福島第一原発事故をめぐる裁判〜「予測できなかった」ことは過失なのかどうか

ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(9月20日放送)に外交評論家・キヤノングローバル戦略研究所研究主幹の宮家邦彦が出演。東電旧経営陣が無罪となった福島原発事故訴訟の判決について解説した。

東電強制起訴判決 福島原発事故の刑事責任を問う訴訟で、東電旧経営陣に無罪判決出たことで、「不当判決」を訴える原告ら=2019年9月19日、東京都千代田区 写真提供:産経新聞社

福島第一原発事故を巡る裁判、東京電力の旧経営陣3人に無罪判決

東京電力の福島第一原子力発電所事故をめぐって、業務上過失致死傷の罪で強制起訴された勝俣恒久元会長ら旧経営陣3人全員に対し、東京地裁は19日、無罪判決を言い渡した。裁判の争点となった巨大な津波を予測できたかについて、東京地裁は「津波を予測する可能性がおよそなかったとは言い難い」とした一方で、「津波の予測に関する具体的な証拠や信頼性はなく、原発を停止するほどの巨大な津波の予測ができたとは認められない」と否定。その上で「3人は責任を伴う立場にあったが、刑事責任を負うことにはならない」と判断した。

飯田)もともと検察が2度不起訴という形になって、今回はそこからもう1度検察審査会を経て、という裁判の流れです。

宮家)誤解を恐れずに言いますけれど、問題の本質は法律の世界と国民感情のどちらを優先するかどうかです。当然ながらこの問題にも、国民感情があれば、法律世界のロジックもあるわけです。業務上過失致死ということは、刑事裁判ですよね。刑事責任を問う場合には、故意か過失がなくてはいけない。それでは、過失があったのかどうか、「予測ができなかった」ことは過失なのか、ということになります。

法律的判断が国民感情に左右されてはならない

宮家)19日に私は韓国にいました。韓国では例のたまねぎ男と言われた法務大臣の問題が起こっていますが、これもある意味で国民感情か、法律の世界かということで争われたものです。同様なことは世界中どこでも、民主国家の国であればあることです。法律があり、それによって裁かれる、これが民主国家の法制度のわけであって、国民感情はあるかもしれないけれども、それに法律的な判断が左右されてしまっては、基本的に裁判や司法の政治化になってしまうと思います。

長い目で見たときに、本当にそれでいいのか。毎回、国民感情で流されて、法律が本来あるべき、すべての人間に同じように厳しくという原則に照らして、本当にそれでいいのかという議論は常にしなくてはいけないと思います。経営責任はもちろんあります。私も実際に福島第一原発にも行って来ましたけれど、現場の人たちは責任を感じて本当に一生懸命やっていますよ。だからいいということにはならないけれども、経営陣の経営責任というものと、刑事責任は微妙に違うのだろうと思います。誤解を恐れずに言えば、この裁判の内容はおおむね妥当と言わざるを得ないのではないでしょうか。許しがたいという気持ちは分かりますけれど、なかなか難しい判断だと思います。

飯田)結局、法律と照らしてというところが裁判、司法の場では当然出て来るわけですよね。

宮家)国民感情でころころと法律の判断を変えたら、法の安定性というものにまで影響が及ぶ可能性があるので、そこは慎重であるべきだと思います。

2011年3月16日撮影 左から4号機、3号機、2号機、1号機(福島第一原子力発電所事故-Wikipediaより)

巨大組織は官僚化する

飯田)いろいろご意見もいただいています。“ぽりもりす”さん、61歳、京都伏見の方。「この判決に納得できないという人は多いと思う一方で、私も仙台にいて被災者だった立場から言えば、想定外というのは免罪符なのかという怒りがあります。今回の台風15号に対する対応も、想定外が理由で遅れているとも言われていますが、予算的、地理的な油断もあったのではないでしょうか。だとすれば、事前に15メートル超の津波の可能性が示唆されたなかで、今回の福島第一原発の事故、その当時の責任者を無罪にしていいのか。例えば次に関東大震災が来たときに、一体だれがこの免罪符を使うことになるのか。これでいいのでしょうか?」と。この再発防止というのは、また別で考えなくてはいけないということですかね。
宮家)一般論としては巨大な組織が官僚化して、その結果、柔軟に動けなくなったという意味では責任があると思います。行政責任、東京電力も半分「公共」ですからね。そういう責任が問われるべきだとは思いますが、それは刑事責任なのかな、とも思います。ただ、巨大組織は常に官僚化しますから、それについては戒めなくてはいけないと思います。

飯田浩司のOK! Cozy up!
FM93AM1242ニッポン放送 月-金 6:00-8:00

関連記事(外部サイト)