中露につけこまれない日米関係を作るには 首脳同士の「作法と気概」

 ロシアのウクライナ侵攻を機に、首脳外交が活発化している。国家の関係を左右するのは、結局のところ、最高首脳同士の相性だ。

 日米関係でいえば岸田文雄首相とジョー・バイデン大統領は足並みをそろえたが、過去にも中曽根康弘首相とロナルド・レーガン大統領、小泉純一郎首相とジョージ・W・ブッシュ大統領、安倍晋三首相とドナルド・トランプ大統領は、相性の良さから緊密な関係を築いた。

 それ以上に重要なのは、アメリカの大統領が外交政策のなかで日米関係をどのように位置付けるかである。大統領に日本への特別の思いがないとどうなるか? 日米関係の最深部まで知る外交官、岡本行夫氏が書き遺した渾身の手記『危機の外交 岡本行夫自伝』から知られざるエピソードを紹介する。

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■中国、ロシアは「日米関係」の隙間狙う


 日本外交とは7割がアメリカといかにつきあうかで決まってくる。

 日本はどうやって国を保全していくのか。憲法前文にあるような甘い認識、つまり「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」では無理である。日本の周囲の国は全て善意で信頼に足る国であるといったことはおとぎ話の中にしか存在しない。国の安全保障の基礎にこのような認識を置くわけにはいかないだろう。日本自身が向こう見ずにも真珠湾をやったではないか。金正恩だって同じかもしれない。

 かつて日本のGDPはアジアの7割近くに達したが、今は日本とインドと韓国のGDPを合わせても、アジアの3割にしかならない。中国が5割を占めるからだ。

 日米間に隙間が見えれば、中国やロシアは、そこにくさびを打ち込んでくる。日米関係で大きな影響力を有するリチャード・アーミテージ元国務副長官はよくこう言う。

「アメリカの国内に米中関係と米日関係を二つの選択肢のようにとらえる考え方があるが間違いだ。米中関係を良くするには米日関係を強くしなければならない。中国は米日の間にほころびを見つければ、まず米日を分断させようとかかってくる。米日関係が強固であれば中国は分断を諦め、初めてアメリカとの協議に真面目に取り組んでくる」

 こうした考えをとる人々がアメリカの外交政策を形作る限り問題はない。1998年、クリントン大統領は中国へ9日間という異例の長期訪問を行い、日本には立ち寄らなかった。もともと中国9日間、日本0日間というのは、「中国への単独訪問にしてほしい」という中国の要求によるものであった。

 それをアメリカ側が受け入れたことを知ったアーミテージは、「中国が日本に行くなと要求しているのなら、その理由だけで日本に行くべきだ。アメリカの外交政策が中国にディクテート(命令)されてはならない」と強く主張した。

 この意見はクリントン大統領も了承するところとなり、中国訪問を終えた帰途に日本にも立ち寄るというアメリカ政府の決定となった。

 しかし僕の理解するところでは、その日本立ち寄りのオファーを日本側が断ってしまった。「日本は大人だから、大統領が日本に立ち寄らなかったとしても日米関係は影響を受けない」と。

 残念なことであった。ワシントンの日本の友人たちのせっかくの行動を無にしたばかりでなく、クリントン大統領に対して「中国と日本は違う」ということを印象付ける機会を失ったからだ。

■アメリカ大統領に求められる「作法」、日本首相に求められる「気概」


 国家の関係は、結局は人間の感情が作りだす。特に最高首脳の考え方だ。緊密性はそれによって決まる。1986年から87年にかけてのINF交渉が日米同盟関係の金字塔になり得たのは、その交渉が日本にも大きな影響を及ぼすものであることをレーガン大統領とワインバーガー国防長官が重視したからだ。

 このときの中曽根首相とレーガン大統領の関係のほかにも、例えば小泉純一郎首相とジョージ・W・ブッシュ大統領(子)、安倍晋三首相とドナルド・トランプ大統領の間に存在するような相性の良さは極めて大切だ。そして相性以上に重要なのは、大統領が日米関係をどのようにアメリカ外交政策のなかで位置付けるかということだ。

 大統領に日本への特別の思いがないとどうなるか?

 1993年4月3日、クリントン大統領がロシアのエリツィン大統領とバンクーバーで会談した際、ロシア側の出席者が首脳会談の記録メモをテーブルに置き忘れてしまった。そこにはクリントン大統領の発言として「When Japan tells us ‘yes’, often it means ‘no’. It’s very important for the Japanese not to behave the same way with you.」(編集部注:日本人が「イエス」と言う時、それはしばしば「ノー」を意味しており、あなたと同じように振る舞わないということが日本人にはとても重要らしい)とあった。

 僕は外務省を辞めてから、テレビ番組でクリントン氏にインタビューさせてもらう機会があったが、彼個人としては日本に対して良い感情を持っているようだった。しかし、この不用意な軽口が対立陣営のトップに対して行われたために、世界中に日米関係の脆弱性が伝わってしまった。

 あるいは、せっかく日本を重視する大統領が出てきてくれても、日本側が対応できないのでは意味がない。

 パームスプリングスで日米首脳(注・海部俊樹首相とブッシュ大統領)はあんなにも密接な関係になったのに、その5カ月後の8月2日にサダム・フセインがクウェートを侵略して湾岸戦争が始まったとき、海部首相はブッシュ大統領の要請はおろか、国際社会の期待にも応えられなかった。

 日本とアメリカの間には大きな亀裂が入り、サダム侵略の2カ月後に国連総会の機会に行われたブッシュ・海部会談では、ブッシュ大統領は丁寧で礼儀正しかったものの、パームスプリングスでの温かい雰囲気は消えていた。その後、日米関係が急速に冷却されていった模様は本書『危機の外交 岡本行夫自伝』の第4章に記したとおりだ。

 危険分担をするかどうか。日米関係がうまくいくかどうかは、ただ、この一点にかかっている。

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※『危機の外交 岡本行夫自伝』より一部を抜粋して構成。

岡本行夫(おかもとゆきお)(1945-2020)
1945年、神奈川県出身。一橋大学卒。68年、外務省入省。91年退官、同年岡本アソシエイツを設立。橋本内閣、小泉内閣と2度にわたり首相補佐官を務める。外務省と首相官邸で湾岸戦争、イラク復興、日米安全保障、経済案件などを担当。シリコンバレーでのベンチャーキャピタル運営にも携わる。2011年東日本大震災後に「東北漁業再開支援基金・希望の烽火」を設立、東北漁業の早期回復を支援。MIT国際研究センターシニアフェロー、立命館大学客員教授、東北大学特任教授など教育者としても活躍。国際問題について政府関係機関、企業への助言のほか、国際情勢を分析し、執筆・講演、メディアなどで幅広く活躍。20年4月24日、新型コロナウイルス感染症のため死去。享年74。

デイリー新潮編集部

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