石破茂が指摘「国民への“お願い”よりも先にやるべきことがあるはず」 医療の供給体制の見直しにも言及

石破茂が指摘「国民への“お願い”よりも先にやるべきことがあるはず」 医療の供給体制の見直しにも言及

石破茂氏

■国民への「お願い」よりも先にやるべきことがあるはず 石破茂の異論正論(7)


 新型コロナ対応では「医療体制の充実」が必要であるというのは、当初から言われていたことである。感染者や重症者が増えても慌てない体制があれば、国民も安心できる。ところが、1年以上経ってなお、そのような状況にはなっていない。その一方で、政府がさまざまな「お願い」を繰り返しているから、国民のフラストレーションはたまり続けている。

 一体何が問題なのか。

 石破茂の「異論正論」、第7回の今回は、現在のコロナをめぐる状況についての分析をしてもらった。

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 前回ご説明した通り、我が国には緊急事態条項のようなものが法律で定められていません。それもあって、国家が私権を制限することが難しいという面があります。

 新型コロナ対策が、国民への「お願い」ベースになるのもそれが理由の一つです。

「店舗の営業は一切禁止」とか「外出は禁止」といった「強制」や「命令」は法的な根拠がないため、できないのです。

 ところが、この1年余り、その強制力がない「お願い」を、国民は従容として受け入れてきました。私権の制限も経済活動の制限も、淡々と受け入れたのです。

「そんなのはおかしい」と激しく反対する勢力は野党にも存在せず、コロナ対策に関して「反政府運動」を展開する団体もほとんど見られません。

 日本とは比べ物にならないくらいの感染者数、死者数を出している欧米では、「反マスク運動」がかなりの規模で展開されていました。フランスではパーティーを強行した人たちと警官隊とが衝突する事件まで起きました。

 ところが、日本ではそのような運動どころか、「過度な自粛」として疑問の声をあげる人は超少数派です。自粛は不要だと声をあげている言論人は、小林よしのりさんくらいしか目立ちません。

 これは日本人のマナーの良さや団結力のあらわれと解釈することもできるでしょうが、一方で同調圧力の強さを指摘する方もいることでしょう。

 奇妙なことに、本来は政府に対する警戒感を露わにし、行政権の拡大や私権の制限に対して猛反発するはずの野党が、むしろ「もっと制限せよ」と言わんばかりの主張をしています。

 平時において緊急事態条項の創設などに強い反発を示していた野党や法曹関係者が、今回の新型コロナ禍では、私権の制限にとても寛容な立場、つまりもっと国民に厳しい自粛を求める立場に理解を示しているように見えます。

 従来の主張はどこに行ったのでしょうか。

 こうした状況は、権力を行使する側からすればとても都合の良いことです。反対勢力が「もっと厳しく制限せよ」と言っているような状況では、それを少し取り入れただけで相手の勢いを削ぐことにもつながる。

 実際にこのような構図が1年以上続いています。

 が、果たしてそれでいいのでしょうか。

 新型コロナウイルスの感染が始まった頃には、政府は経済対策と感染対策の両立を図るとしていました。

 しかし、Go to キャンペーンを実施し、これに強い批判が加えられてから、とにかく感染対策を重視しているというメッセージばかりが強くなり、自粛や営業時間の短縮などを「お願い」することが最優先となっていったように思われます。

 さて、このような政策的な方向性は、本当に国の利益にかなっているのでしょうか。

 誰もが納得する正解などは存在しませんが、常に検証を行う視点は持ち続けなければならないでしょう。

 お断りしておきますが、私は何も「マスクを捨てて外に出よ」とか「気にせず会食や旅行をどんどんやろう」と言いたいのではありません。旅行については、以前の原稿で、マイクロツーリズム(自身の住む地域内での旅行)という考え方をご紹介しました。当然、感染対策は必要です。

 しかし、現状の対策が正しいのか、どのようなメリット、デメリットがあるのかについては常に官民問わず検証を続けていくべきです。

 約100年前、1918年〜20年までの3年間、日本でもスペイン風邪が大流行しました。その時、国民はどう動いたかご存じでしょうか。

 実は今回のような対策はほとんどなされず、結果として40万人もの方が亡くなっています。1年目でいったん感染が収束したかに見えたのですが、2年目に変異ウイルスが拡がり、国民の5人に2人が感染しました。集団免疫ができるまで、多くの死者が出ました。

 一方で、この間、経済は空前の好景気で、成長率は25%にも達していた。出生率もまったく下がらなかったそうです。

 このスペイン風邪と比べれば、新型コロナウイルスの死亡率は極めて低く、また、当時と比べ医療は質量ともに格段に進歩しています。

 それでも今、圧倒的多数の国民が厳しい自粛を受け入れて生活を続けています。

 この違いは何でしょうか。

 理由の一つは、マスメディアの飛躍的発達とその報道傾向にあるのではないかと思います。

 スペイン風邪の頃は、まだラジオすら普及しておらず、もちろん、テレビもネットもありませんでした。

 これに比して、いまはあらゆるメディアが発達し、そのほとんどがテレビも新聞等の紙媒体も、コロナの危険性を伝え続けています。

 これにより、情報過多によるインフォデミックのような状況が起きている気がしてなりません。

 それが、わが国でよくみられる同調圧力を生み、日本国中が過度なまでの自粛を容認しているのではないでしょうか。

 繰り返し強調しておきますが、私は決して感染対策を軽視すべきとは考えていません。むしろ、感染対策はより科学的に効果的なものを徹底させるべきだと思っています。しかし、そうであればこそ、「とにかく危なくて大変なウイルスだから、あれもこれもするな」という一種あいまいなままの方針、法的根拠のない「お願い」ベースの打ち出し、そしてこれをメディアも野党も検証しないどころか、増幅させるような言説ばかりを唱えている現状には違和感をおぼえます。

 医療の逼迫が問題だと言われます。たしかに大問題です。

 しかし感染者、すなわち需要が増えたことばかりが伝えられて、供給がどれだけ増えたのか、なぜ増えないのかについては丁寧な説明はありません。

 日本のシステム上、これ以上は仕方がない、といった解説はあります。しかし1年以上経ってなおそのシステムが変わっていないこと自体を問題とすべきではないでしょうか。

 そこを議論せずにメディアなどでは「需要を減らせ」、すなわち感染者を減らすために国民は我慢せよという話ばかりが出てきて、「供給」の問題が後回しにされ続けています。

 日本の医療が従来から持っている問題点、すなわち機動性と弾力性の低さが露呈した状態が続いています。

 加えて偏在性の問題もあります。空いているところは空いたまま、危機的なところはより大変になっているという具合に、偏りがあるのです。ここに行政の影響力を行使できていません。

 その一因として、日本の病院の8割を民間病院が占めている、ということを挙げる方もおられます。たしかに法的根拠を新しく設けなければ、「民間に行政が介入するのか」と批判されることは必至です。

 こういった問題を法律的にも運用上も解消し、医療の機動性、弾力性を確保して、偏在状況を是正することこそが政治の重要課題なのではないでしょうか。この「供給」の問題を解決せずに、国民に我慢を「お願い」することばかりが強調され、マスコミもその論調でほぼ統一されている現状では、国民に安心していただくことはできないのではないでしょうか。

 日本では新型コロナの感染者・発症者も欧米に比して少なく、もともとの人口当たり病床数は世界一、医師・看護師の数も先進国の平均近くを有し、その質も高く、CTやMRIの普及率も世界一と言われています。

 そんな日本で何故「医療崩壊」の危機が叫ばれるのか。

 国民に自粛をお願いすることも、早期のワクチン接種も重要ですが、医療の供給体制を見直すとの視点も欠かしてはなりません。

 医療圏には1次から3次まであります。

1次医療圏は、日常生活に対応する医療を行う圏域で基本的に市町村単位です。

2次医療圏は予防から入院・治療までの一般的な医療を行い、複数の市町村で構成される圏域。

3次医療圏は先進的な医療を行う圏域で、都道府県が単位になります。

 このうち全国に344ある2次医療圏ごとに考えても、個々の状況は全く異なります。首都圏、中京圏、近畿圏では本当に崩壊の危機に瀕しているところもありますが、そうでない医療圏もあるのです。

 2次医療圏や都道府県を越えて医療体制を融通できるシステムを法的に担保するためには、特措法と共に、医療法や感染症法の改正も必要なのではないかと考えています。

 具体的には、現場の状況を把握している都道府県知事の権限を拡大し、圏域や公立・民間の別を越えて、重症者から中等者までの患者の受け入れを逼迫していない地域の病院に指示できるようにすべきではないでしょうか。

 圏域全体で通常の救急医療と一般医療、そしてコロナ治療を分けて担うことで医療崩壊を防ぐ試みも、政府として後押しする方策を進めなくてはなりません。

2021年5月26日 掲載

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