岸田首相の引っ越しで振り返るオバケ伝説 「そんなにいない方がいい」と安倍晋三氏、「誰だ!」と叫んだ森喜朗氏

岸田首相の引っ越しで振り返るオバケ伝説 「そんなにいない方がいい」と安倍晋三氏、「誰だ!」と叫んだ森喜朗氏

決断は吉と出るか

■小泉氏以外は短命政権


 岸田文雄首相は12月11日、首相官邸に隣接する公邸へ引っ越した。首相が公邸に転居するのは民主党政権の野田佳彦元首相以来、およそ9年目。「野田」後の安倍晋三、菅義偉の両首相はそれぞれ、東京・富ヶ谷の自宅、赤坂の議員宿舎から官邸に“出勤”していた。旧官邸を改築した歴史ある公邸には様々な伝説があるようで、そのいくつかをひもといてみよう。

 岸田首相は10月4日の就任以降、議員宿舎と官邸を往復する日々を続けていた。引っ越しについて、会見でこう話している。

「公邸に移ることについて、いろいろな方がいろいろなことを言っておられました。様々な観点から、公務に専念するためにも、引っ越すというのは意味があるのかなと考えまして、今回、引っ越しを決意した、こうした次第です」

 政治部デスクによると、

「“いろいろな方がいろいろなことを言っておられました”というのが興味深いですね。官邸にはいろんな伝説がありますから。わかりやすいので言うと、『住むと短命政権』という言い伝えです。実際、小泉さん(純一郎元首相)以外は1年前後で退陣していますね」


■「そんなにいない方がいい」のワケ


 このデスクが続ける。

「自民党が2012年暮れの選挙に大勝して政権を奪取した後も、安倍さんは公邸に入ることはありませんでしたね。ある時の番記者との懇談の席でこんな風に話していたことがあります。“(第1次政権の時にいたが)あそこには、そんなにいない方がいいんだ。寝室が広すぎてね。落ち着かないから衝立を使ったりするけど、逆に閉塞感が出る。公邸入りしても、週末は自宅に戻るよ。精神衛生的にはそれがいいから”と」

 まるで厄介もの扱いの公邸は、1929年に建てられた旧官邸を改築したものだ。「5・15」事件では犬養毅首相が、「2・26」では岡田啓介首相の義弟が射殺された現場であり、様々な政治ドラマの震源地でもある。その歴史的価値を評価し、公邸として“残す”ことになり、2005年4月に4階建て、述べ床面積7000平方メートルの新公邸としてお披露目された。

「内部をリノベーションしたわりに、ぐっと新しくなった感じはない。目ぼしい調度品はなく、そのせいか、横山大観の絵画に存在感がありました。寝室は5つあり、客人を迎える態勢は整っています。安倍さんの言うように寝室は広く、20畳を軽く超える部屋もあった。かつての東京・武蔵野の森をイメージした常緑樹の庭と間接照明のせいで、日中も暗い。リラックスできない人がいても不思議じゃないですね」(同)


■蛇口を捻ったら「鮮血」


 先に触れたように、テロでおびたただい量の血が流れた場所だけに、この公邸(=元の官邸)や旧公邸(02年に取り壊された)に、怪談はつきものだ。

「終戦記念日の夜、機銃掃射の音や叫び声がするという話は、都市伝説の如く永田町関係者に伝播していますね。鬱蒼とした木々、風、そしてセミのイタズラという指摘も根強くありますが……」

 と、前出のデスク。幽霊ではないが、怪談風のこんな逸話もある。1989年6月、宇野宗佑首相が入居してすぐに「事件」は起こった。主が風呂の蛇口を捻ったら「鮮血」が流れたのだ。公邸は上を下への大騒ぎ……。

「同じ敷地内にあった官房長官公邸に塩川さん(正十郎)が入ったのが原因です。長官公邸はそれまでほとんど使われていなかったので、水道管が錆び付いていた。そのサビが首相公邸の水道管に回って出たというのがオチ。“血”を見たときの宇野さんの驚きようはタイヘンなものだったと聞いています」(自民党のベテラン秘書)

 最後に、派閥・清和会(現・安倍派)で語り継がれてきたという森喜朗元首相のエピソードを披露してもらおう。


■森さんが床についたら


 2001年4月26日、総辞職して迎えた公邸最後の夜のこと。

「森さんが床についたら、コツコツと音がしたらしい。で、それが近づいてくる。『誰だ!』って叫んで外に出た。が、誰もいない。警備担当官も『何も視認していない』と答えるだけだった。森さんはその後ずっと、“あそこはネズミもヘビも、そして幽霊も出るんだよ!”と話していましたね」(清和会所属の国会議員)

 結局、安倍氏は公邸に引っ越すことなく、歴代最長政権のかじ取りを続けた。

「『富ヶ谷の私邸付近は渋滞しやすいから引っ越しを』と、警備関係者は官邸にしばしば“陳情”していたのですが、安倍さんは折れなかったですね」(先のデスク)

 岸田首相によってジンクスは破られるか。

デイリー新潮取材班

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