「河村たかし」名古屋市長 金メダル噛みつきで潰えた“野望”とは

「河村たかし」名古屋市長 金メダル噛みつきで潰えた“野望”とは

東京五輪で金メダルを獲得した女子ソフトの後藤投手が河村たかし名古屋市長を表敬訪問。市長がメダルをかじり交換する事態に(2021年8月4日)

■永田町は安心!?


 金メダルを噛んで批判殺到の河村たかし・名古屋市長(72)だが、永田町では「国政に復帰したくて仕方のない人」と言われていたという。

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 政治担当記者が言う。

「河村さんは名古屋市に生まれ、愛知県の名門高である県立旭丘高等学校に進み、一橋大学を卒業しています。学歴だけを見れば、意外に知性派なのです。率直と言うか、歯に衣着せぬと言うか、少し下品なキャラクターが人気でした。金メダルを噛んでも、『あの市長ならやりかねない』と思った人は多かったでしょう」

 1993年、日本新党の候補者として旧愛知1区から立候補し、衆院選で初当選を果たした。それから旧民主党に移り、衆議院議員として5期連続当選を果たした。

「旧民主党の国会議員だった頃から、選挙に強いことで知られていました。2009年に名古屋市長選へ立候補しましたが、有権者の支持は変わりませんでした。5選という“長期政権”を果たしています」(同・記者)

 だが、近年は“いい加減な姿勢”を問題視されることが少なくなかった。

「2019年に開催された『あいちトリエンナーレ2019』の企画展『表現の不自由展・その後』では、公金が投じられた展覧会だったにもかかわらず、慰安婦像や昭和天皇の御影がバーナーで燃える映像が“芸術作品”として展示されたことで物議を醸しました」(同・記者)


■トリエンナーレ問題


 これに多くの抗議が殺到。不自由展は開幕3日で中止した後、会期末の7日間だけ再開された。この時、河村市長は、開催を許可した愛知県の姿勢を批判した。

「ところが週刊新潮の取材で、オープニング前日のレセプションに出席した河村市長が上機嫌で一席ぶち、楽しそうに乾杯する姿が明らかになりました(註1)。プレビューに呼ばれても、きちんと作品を見ていなかったわけです。その後、世論が問題視すると、手の平を返して批判する。そうした“ポピュリズム”的な傾向は、もともとあったと思います」(同・記者)

 2007年、東京・赤坂に国会議員の宿舎が完成した。豪華な内外装と格安の家賃を世論が問題視すると、当時国会議員だった河村市長は、たちまち反応した。

「河村さんは『議員宿舎は格差社会の象徴』だと言って、入居を拒否しました。少なからぬ有権者は賛意を示しましたが、やはりポピュリズムであることは言うまでもありません。実のところ、旧民主党でも一匹狼で、側近や仲間がいなかったのは関係者なら誰でも知っています。もともと人徳がない人なんです」(同・記者)

 トリエンナーレの問題は、大村秀章・愛知県知事(61)のリコール問題に発展した。河村市長も運動の“応援団”を自認していたが、これも後に批判されることになる。


■立憲民主党も“絶縁”


「リコール運動は署名の偽造問題が発覚し、逮捕者が出ました。今年4月の名古屋市長選で河村さんが再当選すると、同じようにリコール運動を支持していた美容外科『高須クリニック』の高須克弥院長(76)が、『当選おめでとう。でも絶交します』とマスコミなどに宣言しました。というのも、リコール運動を提案したのは河村さんなのに、署名に問題があると報じられると、手のひらを返したように無関係と言い出したからです」(同・記者)

 そんな河村市長は、常に国政復帰を企んでいたという。

「永田町では、『ポピュリズムだけで中身のない人』と言われていました。昔の仲間がいる立憲民主党や国民民主党からは、全く相手にされていません。そのため最近では、日本維新の会との連携を模索していました。しかし、金メダルを噛んだことで、もはや国政復帰どころではないでしょう。永田町では、お騒がせな河村さんが戻ってこないと分かってホッとしている人も少なくありません」(同・記者)

註1:週刊新潮19年8月15・22日号「『慰安婦像』と『昭和天皇の御影焼却』に公金10億円が費やされた『表現の不自由展』にあの黒幕」

デイリー新潮取材班

2021年8月17日 掲載

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