石原伸晃落選の原因となった「戦略ミス」とは 派閥は存続の危機に

自民党の石原伸晃氏、衆院選で落選 選挙戦の「戦略ミス」が原因と指摘

記事まとめ

  • 衆院選で自民党の石原伸晃氏は東京8区で大敗し、比例復活も果たせなかった
  • 石原氏はメディアの取材を受けつけず、演説日程も公開せず、支援者には手紙を送った
  • 地元からは「慎太郎さんか良純さんを呼んでいれば結果が違ったのでは」と言われている

石原伸晃落選の原因となった「戦略ミス」とは 派閥は存続の危機に

石原伸晃落選の原因となった「戦略ミス」とは 派閥は存続の危機に

石原伸晃氏

 選挙戦最終日に、JR荻窪駅前で最後の演説を終えた石原伸晃氏(64)。本誌(「週刊新潮」)記者が「本日はこれで終わりですか?」と声をかけると、

「秘密です! あっはっはっは!」

 とカラ元気を覗かせた。

 選挙戦の手応えについて話を振っても、

「歩きながら人と話さないように、とおばあちゃんに言われたんですよ」

 そう言い残してそそくさと姿を消してしまった。

 父・慎太郎氏と叔父・裕次郎の母親、石原光子さんのことだろうが、取材の断り文句に“おばあちゃん”を持ち出すあたり、とうに還暦を過ぎても“お坊ちゃん”気質は抜けない。

 そんな石原家の不肖の長男が、小選挙区制の導入以来、議席を守り続けた東京8区で一敗地に塗(まみ)れた。

 政治部記者によれば、

「東京8区は野党共闘の象徴とされ、れいわ新選組の山本太郎さんが出馬表明して混乱を招いたことも記憶に新しいところ。そんな野党側の足並みの乱れがあったにもかかわらず“ゼロ打ち”での大敗。NHKは投票締め切り直後の8時に、対抗馬の吉田晴美さんの当確を出し、石原さんは比例復活も果たせなかった」


■明らかな戦略ミス


 実は、石原氏の苦境は当初から指摘されてきた。

「選挙のたびに応援団を送り込んでいた石原プロも今年1月に解散してしまった。そのため、公示前から駅頭に立ってドブ板選挙を繰り広げてきました。一方で、メディアの取材を受けつけず、演説日程も公開しない“ステルス”戦を展開。候補者を対象としたネット討論会にも姿を見せなかった。代わりに、支援者には手紙を送り、党員ではない杉並区民にも電話ローラーを仕掛けていますが、これが明らかな戦略ミスでした。地元からは“慎太郎さんか良純さんを呼んでいれば結果が違ったんじゃないか”と言われる始末です」(同)

 石原氏が慎太郎氏の背中を追って政界入りしたのは1990年のことである。都知事に転身した慎太郎氏から、総理の夢を託された石原氏は総裁選に2度、挑戦している。

「特に2012年の総裁選では、森喜朗さんや青木幹雄さんといった重鎮からの支援を受け、本命扱いだったものの3位に甘んじた。その後は失言以外に目立った活躍はなく、今回の組閣でも石原派の閣僚はゼロ。ご本人の落選で派閥は存続の危機を迎えます」(同)

 弟の宏高氏も小選挙区で敗北し、慎太郎氏の夢は完全に潰えたようだ。奇しくも石原軍団と同じ年に、永田町の石原王国も役割を終えようとしている。

「週刊新潮」2021年11月11日号 掲載

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