「新党を作れ」「自民党を出て行け」の声に石破茂が答える

「新党を作れ」「自民党を出て行け」の声に石破茂が答える

石破茂氏が新党作らない理由

 総選挙が終わった。自民党と立憲民主党は議席を減らし、日本維新の会が躍進を見せた。自民党の場合は議席数を減らすこと自体は既定路線だったので、むしろこの程度であれば良かったというのが当事者、支持者の受け止め方だろう。逆に立憲民主党は完全にアテが外れたというところではないか。共産党との共闘路線は、無党派層の支持を得ることに失敗したと言われても仕方がない。

 自公には抵抗があるが、立憲民主党にも嫌悪感がある。そんな無党派層の受け皿となったのが、今回は日本維新の会であり、あるいは少しとはいえ議席を増やした国民民主党だったのかもしれない。

 与党も野党も支持できないという層に関連して、必ず出て来るのが「新党」話である。目下、自民党内でも中心にいるとは言い難い石破茂元自民党幹事長のもとにも「党を割れ」といった声が届くことは珍しくないという。10月31日の選挙特番では、太田光も石破元幹事長に対して「新党を作ればいい」とたきつけていた。

 そんな声にどう答えるか。 石破茂の異論正論、第16回である。

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■「いっそ新党を作れ」の声 石破茂の異論正論(16)


 この連載に限らず、あちこちで自分の考えを述べていると、さまざまな声をいただきます。ネット配信された際に寄せられるコメントにはなるべく目を通すようにしています。

 その中で多いのは次の二つでしょうか。

「いっそ新党を作ればいいじゃないか」

「そんなに文句があるのなら自民党を出て行け。足を引っ張るな」

 前者には期待を込めて書いてくださる方もいらっしゃるのでしょうが、後者については長い間、寄せられてきた批判です。

 私は政治家になってから一貫して「自分が正しいと思うことを自由に述べられなければ、政治家になった意味がない」と考えています。また、自民党は多様な意見により強さを増す――言い換えれば国民の支持を得る――政党だと思っています。ですから、異論に対して「足を引っ張るな」というのは的外れですし、そのような言説はむしろ「ひいきの引き倒し」になり、自民党を強くすることにはつながらないと思います。

「新党を作れ」という声については、一度党を出た経験があるからこそ、「青い鳥は外にいるわけではない」というのが実感です。少し昔話をさせてください。

 1993年6月、宮澤喜一内閣に不信任案が提出されました。細かい経緯は省きますが、この時、自民党内に賛成に回った議員が多く出ます。私もその一人でした。この直後に離党して新党を作ったのが小沢一郎氏や武村正義氏です。小沢氏は賛成してから離党、武村氏らは反対したのちに離党して行動を起こしています。

 その後、私はしばらく自民党に残っていたのですが離党はせず、直後の総選挙では公認をもらえず無所属で出馬し、トップ当選というありがたい結果をいただきました。その後、新党に参加することを決意したのは、河野洋平自民党総裁(当時)の下では、憲法改正論議を凍結する、という方針だったことが原因でした。

 長年、憲法改正を党是としてきた自民党が下野したからといって、その旗を降ろすというのはまったく理屈に合いません。他方、小沢氏率いる新生党は集団的自衛権の行使容認を政策として掲げ、憲法改正にも積極的だということで、私は「本来の保守は新生党になったんだ」と思い、入党することにしたのです。

 ところが実際には、そうした政策論議が党内で行われることはほとんどなく、来る日も来る日も権力闘争が繰り返されているという有様でした。憲法改正や安全保障問題など私が重要だと思うようなことを、党内で議論しても、それが党としての政策に反映されることはなかったのです。本格的な政策論議をするため、というお題目で小選挙区導入を推進したはずなのに、目にしたのはそんな理想とはほど遠い現実でした。

 新生党はいくつかの新党と合従連衡したのちに新進党となりました。大きな党となり、自民党と対峙して二大政党制を確立する、その政治改革の夢が実現したかのように見えました。しかし総選挙直前になってその新進党が打ち出したのは、「集団的自衛権は行使しない」「消費税はこれ以上上げない」等といった、それまでとはまったく異なる政策でした。

 こうして、私が自民党を離党してまで取り組もうとした政策は、ここでもまた否定されました。

 結局、次の総選挙では再度無所属として立候補し、当選を果たしたのち、私は自民党に復党します。

 この一連の行動を批判的に見る方がいることは承知していますが、私自身の主張は初当選の時からさほど変わっていません。憲法改正、集団的自衛権の全面的行使を可能とすること、地方分権を推進すること。そして2世やタレントでなくても国会議員を目指せるような環境を実現すること。

 その後、自民党は再び憲法改正を目指す姿勢を明確にしました。そして、その他の政策でももっとも私の主張と合致するのが自民党なのです。

 また、イデオロギー政党ではなく実に日本的な存在である点も自民党の魅力の一つです。原理原則に縛られない、良く言えば融通無碍(ゆうずうむげ)な政党です。

 イデオロギーを至上のものとしている人の目にはともすればいい加減に映るかもしれませんが、この自民党の現実的なところが多くの日本人の感性に合っているのではないか、と私は思っています。

 そんなわけで「新党を作れ」や「党を出ていけ」といったご意見に従うことはできないのです。

■谷垣総裁下での新綱領


 私が復党した後、2009年になって、再び自民党は下野しました。麻生政権の時で、私自身も内閣の一員(農水大臣)でしたからその責任は感じています。

 当時、民主党による新政権に業務を引き継ぐため、選挙の後に農林水産政策の細かい方向性などについて文書を作成していた時のことです。自民党内のかなりの重鎮の方々から、総裁選に出馬しないかというお話がありました。

 しかしその時、私は谷垣禎一氏をおいてこの難局に適した総裁はいないと確信していました。

「国民が自民党に猛省を促した後の総裁として、谷垣総裁ほど適任だった方はいないと思います。特筆すべき誠実さ、人柄の良さ。それこそが、与党時代の自民党に欠けていると国民が思ったものでした」

 これは当時、拙著(『国難』)に書いた文章です。

 その谷垣総裁の下で私は政調会長を拝命しました。そこで自民党に欠けていると思われていたもう一つの要素、すなわち政策立案能力を高めるために、多数乱立していた部会をわかりやすく集約したり、年次にかかわらず政策的な能力や説明能力の高い議員を部会長に抜擢したり、といった改革をやらせていただきました。そして伊吹文明先生にとりまとめをお願いし、党内で侃々諤々の議論を重ね、2010年には新しい綱領を作っていただきました。

 共産党と比べると、自民党の綱領が話題になることは少ないのですが、この時の綱領はとても良くできていると今でも思います。いくつか抜粋してみましょう。

「勇気を持って自由闊達(かったつ)に真実を語り、協議し、決断する」

「多様な組織と対話・調整し、国会を公正に運営し、政府を謙虚に機能させる」

「努力するものが報われ、努力する機会と能力に恵まれぬものを皆で支える社会。その条件整備に力を注ぐ政府」

 下野した際の反省を十分に生かしたこうした綱領を目にして、自民党は変われるかもしれない、その本質を取り戻すことができるかもしれない、という期待を抱いたものです。そう感じてくださった支持者の方もいたことでしょう。実際に、谷垣総裁時代に自民党はかなり生まれ変わったのだと思います。

 最近、こうした期待を抱いてくださっていたはずの昔からの支持層の心が離れていっているように感じることが少なくありません。

 綱領から言葉を引けば、勇気をもって自由闊達に真実を語り、政府を謙虚に機能させる、そうした姿勢がいま一度必要とされているのではないかと思います。

2021年11月3日 掲載

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