小沢ガールズ「太田和美」が柏市長に…次々地方に転出する「元民主党議員」の絶対に有権者には言えない胸の内

 10月31日、任期満了に伴う千葉県柏市長選が行われ、無所属新人で元衆院議員の太田和美(42)が初当選を果たした。名前にご記憶のない方でも、「小沢ガールズの1人」と言えば思い出されるかもしれない。担当記者が言う。(敬称略)

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「太田さんが最初に注目されたのは2005年のことでした。旧民主党公認で千葉県議会の補欠選挙に立候補し、千葉県議会史上最年少の25歳6カ月で初当選したのです。更に翌06年には、衆院千葉7区の補選に挑んで勝利を収め、国政に転じました」

 09年の総選挙では福島2区に鞍替えし再選を果たす。

「この年の総選挙で、民主党は多数の女性候補を擁立しました。選挙直前まで党代表を務めていた小沢一郎さん(79)の肝入りだったため、彼女たちは『小沢ガールズ』と呼ばれました」(同・担当記者)

 厳密に言えば、09年に初めて総選挙に立候補した旧民主党の女性候補を「小沢ガールズ」と呼ぶようだ。

 太田は06年の補選時から小沢の“個別指導”を受けていた。一種の師弟関係を結んでいたことから、多くのマスコミが09年組と一緒にして報じたようだ。

 06年の衆院千葉7区の補選では、太田の経歴にも大きな注目が集まった。スポーツ報知は同年4月、「衆院千葉7区補選 民主・小沢代表が初戦激勝 わずか955票差…剛腕の執念」との記事を掲載した。

 文中には《選挙戦が始まると想定外の攻撃に見舞われた》とあり、過去に接客業の店舗で働いていたことなどが記された怪文書が出回ったことを紹介している。

「太田さんの父親は、不動産管理会社を経営していました。彼女の若い頃の“経歴”がクローズアップされたのです。太田さんはマスコミの取材に事実を認め、『社会経験です』と答えました。逃げも隠れもしなかった回答が有権者には好印象で、一種の追い風となりました。スポーツ新聞を中心に当選が大きく報じられました」(同・記者)

■迷走の象徴だった太田


 当時の民主党は、いわゆる「偽メール事件」で支持率が低迷していた。太田の勝利は支援者に“民主党のジャンヌダルク”と歓迎された。

 2009年8月の総選挙で、民主党は政権交代を成し遂げた。だが、有権者は次第に失望感を強め、2012年12月の総選挙で自民党に敗北。政権の座を譲る。

 下野して野党となった旧民主党の混乱を象徴するかのように、太田も迷走を重ねた。

「2012年7月に民主党を離党し、小沢さんの『国民の生活が第一』に参加しました。しかし、同年12月の総選挙では落選。翌13年の参院選では千葉県選挙区に生活の党から出馬しましたが、これも苦杯をなめました。14年の総選挙では維新の党から千葉8区に選挙区を変えて出馬。小選挙区では敗れたものの、辛うじて比例代表で復活当選を果たしました。その後は民進党から希望の党と政党を移りましたが、17年の総選挙では比例復活も果たせず落選しています」(同・記者)

 18年には希望の党が解党。太田は20年2月、れいわ新撰組から千葉8区に立候補すると発表した。

「ところが21年8月、当時の柏市長が次期市長選への不出馬を表明しました。すると太田さんは翌月、衆院選への出馬を取りやめ、れいわ新撰組も離党して市長選に挑む考えを明らかにしました。その結果、総選挙と同日に行われた柏市長選で太田さんは、れいわ新選組や古巣の立憲民主党だけでなく、共産党や市民団体の支援も受けて勝利を収めたのです」(同・記者)

 旧民主党政権が終焉を迎えると、四分五裂した野党が看板だけを掛け替え続けた。太田の政治活動も、それと軌を一にしたと言える。

■民主党政権の悪夢


 永田町関係者は「普通は地方議員から国会議員に転じるものです。その逆は極めて珍しいと言わざるを得ません」と戸惑いを見せる。

「仮にも国政を担っていたのですから、知事になるというのなら理解できます。かつて石原慎太郎さん(89)は東京都知事を務めました。民主党の衆議院議員だった三日月大造さん(50)も現職の滋賀県知事です。大都市の市長というポストも、同じだと考えていいかもしれません。1972年から86年まで福岡市長を務めた進藤一馬さん(1904〜1992)は自民党の衆議院議員から転じました。現職なら名古屋市長が河村たかしさん(73)です」

 ところが近年は、比較的小規模の自治体の首長や、県議や市議といった地方議員に、落選中の旧民主党の国会議員が転じるケースが目立つ。

 旧民主党の国会議員が首長選や地方議会選に当選した時期を調べてみると、2015年の県議会などの選挙で目立ち始め、18年に行われた市長選では5人が当選した。いわゆる“安倍一強”と言われた政治状況との関係は明白だろう。


■田中美絵子は金沢市議


「小選挙区制は政党の支持率で勝敗が決まる傾向があります。自民党の支持率が高い中、弾き飛ばされた旧民主党の国会議員が政治活動を続けるなら、“格落ち”と批判されようとも、地方政治に活路を見出すほかなかったのかもしれません」(前出の記者)

 だが、浪人中に地元有権者の声に耳を傾け、次の総選挙でリベンジを果たすというのが王道であるのは言うまでもない。

「旧民主党の国会議員が浪人中に地元に密着したにもかかわらず、自民党を中心とする対立候補に勝利できなかったのは、結局のところ旧民主党が有権者の信頼を取り戻せなかったからです」(前出の永田町関係者)

 09年の総選挙で初当選(石川2区=比例復活)し、かつて「小沢ガールズ」の代表格と目されていた田中美絵子(45)は、現在、金沢市議会の議員だ。

「彼女は2019年4月の市議選で史上最多となる1万632票でトップ当選を果たしました。金沢市の有権者からは支持を得たとは言えます。しかしながら彼女は、12年には東京15区、14年と17年には石川1区から立候補しましたが、いずれも敗北しました。比例復活すらできなかったのです。国政復帰の目がなくなったため金沢市議選に転じたのは明らかでしょう」(同・関係者)


■「元国会議員が市議に出なくとも」


 かつて旧民主党の代議士だったにもかかわらず、トップ当選どころか市議選で10位当選という不名誉な記録も残っている。

 福島県南相馬市で市議を務める渡部一夫(73)は2012年、民主党の衆議院議員として初当選を果たした。

「比例東北ブロックから選出された民主党の代議士が辞職したため、2012年10月22日に繰り上げ当選しました。本来であれば繰り上げ当選になるはずだった次点の落選者が民主党を除籍されていたため、繰り上げの繰り上げで国会議員となったのです。ところが、11月16日に当時の首相だった野田佳彦さんが(64)が国会を解散。渡部さんは26日間だけの国会議員でした」(前出の記者)

 民主党の不人気を考慮したのか、渡部は総選挙に立候補しなかった。

「14年11月に行われた南相馬市議選に渡部さんは立候補しました。元国会議員だったにもかかわらず、立候補者25人中10位での当選でした。東北のブロック紙・河北新報は当選を伝える記事で『国会議員から市議へ異例の「転職」を果たした』と報じ、『周囲には「元国会議員がいまさら市議に出なくても」と批判的な声もあった』と伝えました。厳しい言い方をすれば、こういう人が国会議員になったのが、そもそもおかしかったのかもしれまません」(前出の関係者)

デイリー新潮編集部

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