中曽根元首相死去 「首相と恋人は私が選ぶ」「不沈空母」「死んだふり」「政治的テロ」…流行語になった名言も

中曽根康弘元首相が死去「不沈空母」「死んだふり」など名言も 「改憲の歌」も発表

記事まとめ

  • 中曽根康弘元首相は「政治家は歴史法廷に立つ被告である」など多くの名言を残した
  • 憲法改正をライフワークとした中曽根氏は「憲法改正の歌」を作詞し、昭和31年に発表
  • 自民党を大勝に導いた昭和61年の衆院解散は「死んだふり解散」と言われるようになった

中曽根元首相死去 「首相と恋人は私が選ぶ」「不沈空母」「死んだふり」「政治的テロ」…流行語になった名言も

中曽根元首相死去 「首相と恋人は私が選ぶ」「不沈空母」「死んだふり」「政治的テロ」…流行語になった名言も

自民党総裁選から一夜明けた船出の朝、蔦子夫人(左)に見送られて自宅を出る新総裁の中曽根康弘氏=昭和57年11月25日、東京都世田谷区上北沢

 29日死去した中曽根康弘元首相は「政治家は歴史法廷に立つ被告である」「私の心の中には国家がある」「理想や目標を持たない民族は滅びる」など、政界や社会に警鐘を鳴らす名言を多く残した。

 憲法改正をライフワークとしてきた中曽根氏は「国民は国の前途を憂いつつマック憲法迎えたり。我が憲法を打ち立てて国の礎築くべき」などと現行憲法を批判する「憲法改正の歌」を自ら作詞し昭和31年に発表、36年からは「首相と恋人は私が選ぶ」をキャッチフレーズに首相公選制導入の改憲を訴えた。

 首相就任直後の訪米の際、米紙社主との朝食会で「日本列島を不沈空母のように強力に防衛する」と発言したと報道された。中曽根氏は「高い壁を持った大きな船」との発言を「不沈空母」と英訳されたと語ったが、一昨年の外交文書で自ら「不沈空母」と発していたことが判明した。

 61年の施政方針演説では「『戦後政治の総決算』は戦後40年間のひずみや欠陥を是正し、21世紀に備えるものだ」と強調。

 自民党を大勝に導いた同年の衆参同日選では、衆院解散を野党が警戒する中、実施しないふりをして断行した。実は、同年のはじめから「死んだふりでいく」と決意していて、解散をすると「私が死んだふりをしたといわれるが野党は知らないふりをした」と述べ、「死んだふり解散」と言われるようになった。

 平成8年、衆院選が小選挙区比例代表並立制の下で行われると、自民党執行部から比例代表北関東ブロック「終身1位」を保証された。その後、党に「73歳定年制」導入の動きが出ると「わたしは『老兵は死なず、ただ頑張るのみ』だ」(12年)と現役続行に意欲をみせた。15年に小泉純一郎首相から議員引退を求められ、「政治的テロだ」と反発したものの、最終的には衆院選不出馬を表明。「暮れてなほ 命の限り 蝉しぐれ」と心境を詠んだ。

 後輩政治家への端的な批評も注目された。8年に鳩山由紀夫氏が祖父の一郎元首相の政治信条「友愛」を掲げて民主党を結成すると「愛とか友情とかリベラルとかソフトクリームのようだ」と一郎氏の政治姿勢との違いを皮肉った。

 小渕恵三首相を「中が真空だから、何でも吸い込む吸引力がある『真空総理』」、女性5人を閣僚に起用して発足した小泉内閣を「ショーウインドー内閣」、小泉氏の発言の手法を「物事を瞬間的に捉えて結論だけ言う『瞬間タッチ断言型』」、菅直人首相を「支持基盤はなく市民勢力を背景に生まれた『市民派政治家』」と評した。=肩書、固有名詞は当時

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