菅総理の消したい金銭スキャンダル 暴力団系企業から献金で“用心棒”に

菅総理の消したい金銭スキャンダル 暴力団系企業から献金で“用心棒”に

菅義偉総理大臣

■「実はそれほど苦労していない」


 16日の臨時国会で首相に指名された菅義偉総理大臣(71)。「時の運」が味方したとはいえ、裸一貫から総理にまで上り詰めたのだから、これはある種の「奇跡」と言えよう。では、サクセスストーリーの主人公たる菅氏は、その「叩き上げ人生」において、いかなる金脈を築き上げてきたのか――。

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 新潟の豪雪地帯に生まれ、高等小学校卒ながら総理大臣にまで上り詰めた田中角栄はこう言っている。

「一国の総理総裁はなろうと思ってもなれるものではない。時がきて天が命じなければ絶対になれない」

 角栄同様、裸一貫でスタートし、頂点にまで上り詰めた菅義偉首相。その歩みには、角栄のサクセスストーリーに見られるような神話性や派手さはない。しかし、ついに総理の座に手が届いたのは紛れもない事実である。「奇跡」はいかにして起こったのか――。

 菅氏のHPにマンガ付きで掲載されている「すが義偉物語」にはこうある。

〈秋田杉に囲まれた秋田県雄勝(おがち)町で生まれた。農家の長男として、家の手伝いをしながら高校を卒業。/「東京で自分の力を試してみたい」と思い立ち、家出同然で上京する〉

 以前、HPでは、上京した経緯について「集団就職」としていたが、いつの間にか「家出同然で」に修正したようである。

「菅は『苦労人』であることを売りにしていますが実はそれ程苦労していない」

 と、『総理の影 菅義偉の正体』の著者でノンフィクション作家の森功氏。

「雪深い秋田の田舎で生まれたことは事実ですが、菅の父親はイチゴ栽培で成功し、町議会議員にまでなった。つまり、決して貧しい家庭環境ではなかったということ。そんな菅が東京に出てきた背景には、父親への反発があったようです」


■「ヒョロッとして頼りなかった」


 法政大学を出た後、サラリーマン生活をする中で、〈世の中を動かしているのは政治だ、人生をかけてみたい〉(「すが義偉物語」より)と思い立ち、小此木彦三郎代議士の秘書として、政治の世界に飛び込んだ菅氏。

「最初に私が面接したのですが、当時の菅はヒョロッとして頼りなくてさ」

 小此木代議士の元秘書はそう述懐する。

「しかも、『なぜ秘書やりたいの?』と聞いてもちゃんと答えられない。ただ、私が『食うためだけに秘書になろうとするヤツが多いけど、それだったら止めといたほうがいい。秘書の給料安いぞ』と言った時、菅は『それでも構いません』と言い切りました」

 秘書になってからは苦労の連続だったようで、

「2年目の頃、渡辺美智雄さんを応援弁士に呼んで街頭演説をやったことがありました。その司会を務めた菅は足が震え、手も震え、あげく声まで震えて全然ダメだった」(同)

 菅氏のことをよく知る元横浜市議会議長の藤代耕一氏もこう明かす。

「菅さんはお酒が飲めないのですが、これは秘書としては欠点。さまざまな業種の組合や後援会の人と食事や旅行に行った際、菅さんはよく『お前は酒も飲めないのか』と怒られていました」


■戦略家としての顔


 ただし、先の小此木代議士の元秘書も藤代氏も、菅氏が「真面目な努力家だった」と口を揃える。

「地道に努力したからこそ、相鉄や京急が菅さんのスポンサーに付き、周囲の反対を押し切って横浜市議選に出馬、当選できたのです」

 と、藤代氏が続ける。

「1996年、衆院選出馬が決まった時は菅さんの戦略家としての顔を見ました。当時、対立候補に佐藤謙一郎という新党さきがけの議員がいた。私もその時さきがけにいたので、毎日のように菅さんから電話がかかってくる。選挙に強いサトケンと戦うのを避けるため、『佐藤さんは神奈川1区と2区のどちらになるのか』と。結局佐藤さんが1区に決めた時は私が教えてあげて、菅さんは2区から出ました」

 結果は、2位との差が4500票の薄氷の勝利。

「菅さんは何かを決断する時は情報収集を怠らず、緻密に戦略的に進める。菅さんは田中角栄さんと同じ叩き上げの政治家ですが、角栄さんは大胆なタイプ。菅さんはもうとにかく緻密なタイプで、角栄さんとは全然違います」(同)

 ここぞという時に「勝負」をかけ、議員秘書から市議、代議士へとコマを進めてきた菅氏は、しかし常にカネの面で「クリーン」だったわけではない。「脛の傷」はあるのだ。


■暴力団系企業から献金


 その一つは、2007年、第1次安倍内閣で総務相を務めていた時に発覚した「事務所費問題」だ。菅氏の関連政治団体2団体が、菅氏自身が所有する横浜市南区のビルに事務所を置きながら、約2千万円の事務所費を計上していた――というのがコトの経緯だが、本誌(「週刊新潮」)は以前、その後日談を報じている。「事務所費問題報道」があった約3カ月後、問題のビルは、密かに菅氏のタニマチの一人だった在日韓国人のパチンコ業者が経営する会社に売却されていたのである。

 菅氏が抱えるもう一つの脛の傷は、東証2部に上場していた不動産会社「スルガコーポレーション」を巡る問題だ。スルガがビルの立ち退きなどを依頼していた山口組系企業「光誉実業」の社長らが弁護士法違反容疑で逮捕されたのは、08年3月。その際、菅氏が代表を務める自民党支部が01年〜07年にかけてスルガから計104万円の献金を受けていたことが発覚、新聞などで報じられたのだ。

「スルガは岩田一雄という人物が1972年に横浜市に設立した会社です。一戸建ての建築会社として出発した後、神奈川県で多くの建設工事を請け負うようになりました。スルガは横浜選出の小此木彦三郎代議士とはズブズブの関係で、彦三郎さんの秘書だった菅さんもスルガの岩田社長とは昵懇の仲でした」(横浜市政関係者)

 問題なのは、菅氏がスルガから献金を受けていた01年〜07年という時期で、

「それはスルガが強引な立ち退きに手を染め、暴力団のフロント企業へと変質した時期と一致するのです」

 と、建設業界関係者。

「徐々に経営が悪化したスルガの岩田社長は、02年頃から『不動産ソリューション事業』というものを始めています。これは立ち退き交渉が長引きそうな古いビルなどを激安で買いたたき、権利関係を魔法のように解きほぐして素早くまとめた上で転売し莫大な利益を生み出す、という事業。その『魔法』の実態は、業務委託を受けた山口組系企業『光誉実業』による強引な立ち退き交渉だったというわけです」

 スルガは「不動産ソリューション事業」を展開するにあたって、検察OBや警察庁OBを役員として迎え入れ、いわば「用心棒」として起用した。

「スルガが政界における用心棒役を期待したのが、02年に国交大臣政務官に就任して頭角を現し、06年には総務相になる菅さん。スルガは表立って献金することで菅さんの威光を利用するだけでなく、実際に現場でその名前を使っていた、との情報もあります。立ち退き交渉の際、『我々のバックには菅代議士がいる』とほのめかすことがあったというのです」(同)

 菅氏がスルガから受け取っていたカネは「用心棒代」だったわけである。

 問題発覚当時、菅氏の事務所は新聞で、

「報道されるまで事件をまったく知らなかった」

 とコメントしている。が、

「当時、スルガが暴力団と一体となってブラックマネーを分け合っていたことは、不動産業界だけではなく政界でも周知の事実でした。問題が発覚するまでスルガから献金を受け続けたにもかかわらず、『知らなかった』なんてよく言えたものです」(同)

 菅氏の事務所に聞くと、

「ご質問の献金についても法令に違反するものではありませんが、道義的観点から全額返金しています」

 暴力団と関係の深い企業からの多額の献金。時にそうした危ない橋を渡りながらも、菅氏は一段、また一段、と権力の階段を上ってきたのだ。

「週刊新潮」2020年9月17日号 掲載

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