「大石内蔵助のような心境」で本を読み、知識を蓄える 石破茂元幹事長の「勉強論」

「大石内蔵助のような心境」で本を読み、知識を蓄える 石破茂元幹事長の「勉強論」

石破茂氏

■主権者が変わらなければ、政治も変わりません 石破茂の異論正論(9)


 石破茂元自民党幹事長は、相変わらず世論調査の「次の総理候補」では上位に入っているものの、特に役職もない今、何をしているのかは国民には見えづらい。

 現在の心境を尋ねてみると、「大石内蔵助のような……」と言うのだが――。その意味するところは何か。石破茂の異論正論、第9回である。

 政治への不満、フラストレーションがたまっていることを強く感じます。相変わらず政治とカネの問題もいろいろと伝えられ、それに対する当事者の説明に納得いかないという方も多い。

 有権者の方のイライラ、閉塞感はつのる一方だと思います。この感じは、直近でいうと4年前、都民ファーストが台頭してきた時に似ています。あの時は東京だけの話でしたが、今はそれが全国にまで広がっているようです。

 しかし、当時の都民ファーストのような存在が国政においてあるかといえば、そうではない。野党が不満の受け皿にはなっていません。

 それはどこかで、野党にとっても、いまのまま野党でいることのほうが快適だ、という気持ちがあるからではないでしょうか。「多弱」の一部でいることをよしとしているからではないでしょうか。

 このような状況は突き詰めれば主権者の問題でもあります。民主主義国家である日本では、主権者が変わらなければ、政治も変わりません。広島県の再選挙や長野県の補欠選挙の投票率は4割程度でした。棄権したくなる気持ちはわかりますが、それは、結局、現状肯定になるのだということは知っていただきたいと思います。

 このような場でいろいろと述べていると、「他人事のように言うな。お前が何とかしろ」と怒る方もいます。「総理に直言しろ」という人までいらっしゃいます。

 しかし、私は直近2回の総裁選に出馬して敗れた身です。

 予算委員会などで発言の機会もありません(お願いはしているのですが)。

「それもこれもお前の身から出た錆だ」とさらに怒られたところで、現実問題として、私が直言する機会もありませんし、効果もないでしょう。私としては今、自分にできることをやっていくしかありません。

 マスメディア、あるいはブログやこうした場で自分なりの政策や意見を述べるのもその一つだと考えています。これまでは街頭演説で訴えることもしていましたが、新型コロナ禍においてそれもなかなかままならない。

 このような状況において、国民、有権者の方々に考えを知っていただいたり、政策について考える視点を提供したりするのも大切な仕事だと考えています。少しでも参考になるところや、共感していただけることがあれば有難いと思います。

 もちろん、外部に発信する以外の仕事もやっております。5月には私が代表世話人を務める超党派の海洋基本法戦略研究会を久しぶりに開催しましたし、CLT、ジビエ、賃貸住宅、農林水産高校など、会長を務めさせていただいている議員連盟は、同志の先生方とともにそれぞれ活発に活動しています。

 それから自民党本部で行われる部会と言われる勉強会は、主に安全保障や憲法の分野で定期的に参加していますし、地方やオンラインでの講演も、有難いことにそれほど減ってはいません。


■大石内蔵助のような心境で「その日」に備える


 私自身は現在、いつかお役に立てる日のために勉強を続けており、それには十分な意義があると考えています。

 少し格好をつけて言えば、現在は大石内蔵助のような心境というところなのです。

 有名な「忠臣蔵」のお話では、主君・浅野内匠頭が幕府に切腹を命じられた後、内蔵助は遊興に明け暮れていると見せかけて、虎視眈々と「その日」に備えていました。浅野の未亡人に「お前は何をしておるのじゃ。友の仇をいつ討つのじゃ。なぜ殿の無念を晴らさないのだ」と怒られても、内蔵助は「私にはそのような気持ちはございません」などとのらりくらりと話すだけ。相変わらずフラフラしているようにしか見えないので未亡人は怒る。まあフィクションがかなり入っているでしょうが。

 このように言うと、早合点して「お前は菅さんを討つ準備をしているのか。この裏切り者め!」と言う方が現れそうですが、倒閣運動だの反政府活動だのを考えているのではありません。

 あくまでもいつか来るかもしれない出番に備えて研鑽を積んでおきたい、ということです。自分が必要とされる局面に備えて、できるだけのことはしておく。

 そのためには現状の分析などに加えて、これまで以上に勉強をしていかねばならない、と考えています。

 もしも出番が来なかったとしても、国会議員としてできることはまだまだあると思って研鑽しています。

 なぜさらなる勉強が必要と考えているか。

 新型コロナの世界的な流行、米中の対立など、世界は本格的な大変革期に入っていると思っています。のちの歴史教科書では数ページくらい割かれるのではないか、と思えるほどの変化が、かなりのスピードで訪れています。

 このような状況で、指導者や政治家には、平素以上の見識や教養が求められます。

 日本の近現代史を見ると、明治維新(1868年)から第2次大戦敗戦(1945年)までの77年が近代。それ以降が現代とされ、来年2022年が敗戦から77年後となります。ちょうど近代と現代が同じ長さになるのです。

 国家のあり方が一気に変わった明治維新の頃の指導者たちは、情報が容易に入手できなかった時代にもかかわらず、大変な努力で勉強をして、外国語、国際法にも通じていました。そのことは日本がアジアの中で唯一、近代化に成功したことに大きく寄与しています。

 歴史を勉強している、というと呑気な趣味のように受け止められるかもしれませんが、私自身はそうは思っていません。日本はもちろんのこと、近隣国、西欧諸国などの歴史、法律、制度などを知らずして、この激動の時代に対応できるはずがないと思っています。

 バイデン大統領、ジョンソン首相、プーチン大統領、メルケル首相など、諸外国の多くのリーダーは、そうしたことを教養として身につけたうえで外交、安全保障政策を進めるでしょう。その時、私たち日本の指導者だけが、そのバックグラウンドを知らないでは済まされません。

2021年7月7日 掲載

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