【吉田茂という反省】真珠湾攻撃が「だまし討ち」になった原因! 責任者2人を外務次官にした罪

【吉田茂という反省】真珠湾攻撃が「だまし討ち」になった原因! 責任者2人を外務次官にした罪

真珠湾攻撃を終えた九七式艦上攻撃機

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 元首相、吉田茂のでたらめぶりは、日米戦争の端緒となった真珠湾攻撃の「だまし討ち」に関わる2人の責任者を、いずれも処罰どころか、外務省の最高官職である外務次官に昇格、栄達させたことでもよく分かる。

 よく知られているように、日本の「開戦通告」は、真珠湾攻撃の30分前に米国政府に届くはずだった。ところが、ワシントンの駐米日本大使館が通告文のタイプに時間がかかり、実際に米国政府に「開戦通告」が渡ったのは攻撃の約1時間後だった。結果として、真珠湾攻撃は「無通告の攻撃」(卑劣なだまし討ち)になってしまった。

 真珠湾攻撃前夜、「開戦通告」をタイプすべき大使館員が、遊びに出かけて遅くまで飲み食いしていたのだ。緊急態勢を敷かず、前日終えておくべきタイプの担当者を遊びに行かせた上司との2人が直接の責任者といえる。

 吉田はその2人を、サンフランシスコ講和条約が発効(1952=昭和27=年4月)して、日本が主権を回復する前後に、外務次官に昇格させたのである。そうすることによって、外務省の歴史的大失態を国民が議論できないものにしたとしか思えない。

 太平洋戦争が終わる直前、広島と長崎に原爆が落とされ、甚大な犠牲者が出た。このとき、時の米国大統領、ハリー・S・トルーマンはいずれの場合も、これで「だまし討ち」の仇を取ったと言った。それほど、米国は、真珠湾の無通告攻撃に激怒していたのだ。

 開戦時の大統領、フランクリン・ルーズベルトは、実際は事務失態で遅れたことを知っていたが、米国民にそんなことは言わなかった。米国民は、日本が計画的に「だまし討ち」をしたのだと思って、日本を心底憎悪して戦った。トルーマンの言い方は、米国民の気持ちを代弁していたのだ。

 自らの戦争責任を隠した外務省は、かの戦争について「軍部の引き起こした悪い戦争である」としか言わなくなった。「言えなくなった」と言ってもよい。

 これだけ大きな外務省の戦争責任を隠したのであるから、戦後の日本の言語空間が歪(ゆが)まないわけがない。

 吉田には、外務省の戦争責任を隠したら、国民の言語空間がいかに歪み、国民にいかに迷惑をかけるかを考えた形跡はない。ただ、外務省出身として、衝動的に隠したのだろう。

 外務省の大失態を軍で例えれば、見張りが居眠りしたために部隊が敵に襲われ全滅したようなものだ。銃殺刑に処せられてもよい。吉田はその責任者2人を最高官職の外務次官に栄達させた。並みの神経では考えられない。=敬称略

 ■杉原誠四郎(すぎはら・せいしろう) 教育研究家、日本近現代史研究家。1941年、広島県生まれ。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。城西大学教授、武蔵野大学教授を務めた。新しい歴史教科書をつくる会顧問。著書・共著に『外務省の罪を問う』『保守の使命』『吉田茂という反省−憲法改正をしても、吉田茂の反省がなければ何も変わらない』(いずれも自由社)など多数。

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