政界であった2つの“節目”を考える

「報道部畑中デスクの独り言」(第164回)

ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム。今回は、安倍総理の在任期間記録更新と、中曽根元総理が死去した2つの大きな“節目”について—

首相「新しい時代つくる」在職日数が憲政史上歴代1位となり、記者の質問に答える安倍首相(左端)=2019年11月20日午前、首相官邸 写真提供:共同通信社

臨時国会が12月9日に閉幕しました。「桜を見る会」の問題をめぐり、野党は内閣不信任決議案の提出をチラつかせましたが、閉会中も議論を続けるという与党との合意をもって、矛を収める形となりました。

想定される不信任案否決によって、「“終了感”を出してしまうと、勢いが萎えるのではないかという意見もあった」(立憲民主党・安住淳国対委員長)。野党にとっては「苦渋の選択」だったようです。

一方、政権与党は政府提出法案の大半が処理できたことを理由に、会期延長を見送りましたが、国民投票法改正案の審議が先送りになったのは残念なことでした。

この間、政界ではさまざまな出来事がありました。印象に残っているのは、安倍総理大臣が11月20日に在任通算(第一期と含めて)2887日となり、桂太郎氏を抜いて単独で総理在任日数の最長を更新したこと。そしてその9日後、11月29日には元総理の中曽根康弘氏が101歳で亡くなったことです。

政治 「首相3選なし」の示唆会見をする中曽根康弘首相=昭和60年(1985年)5月24日 写真提供:産経新聞社

中曽根氏に関しては「戦後政治の総決算」と謳い、3公社の民営化、行政改革を成し遂げ、憲法改正に晩年まで情熱を燃やした…メディアの回顧記事ではこうした文字が躍っています。

中曽根氏についてはさまざまな論評がありますが、この2つの“節目”で痛感するのは、政権というものは長期〜短期〜長期と、まさに“輪廻”のごとくいまに至っているということです。

中曽根氏が総理に就任したのは1982年、「三角大福中」…当時の政界ではこんな言葉がありました。時の実力者である三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、そして中曽根康弘、五氏の名前からとったもので、この五氏はすべて総理を経験しています。

佐藤栄作氏が約7年8ヵ月、2798日の長期政権となった後、田中・三木・福田・大平各氏の順に政権のバトンが渡されましたが、この間は石油ショックに加え、ロッキード事件や自民党の四十日抗争などで政権は長続きせず、特に大平氏は1980年、在任中に急死するという事態になります。

後任には大平氏と同じ派閥の、鈴木善幸氏が総理に就任。微妙な政治力学の上で、派閥内禅譲という形になり、その約2年4ヵ月後に中曽根氏が就任しました。

1986年4月13日、キャンプ・デービッドにてアメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガン(左)と(中曽根康弘-Wikipediaより)

中曽根政権の発足当時、私は高校生。断片的な記憶ではありますが、「ロン・ヤス」関係と言われていたアメリカのレーガン大統領と対等に渡り合っている(ように見えた)姿や、テニスに興じる姿がメディアに公開され、親しみやすいイメージを構築していました。

「不沈空母」発言に代表されるように「タカ派」として知られていましたが、“女房役”である官房長官には「ハト派」とされる後藤田正晴氏を起用しました。そうしたバランス感覚も、晩年「語り草」になりました。

一方、党内基盤の弱さから「田中曽根内閣」(田中派の支援がないと成り立たないという揶揄から生まれた)とも言われました。その田中派の領袖、田中角栄氏は中曽根内閣が発足した翌年、1983年にはロッキード事件で有罪判決を受けます。

その年に行われた総選挙で自民党は過半数を割る敗北、当時の新自由クラブと統一会派を組みますが、1986年にはいわゆる「死んだふり解散」で衆参同日選挙を断行。衆議院で304議席と圧勝を果たし、通算約5年、1806日という長期政権となりました。

長期政権の後、歴史は繰り返します。いわゆる「中曽根裁定」で総理になった竹下登氏は、リクルート事件により約1年7ヵ月で退陣。その後の宇野宗佑氏も、スキャンダルでわずか69日の短命に。

その後、連立7党による非自民政権や自民・社会・さきがけによる連立政権をはさみ、1〜2年半で政権は交代を続けます。小渕恵三氏が在任中に病に倒れるという出来事もありました。

そして、2001年の小泉純一郎氏の就任で約5年半、1980日の長期政権に…しかし、その後は在任1年前後の、まさに「サミットごとに顔が代わる総理の時代」に。民主党政権を経て、現在の安倍政権に至るというわけです。

小泉とアメリカ合衆国大統領ブッシュ(2006年6月29日)(小泉純一郎-Wikipediaより)

ところで、前述の「三角大福中」に代表されるように、永田町にはこの種の語呂合わせが好きな人がいて、時代時代にニューリーダーや実力者、好敵手と言われる人々に対する“略称”がありました。

「安竹宮」(あんちくみや 安倍晋太郎・竹下登・宮澤喜一)

「金竹小」(こんちくしょう 金丸信・竹下登・小沢一郎)

「YKK」(山崎拓・加藤紘一・小泉純一郎)

「麻垣康三」(あさがきこうぞう 麻生太郎・谷垣禎一・福田康夫・安倍晋三)

「鳩菅」(はとかん 鳩山由紀夫・菅直人)

気になるのは、いまこのような“略称”が聞こえて来ないということ。石破茂氏、岸田文雄氏、野田聖子氏…「ポスト安倍」という言葉はあるものの、世論調査などではパッとしない状況が続きます。

小泉進次郎氏は次代を担うホープではあっても、リーダーにはまだまだ先というのが衆目の一致したところかと思います。「安倍一強」と言われる体制で、野党の体たらくが指摘されていますが、実は与党も人材不足の状況に陥っているというのは言い過ぎでしょうか?

「小選挙区制の弊害」「異分子を排除するような風潮」…さまざまな背景があると思いますが、自民党総裁任期が延長されない限り、2021年には安倍内閣は終焉を迎えます。

2020年はいよいよ東京オリンピック・パラリンピックが開かれ、日本は大いに盛り上がるでしょう。一方で、誰が日本をけん引するリーダーとして頭角を現すのか…高揚した雰囲気のなかで、地道な下ごしらえが必要な1年になるのではないかと思います。安倍内閣在任期間最長、中曽根氏死去にあたり、そんなことを考えました。(了)

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