変なことになっていたのですけれど。当時はインターネットで実況中継をやっていたのですが、それを観ていて面白かったのは、過激派の連中が空港に入ろうとするのだけれどなかなか入れない。ところが別のところに行くと、ちょうど配電盤とか、いろいろ複雑な太いパイプが入っている部屋の入り口があって、それを壊したわけです。そしてそのカバーを開けてみると、何だか重要なガスか水かわからないけれど、太いパイプがあるのですよ。私もこれはやばいと思ったんですが、何と過激派の連中が「ん?」という感じで、何もしないで行ってしまうのです。

飯田)たたき壊したりせずに。

宮家)しない。彼らは、それをやったら一般市民を敵に回すとわかっているのです。

飯田)全部止めてしまうようなことはしない。

宮家)彼らにはそれなりの自制が効いているのです。行政長官がやっと問題になった条例案を撤回しましたが、遅いのですよ。このデモは当分続くと思いますね。

飯田)ギリギリのところで自制が効いているということは、細く長くという感じで、ずっと続くということですか?

宮家)そう思います。一般庶民の支持がなければ彼らはデモなんてできませんから。そこはよくわかっていて、矩(のり)をこえない。それがある限り、騒乱は続きます。

内堀通りを埋め尽くして日比谷公園から国会に向かうデモ隊(1960年6月15日)(安保闘争-Wikipediaより)

日本の安保闘争とは違う香港デモ

飯田)雨傘革命と呼ばれた5年前の革命のときは、ビジネスの中心街を占拠した。そして経済が麻痺しました。そのときは世論の風当たりみたいなものがあったのですよね。

宮家)あのときも香港に行きましたが、経済が麻痺したとは言っても、占拠された道路はそうだけれど、その隣は何もないのだから。

飯田)いまと同じだったのですか?

宮家)同じです。香港は750万人もいる大きな都市ですよね。ですから、そんな簡単に全部がひっくり返るわけではない。ただ、これが続いて、万一学生たちが過激化したら1960年代、1970年代の日本の一部の学生運動のようになる。そして孤立化して、自滅するわけです。それがいまの香港にはまだ見られない。一部で変な奴はいるけれど、本当に火炎瓶だって誰が投げたかわからないと言われているのだから。でも、全体としては70年代の日本とは違った、というのが私の印象でした。

飯田浩司のOK! Cozy up!
FM93AM1242ニッポン放送 月-金 6:00-8:00

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