「二階俊博」が“総理以上”の権力を持つ理由 永田町で囁かれる“都市伝説”とは

二階俊博氏に「総理以上」の権力か 「数は力」を体現する二階派が「駆け込み寺」化も

記事まとめ

  • 二階俊博氏は、田中角栄氏を超え「歴代最長幹事長」の記録を更新し続けている
  • 「二階氏は『菅総理を作った』という意識を持っている」と衆院議員の林幹雄氏が証言
  • 旧民主党系議員たちも入会するなど、今や二階派は「駆け込み寺」化しているとの指摘も

「二階俊博」が“総理以上”の権力を持つ理由 永田町で囁かれる“都市伝説”とは

「二階俊博」が“総理以上”の権力を持つ理由 永田町で囁かれる“都市伝説”とは

二階俊博氏

“人物”が消えて久しい永田町。「今太閤」もいなければ、「剛腕」も今は昔。その間隙をつくように、いつの間にか「絶対的権力者」に上り詰めた者がいる。自民党幹事長、二階俊博。人呼んで令和のキングメーカー。だが、鵺(ぬえ)の如く正体不明。その男、面妖につき――。

 ***

GoToキャンペーンには、国民の多くの皆さまが不満を持っていると思います!」

 独特の抑揚を伴ったおどろおどろしい声が響き渡る。

 2020年12月6日午後0時56分、和歌山県御坊(ごぼう)市。

 長閑(のどか)な田園地帯。

 雲ひとつない快晴。

 不釣り合いな姦(かまびす)しさ。

「はやぶさ2」のカプセルが地球に帰還し、久しぶりの明るいニュースに日本中が沸いたこの日、権力の中心地である東京・永田町から463キロ離れた田舎町は、普段の静謐とかけ離れた異様な喧騒に包まれていた。

「言わずと知れた親中派、親韓派!」

 片側2車線の県道185号線、通称「18メートル道路」は、けたたましい怒声に支配されると同時に渋滞の度を深めていく。

〈大日本〉

〈皇道宣布〉

〈維新〉

 日の丸とともに、勇ましい文字をボディに刻んだ車列が、道路を徐行巡回しながら拡声器でがなり立てる。その数、実に二十余台。

 空模様とは裏腹に、御坊の空気は一気に怪しくなり始める。

「我々は国賊を徹底糾弾すべく立ち上がっております!」

 60人超の機動隊員らが、道路を行き交うものものしい車群に目を光らせる。

〈大阪〉〈神戸〉〈奈良〉〈滋賀〉〈岐阜〉〈愛知〉〈愛媛〉……。

 異なる団体の車群のナンバープレートに記された各地の地名。さながら「日本の右翼大集結」の図だった。

 機動隊vs.右翼大連合。

 殺気立つ18メートル道路付近に野次馬が集まり、地元の老女は何事かと目を丸くして、近所の犬が吠える。騒然が騒然を呼ぶ、混乱の負のループ。その中心には、ある政治家の事務所が鎮座していた。

 右翼のボルテージがいや増す。

「GoToキャンペーンの委託先は全国旅行業協会。その会長は二階俊博なのであります!」

「日本の国益を脅かすパンダ二階はこの日本から出て行け!!」

「国賊の鑑のような方であります。絵に描いたような、売国奴の鑑のような方であります!  彼は決してパンダではありません。二階先生は犬なんです!!  ぶさいくな中国犬なんです!!!」

 中央政界では総理を作り出す力を持つ大政治家、二階俊博。だが地元御坊では、「右翼を呼ぶ男」として奇異な視線を向けられ迷惑がられている。

 キングメーカーにして国賊扱い。

 この奇怪な男は一体何者なのだろうか――。


■「菅・二階政権」


〈行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし〉

「一強総理」として国のトップに君臨してきた安倍晋三は再び病に倒れた。

 その後を襲い、国民に好感をもって迎えられた菅義偉も、政権発足3カ月にして早くも不支持率が支持率を上回り、〈とゞまることなし〉の影がちらつく。

 目まぐるしく潮目が変わる現代日本政治という大河の流れの中で、権力の中心にとどまり続けられた者はいない。振り返れば、民主党政権時代も含め時の権力者、実力者は〈かつ消え〉を繰り返してきた。

 だが今、大河の怒濤の水流に、ひとり抗し、とどまり続ける者がいる。

 自民党幹事長、二階俊博。

 20年9月8日、齢81、傘寿を過ぎた二階は自民党幹事長の通算在職日数が1498日となり、師匠の田中角栄を超え「歴代最長幹事長」となった。その7日後、菅によって幹事長に再任された二階は、今なお最長記録を更新し続けている。

 永田町では誰もがそれを当然視している。菅政権を作り出したのは、他ならぬ二階なのだからと。

 8月、持病の潰瘍性大腸炎が悪化した安倍が退陣を表明すると、二階はいち早く菅支持を表明。安倍の次は菅。この流れを既成事実化し、総裁選が始まる前に「菅勝利」を決めたのが二階だった。その二階を幹事長から外す選択肢は、菅にはなかった。

 幹事長代理として二階を支え、常に寄り添い、側近中の側近として知られる衆院議員の林幹雄(もとお)が証言する。

「安倍総理が退陣表明をしたのが8月28日。その4日後の9月1日の総務会で、14日に行われる総裁選の手順が決められることになっていました。その後に、菅さんが正式に出馬を表明する段取りになっていた。ところが二階さんは、『その前(菅の出馬表明前)に、派閥として菅推薦を出しておいたほうがいい』と言い、8月30日から31日にかけて、菅さん支持の連判署名を二階派議員全員から集めました。二階さんのすごさはこの素早さです。30日には『二階派、菅支持へ』とマスコミ各社が一斉に報道し、31日にはもう総裁選の勝負の流れが作られていました」

 そして林は、本音を隠さずにこう明かす。

「二階さんは平然としていましたが、これが二階流と言うのでしょうか、独特の政治勘だと感服しました。顔や態度には出しませんが、『菅総理を作った』という意識は持っているんじゃないかと思います。なにしろ、私ですら持っているんですから」

 こうして菅政権は走り出す。

 いや、正確ではない。日夜、永田町を駆けずり回っている大手メディアの政治部記者たちは、陰で、この政権の本質をついた別の名前を付けてこう呼ぶ。

「菅・二階政権」

 事実、二階は今、我が世の春を謳歌している。


■「総理以上」の存在


 9月16日、菅政権の閣僚名簿が発表されると、入閣候補者の「身体検査」を行う内閣情報調査室(内調)の職員は、複雑な思いのこもった溜め息をついた。

「本当に平沢さんが入閣している」

 当選8回、警察官僚出身の平沢勝栄は、これまで常に「入閣待機組」の椅子を温めてきた。かねてパチンコ業者との関係などが取り沙汰されてきた彼が、全メディアがスキャンダルはないかと目を光らせる大臣の座に就(つ)くことはあり得ない。それが内調をはじめ永田町雀たちの常識だった。

 しかし、常識は覆された。非常識が罷(まか)り通った。

 平沢は17年まで石原派に所属。しかも派閥事務総長の要職を務めていた。だが、彼は所属議員10名余の小所帯を見限り「脱藩」。そして、人事を握る最長幹事長を戴(いただ)く二階派に転籍する。結果、めでたく復興相として初入閣。非常識を押し通す力を持っていたのが、平沢その人でないのは明らかだった。

「数は力」を体現する二階の派閥は、今や「駆け込み寺」と化している。清濁併せ呑む。この二階のスタンスに、吸い寄せられるように人が集まってくるのだ。

 それは何も他派閥からだけに限らない。細野豪志、長島昭久……。自民党に移籍した旧民主党系議員たちも、悉(ことごと)く二階派に入会している。派閥転籍組以上に「よそ者」である彼らでも、二階派にいるとしっかりとポストにありつけるのだ。

 政界ウォッチのプロである全国紙の政治部デスクは、「細部」に二階の力を見る。

「菅政権の人事で、やはり旧民主党系からの移籍組である鷲尾英一郎が外務副大臣に、同じく移籍組の山口壮(つよし)は筆頭副幹事長の座をあてがわれています。『外様議員』でもポストがもらえる。そして大臣だけでなく、こうした細かいポストまで目配りする。それが二階派膨張の最大要因でしょう」

 12月10日、その外様議員である山口は、派閥のとりまとめ役である二階派事務総長に抜擢された。

 人事を「エサ」に拡大路線をひた走る二階派は、10月29日、新たにひとりの議員を迎え入れ48人となる。同数で並んでいた岸田派を抜き、単独で党内第4派閥の座に躍り出た。二階が幹事長に就任したのは16年8月。当時、二階派の議員は36人。まさに、二階の権力が増していくとともに派閥は膨れ上がっていった。

 新進党、自由党、保守党、保守新党、そして自民党への復党と、常に二階と歩みをともにし、自ら「二階の駒」と言い切る参院議員の鶴保庸介は、派閥膨張の要因をこう語る。

「結局、政治の世界は一寸先は闇。昨日の敵は今日の友であるし、今日の敵は明日の友であることが、政党を渡り歩いてきた二階さんは肌に染みついている。だから、人を立場や肩書で見ようとしない。その人が一所懸命頑張るというのなら面倒を見る。その結果、とりわけ新人議員が急に増えたんだと思います」

 この数の勢いを背景に、二階の言動は「絶対的権力者」の色を一層濃くしていく――。

 9月9日、すなわち最長幹事長となった翌日。二階は番記者たちとのオフレコ懇談に臨んでいた。

 番記者が尋ねる。

「昨日、総理(注・当時はまだ安倍総理)から幹事長在職最長のお祝いの連絡はあったんですか?」

 二階が応じる。

「なかったな。そういうことができたら、もっと偉くなっとるはずだ」

 総理以上に偉くなるとは? 戸惑う番記者が恐る恐る重ねて訊(き)く。

「総理は、既に充分偉いと思いますけど……」

 そっけなく二階は答えた。

「そういう気遣いができれば、もっと政権運営が安定していたはずだ」

 一強総理をも「偉くない」と断じる二階。この瞬間、二階は「総理以上」の存在と化していた。

 同月16日、二階派の会長代行で元官房長官の河村建夫の地盤である山口3区から、岸田派参院議員で元文科相の林芳正が鞍替え出馬を模索していることが報じられる。脅かされる二階派の牙城。

 すると10月4日、二階は派閥の議員19人とともに同区内の宇部市に飛び、河村の総決起大会に参上した。

 親分が子分を引き連れ「賭場」に乗り込む。現代に甦る東映任侠映画の世界。

 そこで二階は400人の参加者を前にこう言い放った。

「『売られた喧嘩』という言葉がある。我々は、河村先生に何かあれば、政治行動の全てを擲(なげう)ってその挑戦を受けて立つ」

 本来は「レフェリー」であるべき幹事長らしからぬ、林への恫喝とも受け取れる強面(こわもて)発言だった。

 他方、静岡5区。自民党現職で岸田派の吉川赳(たける)がいるにも拘(かかわ)らず、二階はそこから「駆け込み組」の細野の出馬を検討し、ライバルである岸田派の殲滅を進めようとしている。公認権を握る「幹事長強権」が発動されようとしているのだ。

 細野の静岡5区挑戦は押し通すが、林の山口3区鞍替えは認めない。細野と林の大きな違い。それは二階派か否かだった。

 林には二階の意に逆らい、強行出馬する選択肢が残されてはいる。しかしその場合、党からの除名もあり得ると、二階派幹部はさらなるプレッシャーを林にかけている。

 除名を審議するのは党紀委員会。そして、党紀委員長の椅子には今、参院議員の衛藤晟一(せいいち)が座っている。その衛藤は……二階派だった。


■党本部に轟いた怒声


「任侠映画事件」3日後の10月7日、都内ホテルでの二階派パーティー。各派閥の領袖が馳せ参じ、権力の匂いを嗅ぎ分ける能力が異様に発達した東京都知事の小池百合子、そして総理の菅まで駆け付けた。

 菅はこう持ち上げた。

「党と政府が一体でなければならない。そうした中で、引き続き二階先生に幹事長をお願いした」

 同月10日、再び番記者たちとのオフレコ懇談。菅政権が滑り出し、高支持率下での年内解散が取り沙汰されている時期だった。番記者はその可能性を探ろうと二階の発言に耳を澄ませる。

 二階は言った。

「総選挙は明日でも構わない。今夜だっていいぞ。選挙で大変なのはひとり頭、数百万円の公認料だ。うちは、2回選挙やっても大丈夫なくらい準備している。2回連続でやってやろうか。野党はもたないぞ」

 最長幹事長の強みは人事だけではない。

 11月27日に公表された19年分の政治資金収支報告書を見てみる。自民党各派閥の収入を比較すると、二階派は3億305万円。2位の麻生派の2億8067万円を凌ぎ、3年ぶりに二階派がトップに立った。

 そして、二階本人が19年に自民党本部から受け取った「政策活動費」は10億1千万円。同費は自民党全体で13億円。実に78%が「二階のカネ」となっている。この政策活動費は使途記載の必要がない。つまり「二階の自由になるカネ」だ。

 人事とカネを握る最長幹事長の二階。彼が旗振り役を務める国土強靭化計画は、今年度までの3カ年計画のはずだった。だが11月末、さらに5年間、15兆円の事業規模で延長される方針が、予算不足のコロナ禍のなかであっさりと決まった。「誰の一声」だったかは言わずもがなだった。

 政策決定の面においても二階の存在感は増すばかり。加速する「菅・二階政権」。いや、もはや「二階・菅政権」の感すら漂う。

 こうして栄耀栄華を極め、老齢何するものぞと権力の中枢に君臨する二階。だが、そこに影がないわけではない。

 10月6日、自民党の一億総活躍推進本部長が決まった。その決定の前、党本部内に怒声が轟いていた。

「お前、二階派だからって、何でもかんでも好き勝手にできると思うなよ!」

 同党参院幹事長の世耕弘成が、片山さつきを面罵していたのだ。

 かつて官房長官を務めた青木幹雄が牛耳っていたように、参院自民党は衆院自民党とは毛色が違う「独立王国」の側面を持つ。そして同本部長ポストは「参院枠」。しかし、参院を今仕切る世耕に何の相談もなく、本部長には片山が就くことで話が進められていた。

 参院という自分の「ムラ」を荒らされたことに激怒した世耕は細田派、そして片山は二階派。結局、麻生派の猪口邦子が本部長となることで落ち着く。

 自民党内には静かに、しかし確実に、我が物顔に振る舞う二階派議員への反発と抵抗が生まれつつある。

 そして、二階派の中にはもうひとつ重大懸念がある――と、永田町では囁かれている。


■語り継がれる「都市伝説」


 10月20日夜、東京都港区、ロシア大使公邸。

 ミハイル・ガルージン駐日ロシア大使との面会に臨んだ二階は、しばし「沈思黙考」していた。もしかしたら「瞑想」していたのかもしれない。その様子を敢(あ)えて何かに喩(たと)えるとするならば、船を漕(こ)いでいるようにも映ったという。

 また現在、永田町では、二階にまつわるこんな「都市伝説」がまことしやかに人から人へと語り継がれている。

「早朝、誰もいない自民党本部でひとりポツンとしていた」

「議員会館の地下でなぜかウロウロしていて、番記者に自分の部屋まで連れていってもらった」

「常に付き随うSPが、次の予定まで教えてあげていて介護人状態」

「椅子から立ち上がる際、『総力結集!』と言って自らを鼓舞している」

 齢81、二階俊博。

 それでも二階は大河の流れをものともせず、現在進行形で最長記録を更新し続けている。時に総理を動かしながら。

 11月12日、二階は交じり合うことがないと思われていたふたりを会食させた。

 菅と小池。

 パフォーマンス先行の小池を、菅は生理的に受け付けられないほど毛嫌いしている。

 ある大手マスコミ幹部は、今でも鮮明に記憶している。

「官房長官時代の菅さんと会食した際、『東京都はカネを持っているのに、五輪費用をケチろうとする。小池は何様のつもりなんだ』と、延々と小池さんの悪口を言っていた」

 天敵に見える菅と小池だが、二階立ち合いのもと、この日の夜、ホテルの日本料理屋で向かい合った。二階と小池は新進党、保守党時代の同志である。

 永田町にはひとりも友だちがいないとされる「一匹女狐」の小池。そんな彼女と付き合える「希少種」の二階。その二階を通じた小池側からの会食の打診を、すなわち事実上、二階からの申し入れを、菅が断れるはずもなかった。

 そして12月14日、菅は「8人ステーキ会食」に参加して集中砲火を浴びる。その店には、みのもんた、王貞治など「二階人脈」が集(つど)っていた。そこに顔を出さない道を選ぶことは、菅にはできなかった。

 総理までが二階の「磁力」に吸い寄せられ、引っ張り回される。彼はどのように人心を掌握し、「数」を得てきたのか。

 林幹雄は胸を張る。

「二階さんは『来る者拒まず去る者追わず』という姿勢です」

 鶴保が続ける。

「二階さんはマメで、気遣いの人です」

 つまりは「何でもあり」の人たらし。二階は、誰でも受け入れる「柔軟さ」を武器に永田町を生き抜いてきた。だが柔軟さは、時に「無原則」と紙一重であり、あるいは「無節操」と隣り合わせでもある。

 その融通無碍(ゆうずうむげ)さによって中央政界では最長幹事長として君臨しつつ、地元では国賊と罵られる。曖昧模糊として掴みどころのないこの政治家は、いかにして絶対的権力者の座に上り詰めたのか。

(敬称略)

「週刊新潮」2020年12月31日・2021年1月7日号 掲載

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