「ヘタだねえ……」与党席から聞こえるため息 迫力のない野党に石破茂が思うこと

■「迫力の無い野党は国のためにならない」 石破茂の異論正論(21)


 不毛な批判の応酬、テレビで流れるような「失言」狙いの挑発等々、国会での質疑に「これと予算審議に何の関係が?」と思う国民は多い。そうした疑問や反発を恐れてか、野党からは「建設的な議論」を打ち出そうとする動きも出てきた。が、それで本当にいいのか。野党の迫力のなさ、質問の拙劣さに石破茂元自民党幹事長は危惧を抱いているという。異論正論第21回は石破氏による野党論である。

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■野党に迫力がない


 昨年の総選挙以降、野党は「建設的な議論」をする姿勢を取るようになったと伝えられています。

「批判ばかりではなく、きちんとした提案をして国のためになる議論をする野党であるべきだ。そのほうが国民から支持されるだろう」

 こういう考え方でしょうか。共産党との共闘への反発が想像以上だったことも関係しているのかもしれません。

 もちろん、「建設的な議論」は良いことなのでしょう。重箱の隅をつつくような批判、週刊誌で仕入れた話をそのままぶつけるような質問、「批判のための批判」ばかりでは、議論を通じて物事の本質を明らかにするという役割は果たせません。

 しかし一方で、このところの予算委員会を見ていると、緊張感に満ちた質疑がまったくといっていいほど聞こえてきません。閣僚退任後、随分と長く予算委員会に籍を置いていますが、質疑が中断する場面がここまでないのは初めてのような気がしています。これはすべて、野党の気迫不足と拙劣な質問技術によるものと断じる他はありません。

 最近のはやりなのでしょうか、与野党を問わず、質問の冒頭に「本日は質問の機会を与えていただきありがとうございます」と述べるのが決まりのようになっています。

 しかし、議会で質問するのは国会議員が国民から与えられた当然の権利なのであって、誰かから機会を与えられたというものではありません。ちなみに、自民党の会議でも、期数の若い議員などが冒頭に「発言の機会を頂きありがとうございます」と述べますが、これは丁寧とか礼節を弁えるとかいうものとは少し違うのではないかと思ってしまうのは私だけなのでしょうか。

 それはさておき、野党は国民からの批判を恐れてか「対決よりも解決」「提案型」にこだわり、「私の提案を受け入れていただきありがとうございます」などという発言も目立つようになりました。

 まるで与党議員の発言のようで存在意義が全く感じられません。これでは質問に迫力が出るはずもありません。

 対する閣僚が事務方の用意した答弁をそのまま読み上げても、二の矢、三の矢を放って議論を深めることもせず、「丁寧なご答弁をいただきありがとうございました。時間もないので次の質問に移ります」などとあっさりと引き下がってしまいます。おそらく、ストーリー性のある質問の組み立てができていないのではないでしょうか。

 自民党が野党の時代、予算委員会の質問作りには膨大な時間をかけて準備し、このように聞けばこのように答えるだろう、では次にこのように聞き……という具合に、更問(さらとい)、更々問、更々々問まで用意して一歩ずつ政府を追い詰め、最後には「あなた方政府には何もわかっていない!」と決めつける、というのがパターンでした。今の政府は当時の民主党政府よりもはるかに強かで能力のある政府なのですから、攻める側の野党はより一層の努力をしなければならないはずなのに、ほとんどそれが見られないのは何とも情けないことです。

■綱領がなかった民主党


 自民党が野党だった頃、私は当時の野田佳彦総理に対して予算委員会で質問をしたことがあります。その時に問うたのは、次のようなことでした。

「野田総理が保守の政治家を自認しているのならば、まずは保守の定義を述べてほしい」

「民主党は保守政党なのか」

「民主党には綱領が存在しておらず、代わりに『基本理念』があるというが、ではその基本理念を三つでいいから答えてほしい」

 総理の答えは省きますが、一連の質疑から浮かび上がったのは、民主党が保守でも革新でもなく、また党代表である総理が、自らの党の「基本理念」すらきちんと覚えていない、ということでした。

 そもそも綱領すら持たない政党は、政党としての体をなしていない。そのような党が与党となっていることに、当時の私は驚きと恐怖を感じたものです。その後の民主党や後続の党の混乱の要因の一つは、ここにもあったのではないかと思います。


■大きな問いを発してほしい


 予算委員会を見ていて、もう一つ気になるのは、最初から各論を問う場面が多いことです。つまり細かい政策についての話が多い。

 しかし、政府に対して論争を挑む場合、各論は概して政府の方が強いのです。持っている情報も多いですし、細かい政策の話であれば当然、選択の幅が狭くなりますので、そもそも野党が大きな違いを示すことは難しいわけです。

 そう考えると、もっと大きな問い、本質的な議論を野党が挑むことがあってもいいのではないでしょうか。

 たとえば、野党からアベノミクスの検証を広範に提起する、などもあまりありません。立憲民主党は昨年の総選挙前に、アベノミクスの検証報告書なるものを出していますが、これはほとんど知られていません。せっかく党としてまとめたのであれば、党を挙げてあらゆる質疑の機会にこれをシリーズ化すればいいのに、こうした大きな議論がされることは意外なほど少ない。

 岸田総理がよく指摘される「敵基地攻撃能力」についての議論も、国会においてはまったく深まっていません。「敵基地」の範囲をどう捉えるか、「専守防衛」との関係をいかに整理するか。また政府は「日米の役割分担は基本的には変更しない」との立場ですが、従来の「アメリカが矛、日本が盾」という分担は、一定の他国領域への攻撃能力を備えることで当然変わるはずですから、何が「基本的」なのか、変わらない部分は何か、を詰める必要もあります。そして、一定の攻撃能力が抑止力の向上にどのように繋がるものなのか。こうした「そもそも論」を抜きにして、安全保障の議論は深められるはずがありません。

 岸田総理が掲げられている「新しい資本主義」についても、そもそも総理は資本主義というものをどのように定義しているのか、といった根源的な質問はありませんでした。

 資本主義の捉え方とその修正の方向性にはさまざまなバリエーションが考えられるはずです。人間の欲望が無限であること、それをかなえるためのフロンティアがあることを前提として発展してきた資本主義は、限りある地球資源、これ以上破壊されると人類の生存に関わる自然環境、あるいは発展途上国といわれる国々の飛躍的発展、などの現状に直面して、どのようにあるべきなのか。デジタル空間は次の資本主義のフロンティアたりうるのか。そう考えるとすれば、総理が唱えたデジタル田園都市構想による地方創生との組み合わせでわが国の経済にはどのような発展があり得るのか。


■コロナ対策で独自路線を訴える野党がない


 新型コロナウイルス対策も、与党との違いを打ち出せるテーマだったはずです。本当にこのままエボラ出血熱やペストと同様の「2類相当」のままでいいのか。以前から申し上げているように、私は5類相当への見直しも検討すべきだとの立場です。もちろん、補償の範囲やワクチンの負担の有無などが従来の「5類」と全く同じでは不都合でしょうから、あくまでもレベル感の目安として、新型コロナウイルスの性質に合わせた機動的な法改正が必要だという話です。

 このような考えの国民は一定数いますし、オミクロン株以降、そういった議論は増えているようにも感じます。しかし、このような国民の気持ちをくもうとする野党は見当たりません。だから国会でも、検査数やワクチン接種率などについて各論で政府に問いただすだけです。野党諸氏の世論をくみ取るアンテナはどこかが不具合なのではないか、という気がしてなりません。

 新型コロナウイルスを機に真剣に考えるべきは、国家における「医療」というものの位置付けであることは以前にも述べました。医療は言うまでもなく国民の命に直結する分野であり、また多額の国民の負担で支えられている存在です。だからこそ、社会にとっては公的インフラの一種だと位置付けるべきです。その前提が共有されてこそ、今回のような有事の際には行政が強い権限を持つことも可能になるはずです。しかし、こうした視点で与党を追及する野党も見られませんでした。

 野党に迫力がないというのは、自民党の議員という立場からすれば、こんなに楽なことはありません。第2次安倍政権発足以降、野党に政権をまた奪われるのではないかという恐れを感じたことは一度もありませんでした。

 もちろん、質の高い質問をされる議員もいないわけではありません。たとえば衆議院の「有志の会」の方々や、国民民主党の玉木雄一郎代表、前原誠司議員らが質問に立った時の質疑は聞きごたえ、見ごたえのあるものだと感じます。多くは保守系で、それぞれの選挙区において自民党候補に勝ってきた人たちです。

 しかし残念ながら野党の多くは、「建設的議論」とは名ばかりの、迫力不足の質問、本質を突かない質問が目立ちます。「ヘタだねえ」というため息ともつかぬ反応が与党議員の間から聞こえてくることもしばしばです。

 目下、予算委員会の審議が信じられないほどの速さで進み、随分と緊張感に乏しい国会が続いています。政府・与党にしてみればこれほどありがたいことはないというべきですが、全く議論が深まらないのを見ていると、こんなことで本当にいいのかと不安になってきます。

 民主主義の本質は、正しい情報に基づいた国民の広範な判断によるのであり、議員は国民の代わりに議論をして、問題の本質を明らかにすることが職務です。

 そのためには、正面から異論をぶつけることを恐れない野党の存在、そして誠実に反論をし、方向性を示す政府の姿勢が不可欠です。この意味で、野党の論客は非常に重要な役割を持つのであり、野党のレベルによって議会の質疑のレベルが左右される面もあるのです。

 野党諸氏の奮起を心から願っています。

デイリー新潮編集部

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