【櫻井よしこ氏特別寄稿】「人間じゃない、たたき斬ってやる」への気持ちを語った安倍総理

【櫻井よしこ氏特別寄稿】「人間じゃない、たたき斬ってやる」への気持ちを語った安倍総理

時には激論を交わした二人

■特定秘密保護法や平和安全法制を次々に制定


 ジャーナリスト櫻井よしこ氏の本誌(「週刊新潮」)連載「日本ルネッサンス」の特別対談で、最も多くご登場いただいた政治家こそが、安倍元首相その人だった。志をひとつにしながら実は“緊張関係”にあったという二人。憂国の熱弁を揮った宰相の素顔を、櫻井さんの緊急寄稿で振り返る。

(この記事は、前・中・後編の【中編】です)

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 第2次安倍政権では、国の守りを強化する特定秘密保護法や平和安全法制を次々に制定した。その都度、10ポイント以上も支持率を落としたが、安倍氏は戦い、全て成立させた。

 私が主宰する「言論テレビ」で、安倍氏がどんな思いで日々政治の場において日本を変えようとしているか、語ったことがある。当日は2015年9月11日、懸案の平和安全法制の審議は山場を迎えていた。民主党は国会での議論を拒否して、デモ隊と一緒に安倍首相批判の声を張り上げていた。

 デモの中で法政大学の山口二郎教授が、こう演説した。「安倍に言いたい。お前は人間じゃない。たたき斬ってやる」。またこうツイートした。「日本政治の目下の対立軸は、文明対野蛮、道理対無理、知性対反知性である。日本に生きる人間が人間であり続けたいならば、安保法制に反対しなければならない」と。

 蓮舫氏も福島瑞穂氏も同法案を「戦争法案」だと論難した。


■安倍氏は説明を尽くしていた


 私がこの一連の批判について問うと、安倍氏はサラリと言った。

「知性対反知性と言われるのなら、『人間じゃない、たたき斬ってやる』というのは言わない方がいいと思います」「本当にこれが戦争法案なら私も反対します。アジア諸国も反対するはずです。そうではなくて、ほぼ全ての国々が賛成しています。戦争法案のはずがありません」

 そしてこう続けた。

「自民党は相手(民主党)を攻撃するよりも、平和安全法制案について、より時間をとって説明したいと思っているんです」

 当時の国会での発言録を読めば安倍氏は説明を尽くしている。しかし、野党の大部分は馬耳東風だった。安倍氏はこうしたことの一切を我慢し、支持率低下にも耐え、法案を成立させた。いま、わが国の安全保障に欠かせない日米同盟がかつてなく安定しているのは平和安全法制があってこそだ。


■頭脳明晰な人だった


「言論テレビ」でも安倍氏の説明は見事だった。平和安全法制の制定によってわが国は集団的自衛権の行使が、一部だが可能になる。なぜそうしなければならないのか。安倍氏の説明は実によく整理されていた。

(1)集団的自衛権の政府解釈は40年前のもので、当時はわが国よりも外国を守るためという概念だった。

(2)外国のためならそれは必要最小限を超えており憲法違反とされた。

(3)ところがこの40年間に北朝鮮さえ核やミサイルを有し、わが国を狙えるようになった。

(4)日本へのミサイル攻撃に備えて警戒に当たっている米国のイージス艦が攻撃され、それを自衛隊の艦艇が守らなかったら、日米同盟はその瞬間、大きな危機を迎える。

(5)米艦船を守ることはわが国の存立と国民を守るために必要で、そのための集団的自衛権の行使はまさに必要最小限の中に入る。

(6)昭和34(1959)年、憲法の番人である最高裁判所は自衛権を国家固有の機能として当然だと認めた。

(7)日本国民を守るために必要な自衛のための措置とは何か、政治家が考えなければならない。

(8)40年前とは違う状況下で、昨年(2014年)、自衛権、集団的自衛権の解釈を変えた。それが平和安全法制だ。

 一連の説明を安倍氏は一切の資料を見ることなく、言葉が湧いてくるように行った。安倍氏の理解力と説明能力には、官僚や他の政治家を寄せつけないものがある。頭脳明晰な人である。


■祖父である岸信介氏への思い


 安倍氏はその後、祖父、岸信介氏についても振り返った。

「祖父が『岸信介回顧録』で1960年の安保改定時のことを書いています。安保改定で徴兵制に逆戻りするとか、夫が戦場に行くことになるとか、戦争に巻き込まれるという批判があった、ありもしないことを批判されて残念だと祖父は書いています。55年経って、いま、全く同じ言論状況ですね」

 祖父と孫は日本がまともな国になるように法制度を整え、占領軍の急拵えの憲法のくびきから日本を解放しようとその一生を捧げた。日本国内では愚かな左翼勢力が岸氏の功績も安倍氏のそれも認めようとしないが、国際社会は安倍氏の貢献を高く評価している。安保法制に賛成の意を正式に表明した国々はアジア諸国を含めて50以上に上る。

 さらに、来日したカンボジアのフン・セン首相について安倍氏はこう語った。

「日本にPKO部隊を派遣していただいたお陰で、カンボジアはしっかり成長できた。いまは自分たちがPKO部隊を送り、スーダンで医療活動をしていると言っていただきました。PKOのときも菅直人氏らは非常に強く反対しましたね」


■緊張感があった理由


 安倍氏は存分に自分の想いを語ったが、それでもこの日の「言論テレビ」に安倍氏は不満だったと思う。私が番組の締めで、安倍氏の課題に憲法改正があると語ったからだ。

 ただでさえ難しい平和安全法制に取り組んでいて、もう1、2週間で法案が成立しようかという大事なときに、私はそれよりもっとハードルの高い憲法改正を安倍政権の課題として持ち出した。ひとつひとつ結果を出さなければならない政治家にとっては私の問題提起は余計なお世話だった。

 一方、個々の政策の背景にも言及して問題提起するのは、言論人としての私の役割でもある。そして私は時に妥協を許さず、問い詰めすぎる嫌いがある。安倍氏と私の関係は基本的に友好的であるが、常に一種の緊張感があった理由である。

 安倍氏と私は確かに同じ方向を向いていた。「日本を取り戻す」と叫んだ安倍氏の気持ちは深く理解できていると思う。けれど、個々の政策になると、微妙な相違も生まれるのだ。対ロシア外交においても、対中外交においても、大きな方向は同じであるのに、眼前の政策については違いがあった。その都度、私は質し、安倍氏は答えた。


■私は日露首脳会議については評価できなかった


 2016年12月、首相の地元・山口県長門市と東京で日露首脳会談が行われた。結論から言えば平和条約締結にも北方領土の帰属問題にも進展がないまま経済プロジェクトが先行した。私はこの首脳会談を評価できなかった。

 18年9月、ウラジオストクの東方経済フォーラムでプーチン氏がいきなり無条件で平和条約を締結しようと言い始めた。ロシア側の思惑は二つの条約を日本に提示することだった。一つ目の条約で平和と友好、協力を定め、その条約を基礎に、後で国境に関する二つ目の条約を結ぶという戦略だ。

 日露交渉の歴史には日ソ共同宣言、東京宣言、クラスノヤルスク合意、川奈提案、イルクーツク声明など、四島返還要求を貫くための苦労が刻まれている。その歴史を一気に飛び越して、小さな島二つの返還にとどまる日ソ共同宣言に逆戻りするのかと、私は懸念した。

 安倍氏は四島の要求を続ける限り北方領土問題は動かないこと、島民の方々の高齢化などを語ったうえで、わが国は中露両国を相手にしなければならないとも言った。

 中国とロシアが手を結べば、日本にとって最も困難な状況が生まれる。ロシアが衰退し中国の力が増強する中で、安倍氏はロシアを中国側に押しやらない戦略を考えていたのだ。

 こうした大戦略の前では、四島か二島かの議論の重要度は相対的に下がる。地政学的大戦略はロシアのウクライナ侵略戦争で潰えたが、安倍氏はユーラシア大陸全体、中露双方を睨み、その大きな枠組みの中に北方領土問題を置いていた。卓越した戦略だと思う。

(後編に続く)

櫻井よしこ(さくらい・よしこ)
ベトナム生まれ。ハワイ州立大学歴史学部卒業。「クリスチャン・サイエンス・モニター」紙東京支局員、日本テレビ・ニュースキャスター等を経て、フリー・ジャーナリストとして活躍。著書に『何があっても大丈夫』『日本の覚悟』『日本の試練』『日本の決断』『日本の敵』『日本の未来』『一刀両断』『問答無用』『言語道断』(新潮社)『論戦』シリーズ(ダイヤモンド社)『親中派の嘘』『赤い日本』(産経新聞出版)などがある。

「週刊新潮」2022年7月21日号 掲載

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