天敵・創価学会は「平沢勝栄」初入閣をどう見ているか? 24年前から遺恨あり

■家庭教師時代に「安倍前首相をシゴきすぎたから入閣できず」説も


 メディア露出が多く知名度抜群で当選8回を重ねるのに、なぜか組閣では呼ばれなかった平沢勝栄氏。75歳にして復興相として初入閣した背景には何があったのか? 実は24年前に起こった“事件”をきっかけに、創価学会から“仏敵”呼ばわりされてきた歴史があった。

 ***

「入閣適齢期と呼ばれる目安は当選6回ですから、本人は焦りを通り越して、諦めにも似た気持ちだったんじゃないですかね」

 と、永田町関係者。

「例えば、オリンピックとかW杯で選手の活躍を所属企業や選手の出身地の人たちが集まって見守るシーンがあるじゃないですか? 勝てば大喜び、負ければ落胆。後援会の人たちって組閣をあんな感じで見守っているんです」

「だから、平沢さんの場合は毎回、“あ〜あ、次こそは”みたいな雰囲気になっていて、そこは彼も、“なんとかみなさんの熱い思いに応えられてよかった”とホッとしているんですよ」

 そこまでして入閣を避けられてきた理由とは何なのか?

「平沢さんは東大在学中の2年間、当時小学生だった安倍さん(晋三前首相、66)の家庭教師を務め、安倍さんをかなりシゴいたって言われていますよね。それに恨みを持っている安倍さんが傍に近寄らせなかったという話が出回っているんですが、それはさすがに……」

 神話のレベルの話だという。実際は、

「創価学会との関係です」

■公明党のホープに勝ってしまったばかりに…


「平沢さんは警察官僚を辞めて24年前の1996年の衆院選に東京17区から出馬しました。その時に、公明党から出ていたのが山口那津男さん(68)。そう、今の公明党代表ですね」

「当時から公明党のホープと言われていた山口さんに勝ってしまったことで、創価学会からは『仏敵』認定されました。さらにその4年後の衆院選でも山口さんを破って再選。1999年から自公は連立して政権を担っていて選挙協力が当然あったわけですが、東京17区だけはそれがなかったんです」

 結果、山口氏は参院東京選挙区に鞍替えを余儀なくされた。

 学会関係者にも聞いてみると、

「池田大作名誉会長(92)は初代葛飾総ブロック長として新たな広布の歴史を開拓しました。だから、葛飾区全域を含む東京17区は、学会にとって聖地とも言えるのです」

「自公協力が行き届いた現在でも、都内の衆院24選挙区のうち公明党は平沢氏に推薦を出していません。まあ24年前ほど遺恨があるわけではないのですが、平沢氏も結構な学会批判を展開しましたからね……」

 この間、状況が変わりそうなことが1度あった。自民党が下野していた2012年の野田政権時代だ。

「野田さん(佳彦首相、63)は公明党との連立に動いていました。学会側もゴーサインを出し、あとは野田さんの決断だけだったんですが、決めきれなかった」(先の永田町関係者)

「それが実現していれば、平沢さんは落選していた可能性がありますね」


■東京17区が学会・公明党に大政奉還される日


 それはともかく、万年「大臣待機組」で終わるかと思われた中での菅政権誕生。

 そして瓢箪から駒のような入閣。それがうまくいった背後に、平沢氏の所属する派閥の親分・二階俊博幹事長(81)がいたことは間違いない。

「菅内閣の流れを作った二階さんは菅さんに支持の絶対条件として、『平沢入閣』を提示しました。菅さんは学会とのパイプは太いので、その他の点で学会側の要求を飲むことで平沢さんの件は目をつぶってもらったわけです」

 色んな饅頭の食い合いで、中に何が入っているのか……もはやよくわからない状況だが、

「平沢さんも今はそれほど学会のことを根に持っていないでしょうし、入閣したからには学会批判は封印でしょう」

 もっとも、血で血を洗うとは大仰だが、衆院選という“戦争”で2度も敗戦を喫した学会側は「平沢大臣」を受け入れられるのだろうか。

「もちろんアレルギーはあるでしょうが、平沢氏は次の衆院選はともかく、その次は出ないというのが大方の見方です」(先の学会関係者)

 となると、

「聖地である東京17区が学会・公明党に“大政奉還”される目だって十分にあります。そう考えれば、悪い話ばかりでもないんですよ」

関連記事(外部サイト)