「政治家の言葉を国民が信用しない」状況の責任は政治家にある

■政治不信が常態化している 石破茂の異論正論(13)


 与党の支持率が下がっても野党の支持率は上がらない。支持政党なし、が増えていく。これはすでに見慣れた光景。いまさら「政治不信」を嘆くのはあまりに初心(うぶ)というものかもしれない。

「政治不信」が常態化している現状について、石破茂元自民党幹事長はどう見ているか。異論正論、第13回である。


■国滅び教と揶揄されて


「そもそも、政治不信とは何でしょうか。

 政治家の言葉を国民が信用しないということです。

 しかし、この事態を嘆く前に、政治家は自らに問うべきです。では、自分たち政治家は、国民を信用しているのか、と。本当のことを言っては票を減らしてしまう。お金にならない安全保障の話をしても票につながらない、といった考えで、自らが本気で信じていないような甘い言説を撒き散らかしてはいなかったか。国民を信用しない政治家が、国民に信用されるはずはありません。

 私は、日本国民を信じています。だからこそ、その場しのぎの楽観論を書こうとは思っていません」

 上の文章は自民党が野党だった頃、2012年に上梓した『国難』という拙著の一節です。

「このままゆけば、間違いなく国は滅びる。我々のように、満喫とは言わないまでも国の繁栄を味わった世代はまだよいが、今の子供たちはあまりに可哀相というものだ」

 こちらはさらに昔、1996年に月刊誌に書いたコラムの一節です。

「お前は昔から暗いな」と笑われそうですが、その頃ももっぱら「心配性の石破」と言われ、一部では「石破茂の国滅び教」などと揶揄される始末でした。


■放置した問題のツケが回ってくる


 なぜこのような昔の文章を引っ張り出してきたかといえば、コロナ後の日本は、これまで正面から向かい合っていなかった問題のツケがより深刻な形であらわれる、と考えているからです。ますます「その場しのぎの楽観論」が通用しなくなります。

 安全保障ひとつとっても、日米関係が良好なのはとても良いことなのですが、すべてをアメリカに依存している状況は決して好ましいとは言えません。「アメリカが守ってくれる」という楽観論に陥ってはならないのです。

 実はGDPに占める防衛費の割合は、民主党政権時代よりも、その後の自民党政権下のほうが下がっていることを忘れてはならないでしょう(金額は別です)。

 すでにコロナの影響を大きく受けているのが、少子高齢化問題です。出産も婚姻も数が激減していて、このままではコロナ前の見通しよりも18年も早く出生数が75万人台に落ち込むと見られます。これもコロナが収束すれば何とかなるという問題ではありません。

 このところ地元、鳥取でも、感染対策に十分配慮したうえで、少しずつ街頭演説を再開しているのですが、以前にはなかった困りごとがあります。聴衆の方、有権者の方がマスクをしているので、初対面の方の顔を覚えるのがとても難しいのです。また、感情を読みとるのも難しい。ソーシャルディスタンスを取っているので余計に困難です。

 こういう状況では、恋愛感情も生まれづらくなる、と言っていた方があったのですが、その通りだなと強く感じました。相手の顔もよくわからないし、距離を近づけることが難しい。これでは婚姻数の減少傾向にも当面歯止めがかからないのではないか、という気がしてなりません。

 もちろん、結婚をするもしないも個人の自由です。しかし政治としては、結婚したいと望む人が安心して結婚できる環境を整備する必要があります。

 もともと少子高齢化は日本が抱える最大の課題の一つでした。このままでは80年後には人口が今の半分以下、5200万人ほどになり、しかもその構成は高齢者が多数を占める、というシミュレーションが5年前からなされていました。世界の人口は増え続けており、その頃には倍になるともいわれています。そんな中で日本の人口が半分になるということだと、相当な努力をしない限り国力の低下は避けられません。また、「世界に冠たる」といわれる国民皆保険をはじめとする医療、年金、介護の社会福祉システムの持続可能性も危うくなってしまいます。

 コロナ前から喫緊の課題であったこの問題が、コロナの影響で加速化しています。しかし、その対策に国として全力で取り組めているでしょうか。このままでは200年後には人口は10分の1になるという試算もあるのです。

■転落した日本経済


 経済に目を向けても、コロナが収束したら急上昇するということはあまり期待できません。

 コロナ禍以前から、いつの間にか日本の労働分配率はOECDの中で最低になってしまっていました。要するに富める者はより富み、貧しい者はより貧しく、という傾向が強くなっているのです。一所懸命働いているのに、暮らしが楽にならない人、世の中が良くなっていると感じられない人が多くなっている、ということです。

 国民1人当たりのGDPも1996年をピークに低下しています。ピーク時にはOECD加盟国の中で6位、G7の中では米国に次ぐ2位だったのが、現在はG7最下位になっています(こうなるまで多少の上下はありましたが)。

 企業の利益が労働者に還元され、可処分所得が増えていかなければ、個人消費は伸びません。そして個人消費が伸びなければ経済は持続可能な形で発展できません。

 本来、設備投資も賃上げも、企業による投資という意味では同じはずです。そして企業が成長するために設備とともに人材にも投資をしなければならないのは、本来当然のことなのですが、あまりにもデフレが長く続き、その間コスト抑制のために人件費を削減することを続けすぎたので、マインドそのものが変質してしまっているのではないでしょうか。

 これを変えるには、政府による人材育成投資をより一層進めるとともに、企業の利益がもっと労働者に還元されるように促すための政策として、税制を変えることによるインセンティブも考えなければなりません。

 民間を動かすための何らかのインセンティブ措置は、コロナ対策でも考えていくべきだと思います。飲食店に対して時短要請や「お酒を出さないでください」とお願いをすることをずっと続けていますが、たとえば一定の基準で対策をお願いし、それを明確にクリアしている店舗については「21時まで営業可能」といった施策を取らないと、今後の継続的な協力は望めないのではないでしょうか。


■「また今度」では済まない


 少子高齢化対策、経済の立て直し、いずれもコロナ禍よりもはるか前から存在していた大きな問題です。しかし抜本的な転換には至らないまま、今日に至り、コロナ禍によってより深刻化してしまいました。

 なぜわかっていた問題なのに解決に至っていないか。言うまでもなく私たち政治家の責任は非常に大きいといえます。

 原因はさまざまでしょうが、放置したり、先延ばしにしたりしてはいけない問題があるにもかかわらず、どうしても短いスパンでの議論や解決策を優先してしまう傾向があることは否めません。

 そして「このままでは国が滅びる」といった話は選挙などではあまり受けないので、どうしても避けてしまいがちです。四半世紀前、私が「国滅び教の教祖」などと揶揄されたのはすでに述べた通りです。

 たとえ政府として大きなテーマの議論を掲げても、本題に入る前に、野党はその時々のスキャンダルを追及しがちであり、与党もこれに応じざるを得ず、結果的に「大きな話はまた今度」となってしまう。その繰り返しになっています。

 それで結局どうなるかといえば、抜本的な対策が打てないまま、問題は大きくなるばかりです。私はもっと国民を信用して、本質的な問題を議論し、もっと中長期的かつ抜本的な解決策を提示しなければならないと考えています。

 この問題については次回もお話しします。

2021年8月25日 掲載

関連記事(外部サイト)